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第三章
絶望と希望【3】
しおりを挟む完全な無表情だというのに、凶悪なオーラがプンプン。壱琉が相当お怒りだということがチカに伝わっている。
自分は何を忘れている? 壱琉は、なぜ急に不機嫌になっているのだろう。
「チッ。結局、俺から言ってやる羽目になるのか。そんな予感はしてたけどな」
端麗な容貌を歪ませ、深く溜息をついた恋人を見て、チカは何が何だかわからない。大好きなこの人を失望させるほどの何を、自分は仕出かしてしまったのか。
「まあ、いい。気遣い天使のお前のことだから、この展開の可能性も無きにしもあらず。ある程度は予測済みだったから構わない。きっと無意識に話題から逸らしてるんだろう」
あれ? いっちゃん、苦笑してるー。もしかして、そこまで怒ってない? というか、気遣い天使ってチカのこと?
「俺は優しいからな。結論から言ってやる。ちゃんと聞けよ」
「う、うん。お願いします」
壱琉の押しつけがましい口調は、チカの耳には『俺は気が短いからな。結論から言ってやる』に聞こえたが、是非、と黙ってお願いした。
「お前にやったその時計、何の機能がついてる? 言ってみろ」
「あ……」
甘い中低音の質問を聞いた途端、チカの声が途切れた。表情も口の形も、固まって動かない。
ただ、思考だけが彼の脳内で目まぐるしく動き始めた。一瞬にして思い出したからだ。自分の左手首に嵌まっている腕時計に、何の機能が備わっているかを。
「い、いっちゃん」
けれど、チカが紡ぐのは壱琉の名だけ。
「いっちゃん……いっちゃん」
それしか言えない。壱琉の質問の意味がわかったから。
「チカ、言え。お前はちゃんと言えるだろ」
「いいい、いっぢゃあぁん」
そうして、とても短気なはずの恋人が優しく抱きしめて気長に待ってくれているから、チカはようやく声に出すことができる。壱琉への答えを。
それは、〝当然知っていたけれど、チカが無意識に見ないふりをしていた記憶と事実〟。
「この時計ね、時差機能付きなんだ。いっちゃんがチカの手首に嵌めてくれた時に言ってた。——チカがいずれ海外でパティシエの修業をする時に使えるからって、譲ってくれたんだよ」
「よし、言えたな。九十点。本来なら、俺から促すことじゃなかったから十点減点だ」
やっぱりだ。時差機能付きの腕時計だと自分に言わせた理由は、これしかない。
「チカの渡欧のこと、いつから気づいてたの? でなきゃ、この話題にはならないよね?」
「最初に気づいたのは先月くらいか? 常に明朗なお前から気鬱なオーラが漏れ出ていれば、俺でも気づく。で、俺に相談できない悩みとは何かと考えたら、さくっと答えに辿りついた。念のために、お前のじいさんにも確認を取ったら、案の定、ウィーン行きが決まってたってわけだ」
「おじい様、いっちゃんに喋っちゃってたのっ?」
いつの間にーっ? チカ、聞いてないよ!
というか、おじい様、いっちゃんのこと、お気に入りだからってホイホイ喋りすぎじゃない?
壱琉から明かされた経緯にクラクラと眩暈に襲われたチカだったが、恋人の腕の中にいたおかげでふらつかずに済んだ。
まさか、おじい様ルートで海外修業の件が漏れるとは。それなら、ここひと月の自分の苦悩は何だったのか。正直、自分のタイミングで告白したかった。
ぼやきたいことは山ほどある。
「いっちゃん、ごめんなさい。自分の夢のことなのに、いつまでも告白できない意気地なしでごめんなさい。チカ、恋人失格だよね」
けれど、何をおいても、まずは大好きな人への謝罪が先決。
「なんで、そう思う? 俺と過ごす現在をお前が大切に思ってくれているから、言い出せなかったんだろ? 失格どころか、極上レベルの恋人じゃねぇか」
いっちゃん……。
「それに、大学を中退しての海外修業は生半な決断じゃない。むしろ俺は、この時点でそれを決めたお前を誇らしく思う」
「うぅ、ありがと」
ウジウジするばかりだった自分は壱琉に誇らしく思ってもらえるほどの人間じゃないけど、夢を追うための決断を認めてくれたから、弱っていたチカのメンタルはあっという間に補修されていった。
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