妖(あや)し瞳の、艶姿

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百日紅(さるすべり)の薫る朝

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 濃紺と朱鷺とき色が密に絡み合う、まだ明けきらない空のもと。
いまだ、ほんのりと残る朝靄に身をさらし、まだ暗き道をよどみなく歩を進めていく。


 見上げる空には、有明の月は見えない。


 昨夜は、新月――――朔の夜。


 朝の陽光が内裏を照らし出す頃には、糸のように細い三日月が、薄藍うすあい色の空にその白き姿を見せることだろう。


 陽の光に薄れ、消えゆく儚い美は、情緒に欠けているとよく言われる自分でさえ、惜しむ気持ちが湧いてくるようだ。


 だが、ひとりで眺めていても何の意味もないから、やはり歩く足は止めない。


 真っ直ぐに向かうのは、内裏の中ほどに位置する仁寿殿じじゅうでん
まだ暗き道のりだが、もうそこに近づいていることには気づいていた。


 さやかに吹き抜ける朝の風が、甘やかな花の薫りを運んできているからだ。


 仁寿殿の脇で、つるりとした枝を存分に伸ばしている百日紅さるすべりの木。
鼻腔をくすぐるこの薫りが、その見事な存在をはっきりと知らせてきていたから――





「――あっ、おはようございます。光成みつなり様! お待ちしておりました!」


 絢爛と咲き誇る、百日紅の花の色は、躑躅つつじにも似た中紅花なかくれない
鮮やかな花びらが美しいその樹木に近寄れば、撫子の襲の狩衣を身につけた少年が、弾けるように駆け寄ってきた。


「おはようございます。賀茂かも殿。お約束の刻限に遅れてしまったようです。申し訳ありません」


「いえ、違います。俺が勝手に、昨夜からここでお待ちしていただけなんです」


「え……昨夜、から?」


 約束の刻限に遅れたつもりはなかった。むしろ、かなり早めに着いたつもりだ。


 が、相手が既にその場に到着していたことで自分が遅れていたのだと思い、謝罪したのだ。


 すると、恥ずかしそうに目を伏せた相手から返ってきたのは、思いがけない言葉。『昨夜からここで待っていた』というのは、どういうことだろう。


 聞き間違いだろうか。いくら何でも、昨夜からというのは……。


「だって、その……憧れの光成様との秘密の逢瀬おうせだなんて、嬉しすぎて寝てなどいられませんっ」


 伏せていた目を上げ、私を食い入るように見てきた少年の頬は、真っ赤に紅潮していた。


「あの……逢瀬、ですか? それはまた、大げさなことをおっしゃいますね」


 今朝、ここでこの少年と落ち合う約束をしていたのは、お役目のためだ。
決して『秘密』でもないし、ましてや『逢瀬』などでもない。


「えっ、俺は本気なんですが。本気で光成様のことをお慕いして……」


「ですが、いかにも賀茂殿らしい仰りようですね。ふふっ」


「……っ」


 が、賀茂殿はまだ十八歳。陰陽寮おんみょうりょうに属し、将来有望と言われている陰陽生おんみょうせいとはいえ、まだまだ子どもだ。
物の言いようの間違いのひとつやふたつ、見逃してやれば良い。


 仕事の相手としては、とても有能なのであるし。


「逢瀬ではありませんが、言い間違いは誰にでもあります。それに、間違え方が可愛らしいので、私は気にしませんよ」


 この少年は、まるで弟のようで、本当に可愛らしいのだから。


「み、光成様が、俺を『可愛い』って言った。しかも、ものすごい笑顔でっ。
やった。やったぞ! うおぉぅ!」


 たまに、こんな風に何かに興奮したように真っ赤な顔でぶつぶつと呟くことがあるが、瞳がきらきらと輝いてるのも可愛らしいから、何の問題もない。


「あのっ、光成様? それでですね! 俺、光成様にお願いがあるんですが。よ、よろしいでしょうかっ」


「あ、はい。何でしょうか」


 何だろう? すごく気合いが入っている。というか、思いつめたような真剣な面もちだ


「えーと、俺たち、またふたりで組んで仕事するんですよね? それなら、俺のことは家名の『賀茂』ではなく、名で呼んでいただきたいんです」


 ん? 名で、とは?


「俺、もっと光成様と距離を縮めたくてですねっ。はっきり言えば、もっと親密になりたいんです!
だからですね、是非とも名前で呼び合いたくっ!」


 あぁ、わかった。そういうことか。


「わかりました――――真守まもり殿。これで良いですか?」


「……っ。は、はい! 嬉しいです。ありがとうございます!
俺、また頑張ります。光成様のために頑張りますからっ!」


 ふふっ。名で呼んだだけなのに、こんなに満面の笑みを見せて……本当に可愛らしいことだ。


 賀茂真守かもの まもり殿。


 以前、とうの中将様の命令で事に当たった、とあるあやかし絡みの事件をともに解決した相手。
そして、今回も同じ命令が中将様より下されている。ともに事に当たる仲間なのに、他人行儀ではいけない。


 『私のために』という言い間違いは後で訂正することにして、まずは親睦を深め合うこととしよう。


 しかし、ひとくちに親睦を深めると言っても、具体的にどうすれば良いのか、皆目、見当もつかないのが私の残念なところだな。


 無愛想な性格と辛辣な物言いが災いして敵ばかり作っている自分のことは、良く理解している。
こんな私に気さくに話しかけてくるのは、脳天気でお気楽者の同僚、源建みなもとのたける殿くらいだ。いや、待てよ……。


「光成様っ。これで俺たち、以前よりもさらに息の合った相棒として仕事ができますねっ。本当に嬉しいです!」


「……っ!」


 そうか……あぁ、そうだった。


 ここに、居た。真守殿が、居たではないか。


 年齢にそぐわないひげ面の上、態度も不遜で、口を開けば毒舌しか出なかった私。
それこそ宮中では嫌われ者の私だったが、真守殿はそんな私のきつい物言いも気にせず、ともに仕事を全うしてくれた。


 それどころか、次も私と組んで仕事がしたいと、この少年は言ってくれたのだ。


 私の仕事ぶりと心映えにいたく感銘を受けたと。とても尊敬していると。


 あの時、顔には出さなかったが、とても嬉しかったではないか。なぜ、私はそれを忘れていたのだろう。


「真守殿……えぇ、そうですね。私たちは、今も昔も、とても息の合った『相棒』ですよ」


 そうだ。この真守殿。建殿以外では、唯一、私が宮中で親しく話す相手だ。


「……っ、光成様っ。それは、これから先もずっと、という意味ですか?」


「ふふっ。おっしゃる通りですよ。これからもよろしくお願いしますね」


 いつも表情が硬いと建殿に揶揄されることの多い私だが、今この時だけは、自分が心からの笑みを浮かべていると、しっかりと自覚していた。




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