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第四章
天花舞う【4−2】
しおりを挟む「はーい。皆さん、お疲れ様でしたー。これは、お土産ですよー」
俺たちが洗い物を終わらせたすぐ後、先生から全員に小さな紙袋が渡された。
「そば粉で作ったスイーツよ。もちろん、私の手作りでーす。クッキーとパウンドケーキ、すっごく美味しいんだから!」
指を一本立てて何故か自慢げな先生の周りに、レシピを教えてほしいと女子メンバーと秋田が集まった。
レシピのコピーらしき紙を皆と一緒に見ている姿を微笑ましく見ていると、山田が近寄ってきた。苦しそうに腹をさすっている。
「おい、土岐。お前だけ楽してエンジョイなんて、ずりぃぞ」
「は? 何のことだ」
「蕎麦だよ、蕎麦! 俺、自分たちの分を食い終わった後に秋田が打った十割蕎麦まで食わされたんだぞ?」
気持ち悪ぃ、とテーブルに突っ伏して、横目で俺を見てくるが、お前が勝手に食ったんじゃないのか?
「断れば良かっただろ」
「んなこと出来るわけねぇじゃん! お前、女の集団の中に男一人で混ざってみろよ! うっ、うう……」
声を張り上げて気持ち悪さが増したのか、また突っ伏している。
「あの先生、ひでぇんだよ。秋田に作らせて満足したら、『ここは成長期の男子の出番よ! ペロリといっちゃって!』なんて無茶ぶりしてきてさぁ」
女の集団に男一人って……。お前以外に秋田も居ただろうが、と思いつつ、もうノーコメントだ。
きっと、あの先生に強引に押しきられたんだな。
泣いてるのか吐きそうになってるのか、どっちとも取れるリアクションで情けない顔の山田に、何となく同情めいた気持ちが湧いてしまった。
まあ、その……全然気づけなくて悪かったな。
山田の肩をポンと叩き、脱力したその顔を覗き込んだ。
「悪かった」
周りのことなんて、視界には入ってきてたが、気にもとめてなかったからな。
「くっそう。お前だけ楽して、しかも良い思いしやがってぇ。くそぅ。もう俺、当分、蕎麦は食わねぇ。てか、食えねぇ」
良い思い、か。
まあ、確かにな。ここでの貴重な時間で、彼女に嫌われてはいないことは確認出来た。これは、俺には一番の収穫だ。山田には悪かったが。
「後で、胃薬やるよ」
「うー。今、飲みてぇ」
「荷物の中なんだから、部屋に戻るまで我慢しろ」
ポンポンと二度、肩を叩いて宥める。
「俺さぁ。さすがに三人前はきつかったからお前も呼ぼうとしたんだよ。したら秋田がさ、『今、土岐くんを呼ぶのは絶対、駄目!』とか言って、結局俺が一人で食わされる羽目になったんだぜ」
「……ほぅ」
秋田……なかなか良い仕事するじゃないか。
「ねぇ、S顔くん?」
不意の呼びかけに、背すじを伸ばして驚いてしまった。
声の主。山田とは反対側、俺の座ってる椅子に片手をかけてしゃがんでいるのは、当然ながら蕎麦打ちの先生。
「何ですか?」
「ふふっ。君って、驚いた顔も無表情なんだ。面白いねー」
少し顎を上げてニンマリしてるその顔を、座ったまま見下ろす。
「余計なお世話かもしれないけど、君にちょっとだけアドバイスしとこうと思ってね」
「アドバイス、ですか?」
「そう。ま、本当に大切なことはわかってるみたいだから、念押しみたいなもんだけど」
告げながら、左手の人差し指を伸ばして俺の顔の前に止めた。
何だ?
そのまま立ち上がって、すっと腕を伸ばし、水平に左に九十度移動。
「見て?」
ピンと伸びた人差し指が指し示した先に、視線を向けると、目が合った。こっちを見ている彼女と。
おい、先生。あの子を指で指すな。
「目線はそのままにしといてね?」
いったい何をしたいのかと思う間もなく、肩にかかった重み。椅子の背もたれに乗せていた右手を先生が移動させたんだ。俺の肩に。
「ひと言だけだから、よく聞いて?」
耳元まで声が近づいてきた。
「〝ちゃんと確認〟すること」
は? 何だ? 確認?
反射的に先生の顔を見たら、かなりの至近距離だったが、その真意を探るべく目線は外さない。
「こら! 目線はあっちでしょ?」
しばらく見つめた後、頬に手が添えられて、くいっと顔の向きを戻された。
「わかった? 私が言ったこと、忘れないでね?」
背中をポンと一回、軽く叩いてから、その人は離れていった。胃薬をやる、と山田を連れて行ったんだが、もうその後ろ姿は見なかった。
彼女からの視線。その表情に、意識の全てが持っていかれていたから。
彼女と絡み合った視線。スマホをぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに俺を射抜いてくる視線。
いつにないその力強さに、息苦しささえ覚え始める。
胸が熱い。彼女に見られてる。強く、強く。
そう思うだけで、じわじわと込み上げてくるこの感情は、何だ?
その視線が皮膚から侵食して、内側まで徐々に熱く焦がしていく。それをただ、震える思いでじっと感じ続けるだけ。
永遠にも思えたその時間は、ほんの十数秒間だったようだ。
横から話しかけられて、俺から一瞬逸らされた目線。それがもう一度戻ってきたときには、力強さは既に消え去っていた。
俺の隣に戻った横顔にさっきの面影を探し求めるが、もうどこにも見当たらない。
そして、静かに微笑む彼女を黙って見つめるだけの時間が、ゆっくりと過ぎていった。
「みいこ先生。ご指導、ありがとうございました!」
「どういたしまして。私も楽しかったわ。君たち、かなり優秀だったもの。こちらこそ、ありがとう」
先生の前にメンバー全員で並んだ後、班長として代表で挨拶した秋田に、にこやかに返事が返される。
「みいこ先生、楽しかったです」
「先生、胃薬サンキュー!」
「お土産、ありがとうございました」
「みいこ先生、お元気で!」
続いて彼女たちも挨拶をして、皆で順番に外に出て行く。
「ありがとうございました」
「ありがとう。――またね」
最後に俺が挨拶した時、『またね』と聞こえた気がしたが、その時にはもう戸を半分以上閉めていたから、聞き間違いだと思うことにした。
明日からは、スキー講習だ。明日も彼女と一緒に班行動が出来るんだと思うと、気持ちが弾んでいく。
俺が、学校行事でこんな気持ちになるなんてな。自分でも信じられない。
先生の発言で気になることもあるが、その時の俺は、もう会うことはない相手よりも、これからのことで頭がいっぱいだった。
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