花霞にたゆたう君に

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第七章

花霞にたゆたう君に−To the future−【3−1】

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「あ、五時のメロディー」
 ヴァイオリンの調べが流れ始めて、涼香が空を見上げた。
「そうだね。そろそろ帰ろうか」
 俺も同じように色を変え始めた雲に目をやっていたが、荷物に手をかけて立ち上がる。
「うん」
 この城趾公園は、学校と隣り合わせということもあってか、毎日夕方の五時と六時にメロディーが流れて、その時刻を俺たち生徒に知らせてくれている。
 今、聞こえているのは、五時を知らせるドビュッシーの『美しい夕暮れ』だ。六時にはショパンの『別れの曲』が流れる。

 傾き始めた夕陽が、柔い光を俺たちに届けてくる。薄いオレンジ色の光の中。そっと手を差し出せば、同じ色の空間から伸びてきた手がすぐに触れて、視線が絡む。
 無言で微笑み合った後、しっかりと指を絡めて、ベンチを後にした。
「あ、私。大事なこと、聞くの忘れてた!」
「ん? 何?」
 公園内にある戦国時代に築かれたという石垣の跡に沿って歩いていたが、不意に涼香が立ち止まった。
「あのね? 何が好き?」
「え?」
「お菓子! えっと種類とか、系統とか。幸音くんのお好みを教えてもらえると嬉しいんだけど」
 あぁ、リサーチか。涼香の突飛な発言や質問にも、だいぶ慣れたな、俺。
 明後日の日曜日。家に誘ったから、何か手土産をと思ってくれたんだな。
「そんなのいいのに……というか、俺の好みは聞いてくれないの?」
 別に拗ねた訳じゃない。幸音の、と限定されたことに少し疑問を抱いたから聞いただけだ。
「え? だって奏人の好みは、たいてい私とおんなじだから、聞く必要ないよね? パウンドケーキもクッキーもチョコレートも好きでしょ? 私、スキー場で聞いて、知ってるんだから」
 きょとんとした表情で、さも当たり前のようにスパッと言い切られた。「何を今更」とでも言いたげな涼香の口調に、さっきいろいろと言い訳していた自分が恥ずかしくなる。実は俺、ちょっと拗ねてたな、と。
 涼香のことになると、こんなにも心が狭くなる。
「あ、待って? もしかして私の思い込み? 勘違い? どうしよう! 実は苦手なものがあったのっ? え? え?」
「いや、大丈夫! 落ち着いて、涼香」
 わたわたと慌てだした涼香に、今度は俺が慌てる。
「大丈夫。全部、好きだよ。今日、お祝いにプレゼントしてくれたドーナツも美味しかったし」
「ほんと?」
 心配そうに尋ねてくるから、本心だとわかるように、ひと言、付け加えてみた。
「本当だよ。あ、ドーナツは涼香の手で食べさせてくれてたら、もっと美味しかったと思うけど」
「て? て、て、手?」
「そうだ。次は、それ、やってみる?」
「そ、そ、そ、それってっ?」
「はーい、もう決定! さ、帰るよ」
「えぇ? 奏人? えぇぇっ?」
 涼香の呼びかけに、笑顔だけを返して。繋いだ手を少しだけ強めに振ってから、歩き出した。

 ――楽しい。
 女子と喋って、楽しいって思ってる自分にびっくりだ。
 相手が、この子だから。そんなことは、わかりきってるけれど。涼香が俺にくれる、たくさんの〝初めて〟。それは、どれもなんて楽しくて、愛おしいんだろう。
「あ、そうだ。俺も、涼香に確認しときたいことがあったよ」
 バス停に向かって歩きながら、肝心なことを思い出した。
「え、なぁに?」
「幸音ね、今、恐竜にハマってるんだ。フィギュアとか、そういうの見るのは大丈夫?」
「えっ、恐竜ちゃん? 見たい! 全然大丈夫よ。わぁ、楽しみ!」
 ふっ。「恐竜ちゃん」って。
「大丈夫なら、いいけど。リアルな骨格標本とかもあるんだよね。それから、しつこいくらいに色々説明されると思うけど、我慢して聞いてやってくれる?」
「骨格標本? 小学生なのに、すごいね。私で分かるかな? 恐竜のこと、お勉強させてもらうわね」
「いや、涼香が普通に聞いてくれるだけで喜ぶと思うよ」
 たぶん、すごく喜ぶ。一度も会ったことがないのに、「兄ちゃんの彼女!」ってテンション上げて、旅行の土産を選んだくらいだしな。
 俺と同い年の女の子に、歌鈴の面影を探したいんだろうか。

「ね。そのフィギュアって、幸音くんが作ったものなの?」
「そうだよ。あ、びっくりするかもしれないから先に言っておくけど。アイツ、ちょっと面白いところがあってね。恐竜の種類ごとに名前をつけてるんだ」
「名前? Tレックスみたいな愛称っぽいの?」
「少し違うかな。例えばティラノサウルスには、信長。ヴェロキラプトルには、光秀とかね」
「ほ、ほほう。なるほどー。戦国武将シリーズなのね。シブくて可愛いね」
「ふっ。無理しなくていいよ」
 目を泳がせて、口元ヒクヒクさせてるのも、可愛くていいな。
「でも、名づけって、そういうものよね。フィーリングっていうか、インスピレーションがしっくりきて、『あ、ハマった』って思うのよ。うちの猫ちゃんたちも、そうだもの」
「あぁ……ターキッシュアンゴラだね。じゃあ、涼香の場合は、歌舞伎シリーズになるのかな?」
 なにしろ、飼い猫が『エビゾウとキクノスケ』だから。
「エビゾウとキクノスケ? うん、可愛いでしょ? あ、歌舞伎シリーズって呼び方、いいね! あのね。あの子たちの他にも、もうひとり家族がいるのよ。おばあちゃんの家に」
「え?」
「その子も女の子なんだけどね? まぁ、うちの子たちも活動的なんだけど、もっとお転婆さんっていうか。この前もね――」
 涼香のお祖母さんの家で飼われてるという、エビゾウとキクノスケの姉妹がいかに活動的かを一生懸命説明してくれているんだが、気になって仕方ない〝あること〟に、つい意識が飛びそうになる。
 いや。この楽しげなキラキラした瞳もとても可愛くて、俺的にはいいんだが。それよりも気になるのは、そのもう一匹の名前だ。
 メスでも構わずに『エビゾウとキクノスケ』と名づける、とんでも思考の愛しい彼女のことだ。いったい、どんな名前をつけたんだろうか。
 タマサブロウ? それともダンジュウロウ? いや、アイノスケの可能性も……。
「それでね、奏人。その時、クレオパトラがね! いきなり、ピョンって飛びついてきたのっ」
 クレ……。


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