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参
散ずる桔梗に、宿る声 【十四】
しおりを挟む「たっ、建殿! 建殿は、どこですかっ?」
こんな話を聞かされて、じっとしてなどいられない。
取りすがっていた基射様の袖を離し、弾けるように身を翻す。
「建っ……建殿!」
渡殿《わたどの》を駆けていく。想う相手の姿を求めて。
どこだ? どこに行けば、あなたに会える?
「建殿!」
行き交う方々が、取り乱した私の様子を見て驚いている。が、そんなことは些細なことだ。今の私にとって重要なのは、建殿の行方と、その身が無事であるということだけ。
「建殿!」
あぁ、そうだ。建殿が行方知れずになったという場所を聞き損ねているではないか。それを聞かないと話にならないというのに。私はなんという馬鹿者か。
しかし、基射様のもとに戻ってお尋ねしようにも、もう引き返せない。建殿を求める気持ちが強すぎて、今さら足を止められないのだ。
「建殿! 建殿っ!」
焦燥に突き動かされたまま渡殿《わたどの》から飛び降り、紫宸殿《ししんでん》前に出る。どこに行けばいいのか、わからない。ただ、建殿の姿を求めて、名を呼ぶ。
「建殿、どこですっ? 出てきてください!」
呼びながら、今まで妖猫と遭遇した場所全てを駆け回った。
「建殿っ! なぜ、どこにも居ないのですかっ!」
けれど、求める姿はどこにも見つけられない。
目に映るそこかしこに、呑気に笑う建殿の面影が残っているというのに。本人だけが居ないのだ。どこにも。
「……っ、嘘、でしょう? 行方知れずだなんて……嘘に決まってる!」
だが、声を限りに叫ぶしかない。
本当は、わかっている。建殿は妖猫に攫われた、と基射様がおっしゃられていた。それならば、私がしていることは、きっと無駄なことだ。
それでも、今の私には、こうすることしか出来ない。これしか、出来ない……!
「建殿、どこですかっ? お顔を見せてください! 建殿ーっ!」
「光成殿」
――ぴくんっ
私の叫びは、そこまでだった。
「落ち着きなさい。あなたがそんなことで、どうする」
柔らかな低音に諭され、その相手の手が背中に、とん、と触れた瞬間。混乱状態でぐちゃぐちゃだった思考が、すーっと明瞭になっていった。
陰陽の術のひとつなのだろうか。まるで、夢から一気に覚醒したような感覚だ。
「基射様……。ですが、無駄だと承知していても、私は探したいのです。そうせずにはいられないのですよ」
が、私にとっての悪夢はまだ続いている。そのせいか、気がつけば、素直な心情をするりと口にしてしまっていた。
「それも、よくわかる。真守が言っていた。『源《げんの》蔵人様の人柄を知れば、常に彼《か》の人を気にかけ、補助をしている光成様は平静ではいられないだろう。まことに申し訳ない』と。ふたりは、同じ務めに励む、なくてはならない仲間同士なのであろう?」
しかし、私がうっかり漏らしてしまった本音は、上手く誤解してもらえたようだ。
「だからこそ、光成殿には今後の捜索のためにも冷静になってもらいたい。沓《くつ》も履かずに素足で内裏中を駆け回るなど、してくれるな」
「あなたは大事な戦力なのだから、怪我などされては困る」と続けてくれた基射様が、手にしていた浅沓《あさぐつ》を私の足元に置いた。
私の沓だ。沓を取りに戻る余裕などなかったから、素足のまま渡殿《わたどの》から飛び降り、そのまま駆け回っていた。
そうして、枯れ枝や小石を散々に踏みつけ、血だらけになった両足の手当てをしてくださると言う基射様に甘えながら、建殿が妖猫に攫われた経緯について聞かせていただくことになった。
動揺のあまり、うっかりしていたが、それもきちんと把握しておかねばならない。建殿の身に、何が起きたのかを――。
「源《げんの》蔵人殿が真に物忌《ものい》みであったかどうかは、定かではないのだが。真守の話では、昨夜、妖猫を捕らえるべく、ふたりだけで談合。ともに出かけたということだった」
布で血を拭い、丁寧に傷薬を塗り込んでくださる基射様の穏やかな低音が、昨夜の顛末を私に教えてくれる。
「私が、兄の護生《もりお》とともに昨夜は三条の后《きさき》様のもとに詰めることを知っていたが故《ゆえ》の行動だったようだ。陰陽生《おんみょうせい》の身で、軽はずみなことをしでかしてくれたものだ」
三条の后《きさき》様とは、先々代の帝の中宮《ちゅうぐう》で、今上《きんじょう》の御生母。
国母《こくも》として後宮一の権威を誇られておられるこの御方が、昨日、物忌《ものい》みに入られた。
このため、基射様を始めとして、主だった陰陽師全てが三条の后様のお住まいである麗景殿《れいけいでん》の傍近くに詰めることになり、昨夜の妖《あやかし》退治は取りやめとなっていたのだ。
基射様のご説明では、真守殿はその機に乗じて単独で妖退治を行い、手柄を立てるつもりだったということらしい。
そして、その真守殿の計画に建殿も加わっていた。この事実から推察するに、昨日、建殿が物忌みだからと出仕しなかったのは、そのための嘘だったとしか思えない。
我ら蔵人も、昨夜は宿直《とのい》所に詰めていなければならなかったのだから。
そうすると、真守殿と妖退治には行けなくなる。だから、宿直《とのい》せずに済む言い訳として物忌みだということにした。
基射様のお言葉を重ねるようだが、なんと浅はかな……。
建殿。あなたは、なんという軽率な行動をなさったのですか。
私にひと言の相談もなく、浅慮から妖猫に攫われてしまわれて……私は、本当に悲しいです。
けれど、必ず取り戻しますよ。あなたを。
そうして、二度と私に内緒で何かをすることがないよう、きつくきつく!
きつーく! お仕置きをして差し上げます。
待っておいでなさいっ!
*
「光成様、集めてまいりましたー。これくらいで、よろしいですか?」
聞き慣れた明るい声に振り向けば、私の従者が、抱えていた竹籠の中身を見せてくる。少し深めのその籠の中には、ごつごつとした形の木の実が。
「あぁ、たくさん取ってきてくれたね。ご苦労。では、指示通りに振り分けてくれ」
「かしこまりました。半分は魚肉団子に混ぜて、残りは麻袋に入れるんでしたよね」
「そうだ。それから武弥《たけや》。戻ってすぐのことで悪いが、木の実の作業は下働きの者に任せ、お前は一条まで使いに行ってくれ」
「あー、一条というと、弓打《ゆみうち》の爺さんですか? あの人、偏屈だから苦手なんですよねー。でも、光成様の御用なら、武弥、頑張って行ってきます!」
「ふふっ、頼むよ。先日依頼した特注品があったろう? あれが出来上がっていたら引き取ってきてほしい」
私が『一条』と口にした途端に、くしゃっと顔を歪めた武弥であったが、口調は一貫して明るく、きびきびとした動作で下がっていった。口達者なお調子者は、苦手だという偏屈爺さんのところでも、しっかりと私の用を務めてきてくれることだろう。
「木天蓼《またたび》の実も、思っていた以上にたくさん採ってきてくれたしな。本当に頼りになる従者だ」
武弥に命じて用意したのは、猫が好むという木天蓼《またたび》。妖猫に効くかどうかは定かではないが、少しでも効き目があれば幸い。
――きゅっ
手入れの途中だった弓の弓束《ゆづか》を掴む指に、思わず力が入る。
木天蓼も魚肉団子も無駄なことかもしれない。が、使える物は何でも使う。そして妖猫に迫り、建殿の行方の手がかりを掴む。
彼《か》の人を、必ず取り戻すのだ。
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