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壱
清ら松風 【一】
しおりを挟む風が、色を運ぶ。
はらはら、ほろほろ。密やかに、軽やかに。
楓の赤、萩の白、菊の紫、銀杏の黄金。さまざまな色が、我が物顔で空を舞い踊っている。
「今日は、随分と風が強いわね。そのおかげで、色葉の美しい競演を眺めていられるのだけれど」
独りごちながら見やった手前の松の木に、ふっと口元が緩む。独り言の合間にも、松葉の常緑は鮮やかに粧われていた。数多くの色葉たちによって。
「秋の風は、いたずら好きなのね」
季節がどのように移り変わろうと常緑を失わない松葉に、まるで彩りを与えるかのごとく、風にひらめく葉が色を置いている。
「いたずら好きで、少しお節介だわ。松葉は、そのままで充分に美しいのに」
「あら、篤子。いかにも秋の風情を語っているように見えるけれど、実は、その『松葉』というのはお兄様のことではなくて?」
「……っ、珠子? まぁ、驚いた。いつの間に来ていたの?」
突然の訪を受け、心の底から驚愕した。けれど、その驚きはすぐに笑顔に変わる。笑みの大部分は苦笑だけれど。
私を驚かせたことで嬉しそうに笑っている相手は、大津大納言家の大君。光成お兄様の妹、珠子だった。
「はい、これ、お土産。篤子の好物でしょ? 召し上がれー」
「ありがとう」
「いえいえ。でも、よくこんなに後口が酸っぱい物、好んで食べるわよね。感心しちゃうー」
「そう言いながら、私よりも珠子のほうがたくさん食べてますけど?」
珠子付きの女房、礼都女が竹籠から出してくれたお土産の品は、青梅の糟漬けだった。私と珠子、それから光成お兄様。幼い頃をともに過ごした三人の思い出の味だ。
こんな物を食べるなど感心すると言われているけれど、青梅を摘む速さも口に放り込む速さも、私は珠子に遠く及ばない。深窓の姫君とは思えない食欲に、呆れ半分の視線を送ってしまう。
「あら、おかしいわね。そんなには食べてないつもりだったのだけれど。じゃあ、私はこっちをいただくから、篤子は遠慮なく青梅を召し上がれっ」
「え? 『こっち』って……」
絶句した。これで解決とばかりに邪気のない笑顔を向けてきた相手が取り出した、竹皮包みの中身を見て。
「うーん。甘栗子、美味しーい!」
石焼きにした山栗の甘煮。いったいどこに隠し持っていたのか、ぺりっと広げられた竹皮には、ほくほくと柔らかそうな甘栗子がごろっと詰まっている。
「どうしたの? 私はもう青梅は要らないから、篤子、どうぞ? お兄様との思い出の味、でしょ?」
「あ……うん」
「篤子がこれを好物だと言うようになったのは、お兄様がこうやって貴方のお口に入れたあげた〝あの時〟から、よねぇ」
「……」
青梅を一粒。細い指が摘み上げて私の口元に持ってくる。その動作とともに珠子が口にした〝あの時〟のことが瞬時に思い出された。
遥かな過去、夏の暑さで食欲が失せてしまった私を気遣い、小さくちぎった青梅の糟漬けを手ずから食べさせてくださった光成お兄様の姿が。
甘え半分で「もう要らない」と突っぱねる度、根気よく優しく食べさせてくださっていた。温かく嬉しい幼少時の思い出。
「仕方ないわよね。わかるわ」
「え?」
差し出してくれた青梅を素直に口を開けて含み、咀嚼し始めた私に、ふっと苦笑が向けられた。
何が、〝仕方ない〟のか。脈絡のない話題転換に首を傾げると、相手の苦笑が穏やかな笑みに変わった。
「『わかる』って言ったの。お兄様はあんなに素敵なお方なのですもの。類稀な美貌と知性に、蔵人所随一の弓の腕前。それに加えての私たちへの温かな慈愛。そんなものを兼ね備えてる人に恋してしまったら、もう他に目は向かないわ。仕方ないから、篤子はずっとお兄様を好きでいていいのよ」
「珠子……」
光成お兄様と瓜二つの美しい容貌が、真っ直ぐに私に向けられている。すべらかな頬に、甘栗子の膨らみの曲線を、ぷっくりと丸くつけて。
これは、たぶん左右に一粒ずつ、口に含んでるわね。
どうりで、本来なら心に響くはずの良い言葉が、くちゃくちゃっという咀嚼音と一緒に聞こえてきてたんだわ。全く、もう。神妙で感動的な雰囲気が台無しよ!
この子が、珠子。『大納言家の絶世の美女』として都中の貴公子から懸想文が届く、たおやかな姫君の本性は、わりと雑な自然体だ。
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