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イゼロ・プラマ

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第1章

1 ヒトもどき-⑥

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彷徨さまようように蹌踉よろめきながら、ただただ歩く。浮浪を表すかのように行き場のない感情がネルアの脳内を満たし、心地悪く息苦しい。
 ネルアは近くの店を転々としながら一時的な雨宿りを繰り返していた。
(手持ちの現金はわずか35ダラー。こんななけなしの金銭でどう生きていけばいいというんだ)

 どうすればと悩むがとにかく寒い。
 服は重みを増し、水を多く含むただの重い布でしかないことに疲れを感じる。
 シャツは肌にペタリと密着しており、雨は自分勝手なほどにネルアの体温を奪っていく。
 同時にどの店も営業を終えて幕を下ろし、ついには屋根のない路地で一人うずくまる。寒さによる震えが増すばかりで大量の息は雪を生成しているかのようにとても白い。 

 ネルアは震えに耐え、右手で左腕を掴んで息を吐く。そして起こった悲劇を思い返す。
 職、親からの愛、貯金。
 全てを失った。理由を確かめることも、自分を弁護をしてくれる交友関係のある人物なんてどこにもいない。
 これは仕事へ注いだことへの罰なのだろうかとネルアは苦悶する。いつも酷く思っていた。遊び、主に恋愛なんかに費やす時間など無意味で何の得もなく、脳のない人がやること。下らない馴れ合いで笑っている時間さえも見下してきた。

『それが正しさで愛なのよ』

 母の教えの言葉が頭を過ぎる。
「っ…… !」
 吐き気が来る。予知もなく唐突に。
 ネルアが両手で口元を抑えるも、どうやら胃は収縮をやめる気がない。

「お゛、ぇっ」

 そのままストレスは胃を強く締めつけ、胃液と内容物は食道を押し上げていく。

 酸性の生暖かいドロリとしたものが口から一気に吐き出された。 
 喉から咆哮した擬音と吐瀉物が同時に胃から容赦なく凍上へボトボト落ちる。

 嘔吐は数分続き、治りつつも母の言葉を思い出したときにまた押し上げられて気持ち悪さは度を増していく一方。
 両手と膝を着きながら酸っぱい息を沢山漂わせた。地に広がる吐瀉物は雨と混じりながら近くの排水溝へと細い窪みを伝い、流れていく。
 ヒューヒューと高い音の息を吐きながら、ネルアは汚れた手を振り払い土を落とす。朧気な脳で思う。
 何故、母の言葉がこんなにも苦しく感じるのだろう。

 靴の中まで雨水が全て浸透しきったとき、無心で当てもなく立ち上がった。
 覚束無おぼつかない頭で次なる三つを求めた。

 屋根が欲しい。
 暖かいのが欲しい。
 穏やかな確実なる安心が欲しい。

 ネルアはゆっくり歩きつつ、手持ちの携帯機器に力の入っていないフリック入力でホテルを探す。
 赤いバッテリー。案の定、途中で充電は尽きる。
 ただの使い物にならなくなった薄い板に映る自分の姿があまりにも滑稽だった。この世の生物とは思えないほど惨めに感じた。

 もうネルアの脳はあまり働いていない。朝からろくに食事をせず、殴られ続け、失望され、雨に打たれ、嘔吐した。
 ネルアが二十五年生きてきて自分の行いが悪いと記されたのは今日が初めてである。
(寒い……寒気が酷い、嫌だ)
 食欲は峠を越えたのか既にどうでもよくなったものと気づく。

『常に身体に良いものを決まった時間に。ハンバーガーやクレープ何て物は油や糖質の悪い塊。口にした子はみんな罰を受けてるの。ネルアは良い子だものね?』
──────うるさい

「っ、…………ごめんなさい」

 立ち止まり、反射的な懺悔。ぐらつく体に生えた汚い手で雨に打たれつつ、ネルアは頭を抱える。
 どうしようもなく、言いつけを振り払う脳はとてもとても罰に感じてしまう。
 それでもネルアは思う。母の言う油や糖質の塊が身体に悪影響だろうと皆あんなにも笑顔を浮かべて食事をするじゃないか。
──────食に幸福なんて求めるな
 嘔吐が来る。
 口元を抑えようと吐き出されるのは生暖かい胃液のみ。このまま吐き続けたら内臓が吐き出されるのではないかと思いながら身体はとうに脱水症状となっていた。

「暖かいのがいい、良い匂いがする食事を、喉が渇いた、屋根が欲しい、柔らかな寝床を…………疲れた」

 気が付けばネルアは生理的欲求のみをブツブツと呟いていた。それは生きる上での本能的に見て第一段階の欲求となることばかり。

 何度か立ち止まって上から降り注ぐ雨水に口を開け、足らない水分を喉から体に流し込む。
 それにしても凍えるような冷たさに身体はやられ、震えは次第に限界なる体力までも奪おうとしている。
(寒い、苦しい……楽になりたい)
 余裕のないネルアは何度目か分からないほど道端で立ち止まった。指で抉るほどの強さで目元を隠す。
 一秒にも満たない早さで隙間からは涙が溢れた。ネルアにとって涙を流すことは不慣れな行為そのもの。どうしていいかが分からずに悲しく痛ましい気持ちと恥じらいが入り混じる。 
 それでも溢れ出すことを止められず、誰もいない夜道で顔を必死に隠しながら心の底から泣いた。

「……………お、オレが、捨てられるのが『普通』で正しい?」
 
 思考が纏まらず、歩く振動でさえグラグラと脳が揺れる。当にネルアは自分の今までを信用できなくなっていた。
(普通が分からない……はずでしょう?)

 そう唱える頭の片隅では真逆の嫉妬の想いがみなぎって溢れ出す。

 オレを罰とするのなら他の人達は。
 何故オレだけが不幸にならなければならない。
 人の価値は正しさで推し量れないというのか。

「オレがどれだけこの国に尽くしたと思ってる」

 冷える身体は既に限界を超えていた。
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