8 / 69
第三章
冬の名残に【5】
しおりを挟むもう大丈夫だよ。だから、泣かないでほしい。
こんな簡単な言葉ですら、口に出せない。ただ、見つめて。涙を拭うだけしか出来ない自分がもどかしい。
「土岐、くん?」
恥ずかしそうに絞り出された彼女の声で、ふと我に返った。
そうだ。そろそろ戻らないと。
ここで、彼女の手首を掴んだままの自分の右手を思い出す。
どうする? このままバスまで行くか?
いや、きっと印象が良くないはずの俺に手首を掴まれて歩くなんて、嫌に決まってる。それなら――。
「えっ? あ、あのっ……」
うん。これでいいはずだ。
彼女の手に掴ませたのは、俺のジャージの裾。ポケットのすぐ下あたりを掴ませた。
これなら、大丈夫だろ?
時計を見て、集合時間にギリギリ間に合うことは確認した。
バスまでの距離と残り時間で、歩く速度を計算する。あまり早く着いてしまうのは避けたい。
例え、ジャージの裾をつまんでいてくれてるだけの繋がりだとしても。今、確かにこの子は俺の傍にいて、一緒に歩いてくれてるんだから。
出来るだけ長く、この状態を維持していたいと願うのは、仕方ないと思うんだ。
俺の斜め後ろで、大人しく俯いて歩く姿をそっと振り返っては、何度も眺める。
風に柔らかく遊ばれてる髪が、その表情を俺から隠してるのが、何だか物足りないような。
逆に、その表情を見なくて済むことに、ほっとする気持ちも確かにあって。もっとずっと、近づきたいのに。これ以上、距離を縮めることに怯む自分がいる。
俺はどうすれば、この髪に触れてもいい存在になれるんだろうか。
バスが近づくにつれ、周りがざわめいているのが鬱陶しい。どいつもこいつも、なぜ、そんなに見てくるんだ?
見せ物じゃないぞ。俺はともかく、気落ちしているこの子を視界に入れるな。
少し苛ついたせいで歩くのが速くなってしまったのか、彼女に掴まれた裾がピンと引っ張られたように伸びた。
まずい!
離されてしまう前に速度を落として、何とか現状維持出来た。
かすかに「見ろよ、あれ」だの、「おっ、やるじゃん」だの、「とうとう進展か?」だの、密やかに交わされているはずの会話が途切れ途切れに耳に入ってくる。
俯いている彼女の耳にも届いてるんだろうか。もしそうなら、今すぐ指を離したいって思うんじゃないのか?
声が聞こえた辺りに目線をやって、黙れ、と念を込めて睨みつけておく。
あぁ。やっと、少し静かになったな。
「あっ! 涼香ちゃん!」
せっかく静かになったのに、秋田に見つかってしまった。
「良かった! 心配してたんだよ?」
「チカちゃん!」
俺の横を通り過ぎていく影。軽くなったジャージ。喪失感に、全身が急速に冷えていく感覚を覚える。
「美也ちゃんも心配して、ずっと探してたんだよ?」
「ご、ごめんなさい! 心配かけて」
「ううん。独りにしたチカたちが悪いんだよ。戻れて良かった」
「あ……。助けて……もらった、の」
秋田に小さく返して、俺を振り返る彼女と目線が合った。
「土岐くんが、涼香ちゃんを?」
秋田の声が、やけに遠くに感じる。
上目遣いの彼女の視線に、俺の全ての意識は向いてしまっていたからだ。
「あの、ありがとう。すごく助かりました」
少しはにかんで告げられた、彼女からの言葉。俺だけを見て。俺だけに向けられた言葉。
この子との時間は終わって、喪失感だけが残ったと思ってた。俺の印象は良くないはずだから。
けど、違うよな?
こうして、俺を見上げてくれてるこの瞳には、嫌悪の感情は見られない。なら、もう少し――。
「――白藤さん」
「あ、はい」
周囲がざわめいたのを無視して、さらに続ける。
「次にサービスエリアで降りる時は、スマホを持って出たほうがいいよ」
「え、スマホ? あっ! 私、持ってた! 持ってたのにっ」
ポケットを触って慌てている様に、目元が緩む。
知ってる。
一緒に歩いてる時に、ポケットの先から覗いてるのが見えてたからな。
きっと取り乱して、その存在を忘れてしまってたんだろう。そんなところも可愛い。
「あの……ごめんなさい」
スマホを取り出して、秋田と俺を交互に見ては、申し訳なさそうに眉を下げてるさまが可愛らしい。
「ふふっ……なら、次は安心できるね?」
自然と零れ出た笑みだった。
そんな俺を見て、彼女と秋田が固まり、さらに周囲が急に静かになった。
それら全ての反応の意味がわかっていながら、笑ってる自分に違和感を全く感じない。この子が可愛すぎて、勝手に口元が綻ぶんだ。仕方ない。
だって、こんなに愛らしいんだぞ?
嫌われたくないから、距離は慎重に測る。
けど、自然と滲み出る感情は、そのままでもいいだろ? 抑えるなんて、到底無理なんだから。
ふと視線を周囲に伸ばすと、こちらへ駆けてくる笹原の姿が視界の端に入った。それを目線で秋田に知らせる。
「秋田。これで全員集合ならバスに戻ろうか」
「あ、そうだね。涼香ちゃん、行こ?」
「う、うん」
笹原と合流して、また謝ってる彼女を少し離れて眺めながら、後ろに続く。
風が、また吹いた。
もう春も終わりだというのに、ちくりと肌を刺す冷たさをはらんでいる。これから向かう雪山からのおろし風だろうか。
風に煽られながら、両手を見る。
細い手首を掴んだ右手。光る頬に添えた左手。もう、とっくに乾いてるのに、涙で濡れた感触が消えない親指。
熱い。
じんと、いまだに熱さが籠もるその指を中にぐっと握り込んで。見つめるのは、少し明るさを取り戻したように見える彼女の後ろ姿。
また、自然と笑ってる自分。
決めた。
——もう少し、心のままに接してみよう。
新たな決意を胸に落とすと、何だか肩の力が抜けたような気がした。
10
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活
まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開?
第二巻は、ホラー風味です。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。
この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
恋人、はじめました。
桜庭かなめ
恋愛
紙透明斗のクラスには、青山氷織という女子生徒がいる。才色兼備な氷織は男子中心にたくさん告白されているが、全て断っている。クールで笑顔を全然見せないことや銀髪であること。「氷織」という名前から『絶対零嬢』と呼ぶ人も。
明斗は半年ほど前に一目惚れしてから、氷織に恋心を抱き続けている。しかし、フラれるかもしれないと恐れ、告白できずにいた。
ある春の日の放課後。ゴミを散らしてしまう氷織を見つけ、明斗は彼女のことを助ける。その際、明斗は勇気を出して氷織に告白する。
「これまでの告白とは違い、胸がほんのり温かくなりました。好意からかは分かりませんが。断る気にはなれません」
「……それなら、俺とお試しで付き合ってみるのはどうだろう?」
明斗からのそんな提案を氷織が受け入れ、2人のお試しの恋人関係が始まった。
一緒にお昼ご飯を食べたり、放課後デートしたり、氷織が明斗のバイト先に来たり、お互いの家に行ったり。そんな日々を重ねるうちに、距離が縮み、氷織の表情も少しずつ豊かになっていく。告白、そして、お試しの恋人関係から始まる甘くて爽やかな学園青春ラブコメディ!
※特別編9が完結しました!(2026.3.6)
※小説家になろう(N6867GW)、カクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、感想などお待ちしています。
隣の家の幼馴染と転校生が可愛すぎるんだが
akua034
恋愛
隣に住む幼馴染・水瀬美羽。
毎朝、元気いっぱいに晴を起こしに来るのは、もう当たり前の光景だった。
そんな彼女と同じ高校に進学した――はずだったのに。
数ヶ月後、晴のクラスに転校してきたのは、まさかの“全国で人気の高校生アイドル”黒瀬紗耶。
平凡な高校生活を過ごしたいだけの晴の願いとは裏腹に、
幼馴染とアイドル、二人の存在が彼の日常をどんどんかき回していく。
笑って、悩んで、ちょっとドキドキ。
気づけば心を奪われる――
幼馴染 vs 転校生、青春ラブコメの火蓋がいま切られる!
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる