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第七章
花霞にたゆたう君に−To the future−【2−3】
しおりを挟む『涼香に提案。今日一日、お互いの名前を噛んだり、うっかり名字で呼びかけたりしたら、その度に頬にキス一回ってことにしよう。これは、ふたりともに共通の罰ゲームだよ』
ただ単に、困ってる表情が見たいというだけの理由で提案したことだったが。予想以上に可愛い反応が返ってきて、ついヤリ過ぎてしまうほど楽しかった。実際、あんなに何度も噛んでくれるとは思ってなかったからな。
『あっ、蝶々! 見て! あんなにたくさん飛んでるの、初めて見た!』
『本当だね。俺も初めて見たよ。一緒だね、涼香』
『あっ、そうなの? 一緒ね。かっ、奏人』
俺が、わざと「涼香」を少し強調して話すと、必ずといっていいほど、噛んで返ってきた。
『はい、今のもカウントだね』
『うぅ』
俺が呼びかけても返さなければいい話なんだが、「涼香」と俺が呼べば、必ず名前を呼び返そうとしてくれる。そして噛む。
『こうやって手で隠してるから、誰にも見えないよ。ね? 今のうちだよ。ほら、早く!』
催促すれば、ホオズキよりも赤くなった顔を勢いよく近づけてきてくれる。この繰り返しで、相当楽しませてもらった。
そんな涼香も、たった十日ほど前の出来事が嘘のように、今はその唇から俺の名がするりと出てくるようになっている。嬉しいような、寂しいような、だな。
「ねぇ、涼香。話を戻すけど」
名残惜しいが、涼香の手を解放して、体勢も元に戻す。せっかく、「優勝のお祝いよ」と涼香が買ってくれたドーナツだ。しっかりと味わわなければ。
「星空のポストカードのスポットね。あそこ、『神野山』っていうんだ」
「神野山? お山なの?」
「ん。六百メートルくらいの高さなんだけどね。この公園と同じくらい、ツツジが見事に咲き誇っていたよ」
ベンチから見えるツツジの紅白の見事さを見回しながら、記憶にある風景を思い出して、涼香に顔を向けた。
「あっ。もしかして、そのお山。この前の旅行で行ってきたの?」
「うん、そうだよ。天候にも恵まれたからね。
本当に、どこも見事な景色で――」
——君にも、見せたかったよ。最後の言葉は、飲み込んだ。
つき合いだして、間もない俺たちだ。それに、まだ中三。『君にも見せたいと思った』だの。『君を連れてきたいと思った』だの。そんな発言をして、ドン引きされるのだけは御免だ。
「ね! 星空は、どんなだったの? 夜の景色も、綺麗だった?」
「え? そうだね。星も、とても綺麗に見えてたよ」
「ふーん……そっかぁ。ねぇ、奏人?」
「ん?」
「私も、その景色見たかったなぁ。奏人と一緒に」
え?
「だって……だってね? 奈良の自然や歴史の遺産の風景は、奏人と歌鈴ちゃんの思い出がいっぱい詰まった景色なんでしょ?」
涼香。
「だから、私もその場で見てみたいなぁ」
あぁ……。
「きっと、優しい気持ちになれる、素敵なところばかりだと思うの」
この子は、本当に――。胸をつかれるって、こういうことか。
俺が口に出すことを諦めて飲み込んだ言葉を、こんなに綺麗な笑みをたたえたまま聞かされて。心に響かないはずがない。
あのスキー場で歌鈴のことを俺が話した時も、目に涙を溜めながら話し終わるまでずっと真剣に聞いてくれていた。
そんな君だから、口に出してみてもいいだろうか。〝約束〟を、してみてもいいだろうか。
「涼香。いつか……いつかでいいんだ。俺と一緒に、飛鳥に行ってもらえないかな? 涼香に見せたい景色や、一緒に過ごしたい場所がたくさんあるんだ。だから……」
「行きたいっ!」
俺が最後まで言い終わる前に、返事が返ってきた。
「私、行きたい。いつか、連れてって。約束ね、奏人」
涼香から目が離せない。「行きたいっ!」と食い気味に言われたさっきと違って、ひと言ひと言を区切るように。まるで厳かな言葉を発するかのような雰囲気で、約束を口にしてくれた。
「うん、約束するよ。必ず行こうね。涼香。――ありがとう」
俺が差し出した小指に、同じように小指が絡んで、くっと絡み合った瞬間。胸の奥でも、何かがきゅうっと音を立てて、俺の彼女に感じる愛おしさで全身がいっぱいになった。
名前を呼べば、同じように呼び返してくれる。じっと見つめてみれば、恥じらいながらも見つめ返してくれる。手を差し出せば、躊躇わずにその手を俺に預けてくれる。
少し微笑みかければ、あたたかさがぱぁっと広がるような微笑みをすぐに返してくれる。
約束を誓った小指を絡めたまま――。
「好きだよ」
心のままにその耳元で囁けば、ぴくっと背筋を伸ばすような反応の後。おずおずと、桃の花の色に染めた頬を近づけてきてくれる。
あぁ。この上目遣い、ヤバい。さくらんぼのような唇が、少し震えている。
視界の端で、その唇が俺の耳元に近づいてくるのをずっと追いかけて。かすかな吐息が耳朶に当たる感覚に、今度は俺が背すじを痺れさせる。
「わ、私のほうが……もっと、好きっ」
『――そのまんまのかっちゃんを好きになってくれる子。きっと、現れるよ?』
歌鈴、お前の言った通りだったよ。
俺の想いに。行動に。同じように想って、返してくれる女の子が、本当に現れてくれた。
正直、俺のどこを良いと思ってくれてるのかは、さっぱりわからないんだが。そんなこと、聞きたくても聞けないしな。
どんなタイミングで聞けばいいのかもわからない。そもそも、そういうことを聞いてもいいものなのか。それすら、わからん。
けど、確かに気持ちは重なっている。お互いの想いは同じだと、信じることが出来る。それはもう、疑う余地がないくらいに。
本当に、こんな出逢いがあるもんなんだな。
込み上げてくる、この気持ちは達成感だろうか。いや、少し違う気がする。
向けられた笑顔が嬉しくて、それをひとり占めしたくて堪らなくて。そして、俺を見てくれる涼香が何よりも大切で。そう思える自分が、泣きたいくらいに誇らしい。
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