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第五章
君に、捕らわる 【9−3】
しおりを挟む不意をつかれて、何の受け身も取れないまま倒された身体。雪がクッションになってくれたお陰か、全身への衝撃は思ったほどではなかったけれど。倒れた瞬間に跳ねて顔に飛んできた雪が、唇で止まって冷たい。
俺、何でこんな目に合ってるんだ?
「いつから?」
怒りからか、目の前の人が低く発した声は震えている。両肩を掴まれていた手が二の腕に下りてきたのを感じて、これまでかと観念した。
「午後一番の滑降の時です」
「ちょっと君ねぇっ! あぁ、もうっ」
声を張り上げかけて。首を振りながら言葉が叩きつけられるように途切れた。
「どうして?」
一転して、呟くように小さな声が漏れてくる。
「君、どうして、怪我してることを言わないの?」
泣きそうな表情に、胸をつかれた。
確かに、転倒した花村と衝突するのを回避するために、わざと山側にぶつかったが。これくらいの打ち身。多少痛みはあるものの、バスケをやっていれば強い当たりをくらった時と同じレベルだ。
内出血程度だと思うし。帰ってから、アイシングなり手当てすればいいと判断した。先生に何も言わなかったのは、最後まで普通にやり通せると思ったからで。こんな風に心配そうな表情をさせるとは思ってもみなかったんだ。
でも、どこでバレたんだ?
とは言え、ここは全面的に俺が悪い。
「勝手に自己判断を下したこと、軽率でした。すみません」
頭を下げるのに、倒されたままでは格好がつかないし、非礼だ。肘をついて、少し身体を起こして。サングラスを外してから謝罪した。
しかし、冷たい。この体勢にさせられた意味が全然わからない。なぜだ? 取りあえず、そろそろ先生にどいてもらいたい。
「あの、せん……」
「――って」
ん?
「……って! ……ちゃん!」
誰か呼んでる? どこだ?
「待ってっ」
風の音に紛れて、途切れ途切れに届いてくる声。その元を確かめようと、ゆるりと首を回した。
「待って! 涼ちゃん!」
その声を聞く前に、視界に飛び込んできた薄桃色。
眼鏡をかけてなくても。絶対に見間違うことのない、恋しい相手。
雪原を駆ける彼女と、その彼女の名前を叫びながら追いかけているアキラの姿が目に入った瞬間。弾けるように身体が動いていた。
どうやって身体を起こしたのか、全然記憶にない。気づけば、風に乗って滑っていた。ただ真っ直ぐ、彼女に向かって。
遠目に見えていた薄桃色の姿が、こちらに向かってきているのをはっきりと視認する。
何で、こんなところに居るんだ? どうして君は、痛いはずの足を引きずってまで雪の中を駆けてる?
いや、どう見ても、アキラから逃げてるようにしか見えないじゃないか! アイツっ! 何してるっ!
ほんの数十メートル。滑って行けば、十秒もかからない距離。なのに、もどかしいくらいに、遠く遠く感じる。
こんな刹那の間にも、彼女に対する想いが、熱く渦巻くのを感じて。そして、それを伝えていないことへの激しい後悔がぐるぐると脳裏を巡るくらいに。
もう少し、あともう少しで。君に届く!
――ザシュッ!
雪を跳ね上げて、彼女のすぐ横に回り込んで止まった。間髪入れず、身体を捻る。
――ビュンッ!
「う、わっ!」
追いついて、彼女に手を伸ばそうとしていたアキラの手首の上、スレスレの位置。そこに剣道の小手の要領でストックを振り下ろした。
「離れろ」
怒りで、目の奥が熱い。渦巻く全ての怒りを込めて。ぎろりと睨みつけた。
「この子に触れるな」
更に、ストックの先を喉元に向けて威嚇する。とにかく、少しでも彼女から離したい。
アキラが無言のまま、数歩後ずさるのを見届けて。急いでスキー板を外して、彼女の前に立った。
泣いてる。
何でこんなに? と思うほど。両の目から溢れ出た涙がはらはらと流れ落ちて。その頬を濡らして白く光らせている。
桜色の唇は、漏れ出る嗚咽で絶え間なく震えて。そこから零れた、か細い声が。
「と、土岐、く……」
俺の理性を焼ききっていた。
涙で光る頬に、そっと手を添える。冷え切った肌と、そこに流れる涙を直に感じて。
なぜ、ロッジに居るはずのこの子がここに居るのか、とか。こんなに泣き腫らすなんて、どれほどの怖い思いをしたのか、とか。どうやって慰めればいいのか、とか。色んな思いが、一瞬の間に脳裏を駆け巡ったけれど。決壊した理性は、別の言葉を吐き出させていた。
「好きだっ」
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