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参
散ずる桔梗に、宿る声 【十五】
しおりを挟む――宵の口。茜さす山の端《は》に陽が落ちた頃、私は再び内裏に戻っていた。
宮中の警衛にあたってくれている滝口の武士の詰所。そこで、再度、弓の手入れにいそしむ。
予め、邸で手入れは済ませてきているのだが、何かしていないと落ち着かないのだ。
『光成殿。真守の証言で、さらに驚くことが判明した。源《げんの》蔵人殿のことだ』
昨日、傷ついた私の足の手当てをしつつ基射様が聞かせてくださった話。その記憶がひっきりなしに蘇り、いくら精神統一を図っても、心がざわついて仕方ない。
『源《げんの》蔵人殿は攫われる直前、妖猫と何やら言葉を交わしていたらしい』
『えっ? 会話、ですか? それは、どのような?』
『わからぬ。真守がそう申しているだけなのだが。源蔵人殿とふたり、手分けして妖猫を探していたところ、蔵人殿のほうに妖猫が現れたそうだ。そして、気配を察知した真守がその場に駆けつけた時、既に蔵人殿は妖猫に押し倒され、地に仰向けになっていたという』
『仰向けに? 妖猫に傷つけられたということでしょうか』
『それも、わからぬ。ただ、その場に血痕は残っていなかった。話の続きに戻るが、蔵人殿を助けるべく駆け寄る最中、真守は見たそうだ。妖猫に押し倒された蔵人殿は、必死な様子で何かを叫び、妖猫にしがみついていたという。そうして、虎が猛り吠えるような鳴き声を上げ、巨大化した妖猫によって口に咥えられ、攫われてしまったということだ』
「……っ……建、殿っ」
声が漏れぬよう、唇を噛みしめる。
基射様に聞かされた建殿の話は、幾度脳内で反芻しても不可解極まりない。
が、人目がある場で、動揺する姿を晒すわけにはいかない。
既に一度、裸足であちこちを駆け回り、騒ぎを起こしたことで、私は頭《とうの》中将様の叱責を受けてしまっているからだ。
どうして? なぜ?
つい、口をついてしまいそうになる建殿への問いかけを、懸命に飲み込む。
でなければ、噛みしめた唇から、いくらでも恨み言、繰り言が漏れ出ていってしまう。なぜ、私に黙って勝手なことをなさったのか、と。
けれど、こう思うのは私の驕りなのだろう。
建殿のお身内の皆様は、私などよりも遥かに多くの御心痛を抱えておられるのだ。
が、お父君の源参議《げんのさんぎ》様は、頭《とうの》中将様からのご報告を受けられた時、私のように取り乱したりはなさらなかったと聞く。
ご沈痛な面もちながらも、主上《おかみ》のため、建殿の奪還よりも妖猫退治を優先してほしいと話されたとか。
通う女人を他所に持たず、伊勢の斎宮《さいくう》を退下《たいげ》した北《きた》の方のみを溺愛なされておられる参議様にすれば、建殿は何にも代え難い大切なお子であるはずなのに。
そのご心中を察すれば、私などが大っぴらに嘆いていいはずもない。単なる同僚にすぎないのだから。
けれど、なればこそ、蔵人の藤原光成として、私は建殿を取り戻す。
思い込みの固い殻に閉じこもり、付けひげで武装していた私に、そんな必要はないと素顔を晒すように諭してくれたのは、あの人だ。
建殿がいなければ、今の私はいない。あの人のおかげで、私はここで“生きて”いられる。
だから必ず取り戻し、再び私の隣に――。
「――お待たせしました。光成様、参りましょう」
「はい、真守殿」
滝口の詰所を待ち合わせにしていたことの礼を武士たちに述べ、迎えに来てくれた真守殿とともに篝火の横をすり抜けた。
詰所を出れば、もう黒闇《こくあん》の夜陰が広がるばかり。
その中を、迷いなく進む。目指す人の姿、気配。何ひとつ見逃しはしないという気合いで精神を満たしながら、一歩、また一歩、と――。
*北《きた》の方
公卿・大名など、貴人の正妻の敬称。
「それにしても、源《げんの》蔵人様には、ほとほと困らされました」
「え……」
辺りに気を配りながらの歩みの途中、溜め息混じりの声が唐突に届いてきた。
「困らされた? どういうことです?」
真守殿の声色に少しの引っかかりを覚えたものの、建殿についての話題であるため、すぐに問いかけてしまう。
「はぁ。実は、昨夜は俺ひとりで妖《あやかし》退治に出向こうと思ってたんですよ。それなのに、あの方が突然陰陽寮に押しかけてきて、『もしかして、単独で妖猫の探索に行くつもりではないのか。もしそうなら自分も連れていけ』としつこく食い下がってこられて。根負けして連れていったら、あれですよ。全く」
「……あれ、とは?」
「光成様は、叔父上から経緯をお聞きになられたのですよね? 源蔵人様が妖猫に押さえつけられていた時、俺は捕縛の術を妖にかけようとしたんです。それなのに、蔵人様にそれを邪魔されました」
「……っ」
「蔵人様が妖にしがみついて離れないから、術を発動することが出来なかったんです。あの方さえ出しゃばらなければ、妖を捕らえることが出来ていたのに、本当に残念です」
――ぴたっ
たゆまず進めていた歩みが止まった。いや、止めたのだ。
「真守殿」
夜陰に、自分のものとは思えない、低い声が放たれていく。
「あなた、本当に陰陽生《おんみょうせい》ですか? そのような物の見方、存念しか持たずに陰陽師を目指しておられると?」
歩みは止めたが、その代わり、口の動きが止まらない。
「なんと恥ずかしい。聞いているこちらが恥ずかしい言葉ばかりでしたよ。その上、年長者を見下しきって、ご自分の無能の言い訳に使っている。とても気分が悪い」
後から後から、言葉が奔流のように溢れ出てくる。堪えようのない怒りとともに。
「先程のおっしゃりようは何ですか? 『あの方さえ出しゃばらなければ』とおっしゃいましたね」
止まらない。
「出しゃばって何が悪いのです。相手は妖《あやかし》ですよ? 必死になって当たり前。建殿が妖猫にしがみついていて術をかけるのに邪魔だったなら、あなたも同じようにしがみつけば良かったではありませんか」
わかっている。年少の相手に、これ以上言ってはいけない。それは、わかっている。
けれど、勝手に唇が言葉を紡いでいく。頭に血がのぼってしまって、自分では止められないのだ。
「接近して、それから術をかければ良かっただけなのでは? ご自分の機転が利かないのを建殿のせいにしないでいただきたい!」
「あ、あの……」
「そもそも、妖猫退治は、個人の手柄にするために行うものではありません。年少のあなたを諫めるべき建殿がそれをせず、ふたりだけで退治しようとしたことは、確かにあの方を咎めなければなりません。けれど、妖《あやかし》相手の術を使える真守殿が、素人の建殿を庇いきれなかったことも反省せねばならないことなのではないですか?」
「光成様……」
「まんまと目前で攫われてしまったにも関わらず、あなたはそのことを反省すらしていない。妖猫に捨て身で向かった建殿に対して、ご自分のことはいかがお思いか、とくとお聞かせ願いたいものです」
怒気を含んだ声音で、きつい視線まで送ってしまう。
弟のように可愛がっていたはずの真守殿であるのに。この少年には隠していたはずの辛辣な本性を露わにして、きつく追及してしまっている。
結局、私にとっての大切なお方は、ただひとり。建殿だけなのだ。
「みっ、光成様! ですが、光成様も以前、おっしゃっておられたではありませんか!」
ん?
「源《げんの》蔵人様のことを、『いつも迷惑をかけられている単なる同僚』だと、はっきりと口にされてましたよ。それなのに、なぜあの方のことは庇い立てして、俺だけをそのようにお責めになられるのです? 実際に、俺も迷惑をかけられたんですよ」
あぁ、そうか。あの時の私の言葉を鵜呑みにしていたのか。それで、今の態度に繋がった?
では、私にも責任はあるではないか。
「真守殿。確かに、建殿は“いつも迷惑をかけてくれる単なる同僚”です。その上、今回はとても軽率。浅慮から妖猫に攫われてしまわれました」
「そっ、そうですよね。それなら、俺の気持ちもっ……」
「ですが、その迂闊さを咎めるのは、私の仕事です。あなたではない」
「え……」
「私にひと言の相談もなく勝手に出かけて、あまつさえ攫われて行方不明。そんな間抜けで、人に心配ばかりかける罪作りなあの人を叱りつけてお仕置きしていいのは、私だけです。そのためにも、一刻も早く見つけ出さねば!」
「光成様。お顔が……目が、怖……」
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