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王子の葛藤 【2】
しおりを挟む「――兄上っ」
王宮に入った途端に聞こえてきた、明るい声。
「見てください。今日は僕も鎧を身につけて良いと、父上に許可をいただいたのですよ」
その声の持ち主が、駆け寄ってきた。「どうですか?」と両手を広げ、鎧姿を披露してみせる弟王子は、満面の笑顔だ。
我が王家の紋章である竜の意匠をほどこし、翡翠玉を埋め込んだ鎧が、とても良く似合っている。
「ん、良く似合っているぞ。そうしていると、そこそこの武人に見えるな」
「あっ、『そこそこ』だなんて少しひどいです。せっかく、兄上の鎧と揃いになるように作らせたのに」
「あははっ。悪かった。しかし、本当に良く似合っている。私の物と揃いだというのも、ひと目で気づいていたぞ」
思った通り、唇を尖らせて少し拗ねた様子を見せた可愛い弟の茶髪に、ぽんっと手を乗せて笑いかければ、真剣な顔つきが返ってきた。
「兄上と揃いなのは、今は鎧だけですけど。そのうち剣の腕前も並び立てるようになってみせますからっ。しっかり見ててくださいね!」
なんと勇ましく可愛らしい宣言だろう。この子のこういうところをずっと見守っていきたい。そして、ふと思いついた提案をしてみる。
「よし。その時が来たら、互いの鎧を交換し合うことにしないか?」
「えっ、ほんとですか? 僕、この青金石を埋め込んだ兄上の鎧が本当に憧れで……少しでも同じになりたくて、背伸びして揃いの意匠の鎧を作らせたんですよ。僕、頑張ります。本当に本当に頑張って、早く兄上に追いつきますね!」
きらきらと輝く茶瞳にカルスの意気込みが込められ、「約束ですよ。必ず交換してくださいね」という念押しに、私の笑みも深くなる。
本当に可愛らしく、同時に眩しい存在だ。
「それでですね。僕が鼻をつまんでたら、母上が……」
「――これは、王子様方。本日もお麗しくていらっしゃいますな」
「ブランダル将軍」
父王の謁見の間に向かいながら、朝食の薬草スープを頑張って飲んだというカルスの話を聞いている途中、聞き慣れた野太い声が割って入ってきた。
凱旋軍を率いて帰国してきたブランダル将軍だ。私たち同様、既に凱旋式用の鎧を身につけており、黒瑪瑙を埋め込んだ鎧が、大柄な体躯を良く引き立てている。
父上への戦勝報告が終わったようだ。
「ブランダル将軍。軍の引き上げ、御苦労でした」
軍においては私の部下ではあるが、軍人としての経験も年齢も先達だ。緊急事態の命令以外は、丁寧な物言いを心がけている。
「はい。今朝、全兵が無事に帰国いたしました。これも、シュギル様の御活躍で勝利をおさめることができたからでございましょう」
「いや、私は……それより……」
「ブランダル将軍! 僕、将軍にお尋ねしたいことがあるのです。多頭竜への生贄のことをお聞きしても良いですか? どういう者なのです? 僕、とても興味があるのですっ」
「……っ」
私が尋ねようとしていたことを、カルスが代わりに聞いてくれた。とても無邪気な笑顔で。
将軍に会い、あの少女のことを尋ねなければと勢い込んでいた割には、カルスに先を越された形になったが、結果的にはこれで助かった。
「カルス様。カルス様は、多頭竜への生贄に、かなりご興味を持たれておられるようですな」
カルスの邪気のない明るい尋ねように、ブランダル将軍の表情が、柔らかく緩んでいる。
「はい! 『生贄になるために生まれてきたような者』とは、どのような見た目なのだろう。そして、将軍はどのようにしてその者を見つけたのだろうと、昨日からそればかり考えていて……。今朝は、それで朝食に向かうのが遅れて、母上に叱られてしまいました」
「ははっ、それはいけませんなぁ。しかし……そうですな。生贄の見た目に関しては、今宵の儀式をお待ちいただくほうが早いでしょう。直接、その目で御覧になられるが一番でございますよ。ひと目、目にすれば、それで納得されることと思います故」
「えー? 夜まで待たなければいけないのですか?」
興味津々な表情から一転、おおげさに天を仰いだカルスに、ブランダル将軍の豪快な笑い声が続いた。
それは、そうだろう。『ひと目、目にすれば』、わかるのだ。あの少女が、贄に選ばれた意味は。
「ただ、これだけは申し上げておきましょう。かの者は、隣国においても、いずれ神に捧げられると決められていた者だったということです」
……何?
「生まれながらにそう決められ、『神の子』と呼ばれて育ったとか。本人もそれを名誉なことと受け入れて、神の贄となれることを誇りに思っているのだと申しておりましたよ」
何だと? 今、将軍は、何と言った?
名誉なことと受け入れている、と言ったか? 生贄となることを?
まだ稚い風情の、あの少女がか?
神にその身を捧げることを誇りに思い、その日のために育ってきたと?
自らの“終わり”を目指して生きてきたのだ、と。そう言うのか?
いや、そもそも我らは、そのようにして豊穣を願ってきた者たちなのだ。
神に贄を差し出し、自らの安寧を得ることを当たり前の行為としてきた我らが、生贄の運命について何を言うことができようか。
そうか。だから、彼女はあのように神々しかったのだろうか。
“白”を体現し、“白”そのものだったのは、生贄となる運命を受け入れていたから。だが――。
――惜しい。
不意に、脳裏に浮かび上がってきた言葉がある。
『あの少女は、神にさえ惜しい』
『誰にも、渡したくなどない』
胸に渦巻き、私の全ての思考を覆い尽くすほどに、熱く湧き上がってくる想いがある。
『あの少女を、手に入れたい』
「兄上? どうなされたのですか?」
カルスの不審そうな声で、ふと我に返った。ほんの数瞬、物思いに沈んでしまっていたようだ。
「あ、いや、何でもない。さて、国王陛下に御挨拶に伺うとしようか、カルス。――ブランダル将軍、では、のちほど」
胸に渦巻いた想いを何とかねじ伏せ、真っ直ぐ見上げてくる綺麗な茶色の瞳に曖昧な笑みを浮かべてみせた。それを機に、父上への拝謁を理由として将軍との会話も打ち切る。
ブランダル将軍からは、これ以上の情報は恐らく得られまい。いや、むしろ思っていた以上にあの少女の内面に近づいた話を聞けたと思う。
「――兄上。ブランダル将軍があのように勿体ぶった言い方をされたので、僕、わくわくが止まりません」
「こら、大臣の報告中だぞ。私語は慎め」
謁見の間では、既に各将軍の報告が終わり、大臣方が拝謁と報告を始めていた。それを父上とミネア様の御座の斜向かいに並び立って聞いていたところにカルスが耳打ちしてきたのだ。
私語を注意すると、カルスはすぐに表情を引き締めたが、口元は緩んだままだ。口にしていた通り、『わくわくが止まらない』のだろう。
私も、今朝方のあの出逢いさえなければ、カルス同様、珍しい生贄に対するただの興味だけで済んでいたはずだ。
しかし今、私の心は乱れに乱れている。
次代を預かる王子としての、国民への責任感。
そして、あの少女に抱いている、もどかしく、しかし確かにここに在る想い。
相反するふたつの想いの間で揺れている私が、ここにいる。
会いたい――――今宵、月が出れば、あの少女にまた会える。
だが、それは同時に彼女の終わりをこの目で見届けることにも繋がるのだ。
この期待と絶望を、自らにどう納得させれば良いのだろうか――。
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