妖(あや)し瞳の、艶姿

冴月希衣@商業BL販売中

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散ずる桔梗に、宿る声 【七】

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――ひゅうっ


 尾を引くような風の音が、殿舎を吹き抜けていく。


 空の色が暗くなった途端に音を立てて吹き始めたそれは、先ほどから徐々にその威力を強めてきており――。



――ひゅうっ


「うわわっ! 風で、書状が! 待ってくれ! 大切な書状なんだ! 待てえぇーい!」


 生ぬるい風音の隙間を縫って響く至極お間抜けな声に、妙な臨場感をもたらしていた。


「みぃつぅなりぃぃぃ。簀子縁《すのこえん》まで飛んでいった書状が御溝水《みかわみず》に落ちて、こんなことに……どうしたら良いのだぁ!」


「……」


 そして、飛んでいった書状を追いかけ、戻ってきた同僚が見せてきた紙の塊に、思わず半目になる。


 元は書状であったはずの、それ。


「何をしているのですか! あれほど! 書状はきちんと束ねてくださいと! 何度も申し上げているでしょう!」


 どろどろの、ぼろぼろ。墨が滲んで灰墨色に変色した紙の塊を持ち、しょげた顔つきで泣きついてきた迂闊者に、いつも通りの怒号を飛ばす。


「すぐに書き直しなさい! 大切な書状なら内容くらい覚えてるでしょう? ほら早く! すぐに取りかかるのです! ほらほらっ!」


「はっ、はいぃ!」


 全くっ。


 私の怒号に半泣きで頷き、即座に文机《ふづくえ》に向かった人の背を見やりながら、小さく溜め息をついた。





*御溝水《みかわみず》

内裏《だいり》の殿舎や塀に沿って設けられた溝《みぞ》を流れる水。





 ついつい目線が行くのは、その首元。うなじに残っている、赤く盛り上がった傷痕だ。


 過日、妖猫の爪で引っ掻かれたその傷は、半月が過ぎ去ろうというのに、まだぷっくりと赤く腫れている。


 基射様のお話によれば、毒性は皆無。化膿もしていないということなのだが、あまりに治りが遅すぎる。


 本当に大丈夫なのだろうか。



『こんな傷、痛くも痒くもないし大丈夫だ。むしろ、本物の蚊に刺されて、ぱんぱんに腫れてしまった頬のほうを心配してくれ』



 ご本人は呑気にも、虫に刺されて片頬だけがひどく腫れている面白いお顔を近づけてこられたりなさるのだが。


 近すぎたために胸の鼓動が速まって迷惑だったから、蚊に刺されていないほうの頬をぶっ叩いて、左右均等に赤くして差し上げた。


「ふうぅ……」


 先ほどよりも大きな溜め息が、零れ出る。


 それにしても心配だ。何せ、妖《あやかし》につけられた傷口なのだ。


 いくら建殿が大丈夫だと言っていても、無理矢理にでも陰陽寮に引きずって行き、もう一度、基射様に見ていただくべきなのではないだろうか。


「そうだ。それが良い。そうしよう。早速、今日にでも建殿を連れて……」


「――光成様」


「……っ、真守殿!」


 なんという僥倖《ぎょうこう》だろうか。陰陽寮に出向こうと決めたその直後に、陰陽生《おんみょうせい》である真守殿のほうから、私を訪ねてくださった。


「あぁ、真守殿。良かった! 私、あなたにお会いしたかったのです。とても!」


 これ以上ない絶妙な間での訪問に喜び勇んだ私は、その心のままに真守殿に駆け寄っていく。


「えっ? 俺に、ですか? あの……はい、嬉しいです。俺は、いつだって光成様にお会いしたいですから!」


「おぉ、それは! 私たち、気が合いますねっ」


 簀子縁《すのこえん》から遠慮気味に声をかけてくれた人のもとへ駆け寄れば、全開の笑顔が私に向かって綻んだ。


 陰陽寮に属する陰陽生《おんみょうせい》として大人びた印象を見せる少年だが、ふにゃりと笑み崩れるさまは、年相応でとても可愛らしい。


 それに、本当にちょうど良い時機に来てくださった。


「真守殿。早速ですが、是非ともお願いしたい件が……」


「おい、光成。書き直したぞ! 見てくれ!」


 え?


「ほらほら! お前に言われた通り、さっさと済ませたんだから、光成は確認する義務はあるぞ!」


「あのっ? た、建殿っ?」


 妖《あやかし》絡みの件であることを考慮し、真守殿に身を寄せて声をひそめた私の言葉は、その途中で敢えなく途切れた。


 背後から腕を掴み、強引に殿舎の中へと引き戻そうとしてくる人の割り込みによって。


「陰陽生、悪いが出直してくれ。光成は私とふたりきり! で、大切な仕事をしている最中なのだ。はっはっはっ!」


 突然のことに呆気にとられていると、肩を掴んでいる手とは反対側の腕が私の肩越しに、にゅうっと伸びていき、ぴんと立てた人差し指と中指が左右に二回、ちっちっと振られた。


 建殿と『ふたりきり! で、大切な仕事をしている最中』という理解不能な言葉をつけ加えて。


 建殿? なぜ、そんな嘘をつくのです?


 蔵人所の殿舎には、私たちの他に、あと三人もいますし。そもそも、『大切な仕事』などではなく、あなた個人の失敗の単なるやり直しでしょうが。


 ですので、私の肩に両腕を回して背中から密着するという、この恥ずかしくて緊張する体勢から、すぐさま解放してください。


「建殿っ。今すぐ、この手を離し……っ」


「これは、源《げんの》蔵人様。お仕事中、失礼いたします。実は俺、あなた様へお渡しするようにと、叔父上からの薬を預かってきているのです」


「え?」
「なんですって? それは、まことですかっ?」



――どんっ!


「ぐふぇっ!」
「真守殿! くっ、薬というと、例の傷のための物、ですかっ?」


 建殿に向けて頭を下げた真守殿に、必死で飛びついた。


 それほどの驚きと衝撃。そして、建殿のための薬が得られた喜びだった。


「うっ……頭と背中、打った……あれ? そのせいかな? なぜか目の前が真っ暗、に……なって、いくぅ」


 だから、とてもとても邪魔だった、私の背中を温めていた相手の身体を殿舎の床に投げ落として、飛びついたのだ。


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