花霞にたゆたう君に

冴月希衣@商業BL販売中

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第五章

君に、捕らわる 【11−2】

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「ねぇ。『ここじゃ、嫌』なのは、わかったけど。ちょっとだけ、俺の我が儘も聞いてくれる?」
「えぇっ? なっ、何でしょうかっ?」
「我が儘っていうか。お願いしたいこと、なんだけど」
「は、は、はい!」
 わざと低く囁けば。ぴきん、と音がしそうなくらい、背すじが伸びた。
 可愛すぎな反応に、口元に悪い笑みが浮かぶのを止められない。抱きしめといて良かった。こんな顔、見られるわけにはいかないからな。絶対に。

「簡単なことだよ。これからは、名前で呼んで?」
 少しだけ身体を離し、顔を覗き込みながら、お願いの内容を伝える。
「え? な、名前?」
「そう。土岐くんじゃなくて、下の名前。俺の名前、知ってる?」
「あ、えと……うん」
「じゃ、呼んでみて?」
「えっ、今?」
「うん、呼んでみて?」
 見上げてくる驚いた表情に、にっこりと告げれば。
「え、えと……奏人、くん?」
 本当に小さな声で、更に尻すぼみになりながら、呼ばれた。疑問符つきで。
「は、恥ずかしいっ!」
 その後、両手で顔を覆って、ふるふると身体を揺らしている。身悶えるように。何これ、俺が恥ずかしいんだが?
 けど、ここで手は緩めない。
「『くん』は要らない。呼び捨てがいいな」
「えっ?」
「『奏人』って、呼ばれたい」
 目をまん丸に見開いて、俺を見返す表情。半開きの唇がぷるんと揺れて。かすかに震えてる様までが愛らしくて堪らない。
「ほら、呼んで?」
 俺を誘う、可愛らしい唇。そこに手を伸ばしたい衝動をぐっと我慢して、ニット帽に隠れた耳元に指を添える。
「お願い。呼んで? ――涼香」
 反対側の耳に、愛しい想いの全てを込めて。彼女の名前を声に乗せて届けた。
「もう……それ、ずるい」
 頬を軽く染めた名残。そこに、一瞬で瞳が潤んで、彼女の心情が露わになる。緩く首を振る様が愛しくて。愛しすぎて。
「涼香?」
 駄目押しするために口にした名前は、吐息とともに、かすれた音にしかならなかったが。
「……か……かな、と」
 直後、俺の名が澄んだ声に乗せられた。満足感が、歓びとともに身体中に染み渡っていく。
 この声で名前を呼んでもらえたら、どんな気持ちになるんだろうなんて思っていた昨日の俺に、今の気持ちを教えてやりたい。嬉しすぎると、陳腐な言葉しか思い浮かばないことも。

「ん。嬉しい。これからずっと、そう呼んでね」
「うん」
 すっと、に込めた俺の想いを、しっかりと受けとめてくれたのがわかる。ピンクの手袋が、泣き笑いの表情になった俺の頬を、そっと優しく撫でたから。
 頬を撫でてくれる優しい手。そこに、そっと手を重ねて包み込んでみる。
 見上げてくる視線は、真っ直ぐに俺のそれと絡まって。
「あの、あのね? 私も、ずっと『涼香』って呼ばれたい……か、奏人、に」
 幸せな言の葉を、俺に贈ってくれる。ふふっ。つっかえながら、呼ばれる名もいいな。
「えと、聞いてもいい? 前に、下の名前で呼ばれるのを嫌がってるって聞いたけど。その、理由、とか……駄目?」
 すごく申し訳なさそうに。聞きにくいことを聞きますけど、という顔で質問された。あぁ、前にそんなやり取りがあったな。
「駄目じゃないよ? でも説明すると長くなるから、それはまた今度でいい?」
「え? あ、うん」
 今は、二人きりの時間が減るのが惜しくて「また今度」と言ったことで、少し寂しげな表情をさせてしまった。
「あ。けど、ひとつだけ言っとく。『奏人』って名前は、大切な人にだけ、呼んでもらいたいって思ってたからなんだ」
 安心させてあげたくて、ゆっくりと告げる。
「だから、涼香。君だけの呼び名だよ」
「……っ。か、かな、と?」
「うん?」
 頬で包み込んだ手が、顔のラインをなぞりながら、ゆっくりと下りていく。その手が、襟元をきゅっと掴むのを追いかけて、またそっと捕まえた。

「奏人?」
「何?」
 感極まったような表情で、俺の名が紡がれる。
「奏人。奏人っ」
「うん。――涼香」
 もっと、呼んで?
「ずっと、ずっとっ。私に呼ばせてね?」
「もちろん。というか、君にだけ呼ばれたいんだ」
「うん。ね、奏人?」
「何?」
 ふと。顔を寄せてきた彼女の吐息が、耳にかかる。
「大好きっ」
 内緒話のように潜められた可憐な声の威力は、破壊力抜群だった。不意打ちすぎたのと、余りの破壊力に反応が遅れた。
 が、それはほんの刹那で。穏やかな愛しさでいっぱいだった俺の心は。
「涼香。こういうの、反則って言うんだよ」
 一瞬のちには、血がたぎるほどに沸騰していた。
「か、奏人っ。苦し……」
「ごめん。でも、止められないっ」
 細い肩に覆い被さるように。力の限り、かき抱いて。その体温を。存在の重みを。愛しさを。迸る想いのままに、腕に閉じ込める。
 俺にその身を預けてくれる、小さく柔らかな身体の持ち主は、本当に、なんてかけがえのない存在なんだろう。愛しくて堪らない。
「あっ」
 かき抱いたまま、こめかみにそっと唇を押し当てた。


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