66 / 87
8
見えぬものと、見えるもの 【8】
しおりを挟む『カルス。その時が来たら、互いの鎧を交換し合うことにしないか?』
私から提案したのに。
翡翠玉を埋め込んだ鎧を身につけ、私と揃いになるよう作らせたのだと嬉しそうに笑っていた弟に。
鎧だけでなく、剣の腕前も、いつか私と並び立ってみせると意気込みを見せたこの子が眩しくて可愛らしくて、約束の言葉を交わした。
『えっ、ほんとですか? 僕、この青金石を埋め込んだ兄上の鎧が本当に憧れで……少しでも同じになりたくて、背伸びして揃いの意匠の鎧を作らせたんですよ。僕、頑張ります。本当に本当に頑張って、早く兄上に追いつきますね!』
明るい茶瞳をきらきらと輝かせ、『約束ですよ。必ず交換してくださいね』と念押したこの子に、笑って請け負ったのは私だったのに。
「……僕、兄上からの手紙、読みました。何度も読み返しました。でも、納得できません。突然居なくなって……手紙や鎧だけを残されて……。三日月刀だって、いただけません。あれを手に出陣なされる兄上のお姿にこそ、僕はずっと憧れていたのに!」
カルス……。
「それに、失明したから、もう王子じゃない? なんですか、それ。僕が今、どんな表情してるのかも見えてないんですか? じゃあ、いくら鍛練を積んでも、僕の姿を見てもらうことすら、できないじゃないですか」
「……」
「なぜ、そんなことになったんです? なぜっ? 僕にわかるように教えてください! 兄上っ!」
私の衣服を掴んだまま地面にくずおれ、最後に絶叫を放ったカルスの嗚咽が、切れ切れに風音と混じる。
ひゅう、と物悲しい音を立てて鼓膜を揺らす風は、カルスの慟哭を私の胸へと運び、きりきりとそこに突き立てた。
無心に慕ってくれていたこの子を、私はこんなにも傷つけてしまったのだ。
そして、今の私はそれを修復してやれる術を持たない。
「カルス。顔を上げてくれ」
嗚咽を漏らし、俯いているカルスの頬に触れるべく、地面に片膝をついた。
同じ高さにしゃがみ、触れた頬は、涙の冷たい感触を私の手のひらに伝えてくる。
ずきりと、胸が痛んだ。
柔らかな丸い曲線を描くここには、太陽のように明るい笑顔だけが常にあったのに。今、感じられるのは、それとは真逆の嘆きのみ。
「立ちなさい。風が強くなってきた。そこは私が賜った祭殿だ。続きは、中に入って話そう」
丸めた背を伸ばすように一度さすり、祭殿へと誘った。
温かい飲み物でも飲めば、カルスももう少し落ち着くだろう。
それに、ルリーシェだ。彼女もすっかり待たせてしまった。私たちのやり取りに、さぞ驚いたことだろう。
「ルリーシェ、待たせて済まない。さぁ、君もともに祭殿に」
「えっ? あっ、いいえ!
わ、私は、ご遠慮させていただきますっ」
ん?
カルスとともに立ち上がり、黙って待っていてくれたルリーシェに詫びて祭殿にと促したものの、即座に断りの言葉が返ってきた。
「どうした? 先ほどは、夕刻まで大丈夫だと言っていたろう?」
「あ、それはそうなのですが……。けれど、ご兄弟のお話の場に私がいては、お邪魔でございましょう?」
「いや、邪魔などではないぞ。カルスはそのようなことを気にする子では……」
「何だ、お前。黙れよ。僕と兄上の邪魔をするな」
「……っ、カルス?」
耳を疑った。
先ほど立ち上がらせたカルスが、私の手の中でその肩をいからせ、ルリーシェに向けて低い声を放ったからだ。
「なぜ、お前がここにいる? なぜ、ここで兄上とともに過ごしてるんだ。生贄のお前が」
「待て、カルス。何を言ってる?」
ルリーシェに怒りを向け、するりと私の手から抜け出したカルスを引きとめようと、手を伸ばした。
が、その手はあえなく、空を切ってしまう。
「なぜ、僕と兄上の邪魔をする? 生贄のくせに……下賤な身分のくせにっ」
カサカサッと、草を踏みしめる音が動いている。ルリーシェが後ずさりしているのだろうか。
その音とカルスの気配を追って、私も前に動いた。
「カルス、待て。お前は、何か勘違いを……」
「僕と兄上との未来を奪ったくせに! お前、絶対に許さないっ!」
「きゃっ!」
「ルリーシェっ!」
――ザッ!
10
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】シロツメ草の花冠
彩華(あやはな)
恋愛
夏休みを開けにあったミリアは別人となって「聖女」の隣に立っていた・・・。
彼女の身に何があったのか・・・。
*ミリア視点は最初のみ、主に聖女サシャ、婚約者アルト視点侍女マヤ視点で書かれています。
後半・・・切ない・・・。タオルまたはティッシュをご用意ください。
孤独な公女~私は死んだことにしてください
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【私のことは、もう忘れて下さい】
メイドから生まれた公女、サフィニア・エストマン。
冷遇され続けた彼女に、突然婚約の命が下る。
相手は伯爵家の三男――それは、家から追い出すための婚約だった。
それでも彼に恋をした。
侍女であり幼馴染のヘスティアを連れて交流を重ねるうち、サフィニアは気づいてしまう。
婚約者の瞳が向いていたのは、自分では無かった。
自分さえ、いなくなれば2人は結ばれる。
だから彼女は、消えることを選んだ。
偽装死を遂げ、名も身分も捨てて旅に出た。
そしてサフィニアの新しい人生が幕を開ける――
※他サイトでも投稿中
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚活令嬢ロゼッタは、なによりお金を愛している!
鈴宮(すずみや)
恋愛
ロゼッタはお金がなにより大好きな伯爵令嬢。男性の価値はお金で決まると豪語する彼女は、金持ちとの出会いを求めて夜会通いをし、城で侍女として働いている。そんな彼女の周りには、超大金持ちの実業家に第三王子、騎士団長と、リッチでハイスペックな男性が勢揃い。それでも、貪欲な彼女はよりよい男性を求めて日夜邁進し続ける。
「世の中にはお金よりも大切なものがあるでしょう?」
とある夜会で出会った美貌の文官ライノアにそう尋ねられたロゼッタは、彼の主張を一笑。お金より大切なものなんてない、とこたえたロゼッタだったが――?
これは己の欲望に素直すぎる令嬢が、自分と本当の意味で向き合うまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる