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参
散ずる桔梗に、宿る声 【十三】
しおりを挟む「いやぁ、静かだなぁ。光成」
「そうですね」
「すこぶる平和だ。そのせいか、仕事が捗って仕方ない」
「えぇ、本当に。既に普段の二倍の量の執務をこなせています」
「いつもこうだと良いのにな。だが、それは少々、味気ない気もするか」
「おや、左様ですか? 意外です」
「まぁな。しかし、それはお前も同様だろう?」
「え?」
それまで流れるように筆を動かしていた手を突然止め、私を見てきたお方からの問いかけ。その含みのある口調に、私も同じように書き進めていた筆を止めた。
意志の強さが見てとれる、きつめの目元を、じっと見返す。
「私が執務中に背後を気にする必要がないことを味気なく感じているのと同様に、お前もいちいち小言や説教を口にする必要がない現在《いま》を、物寂しく感じているのではないか? ――今日は、建がいないから」
「……っ」
真っ直ぐ、これ以上ないほどの率直さで問われた。
私に問うてきた相手は、大江兼友《おおえのかねとも》様。建殿よりも先に蔵人になられたお方だ。
「私、ですか? べ、別に、そのような……」
「ん? そのようなことはないと? とてもそのようには見えないがなぁ。現に、何度も横に目線をやっていたのを私は知っているぞ。“いつも建が使っている文机《ふづくえ》”を頻繁に見ていたあれは、無意識か?」
「えっ? そっ、それはっ……」
言葉に詰まった。まさか、見られていたとは……。
確かに今日、参内《さんだい》していない建殿のことが気になって、表向きは冷静に執務をこなしながらも、何度もその姿を殿舎の中に探してしまっている。
けれど、そのことを素直に認めるわけにはいかない。私は、迂闊者の建殿の仕事ぶりを監視し、導き、尻拭いをするというだけの、“ただの同僚”なのだから。
「その気持ちは、わかるぞ。私も、今日は建の喚き声が聞こえないから、どこか物足りない気分なのだ」
「大江様……」
なんと言葉を返せば良いのだろう。
『その気持ちは、わかる』と、私が建殿の不在を寂しく思っている前提で話を進められている。
確かに『どこか物足りない』のは、私も全く同じ。だが、安易に同意するには、やはり躊躇われるのだ。
「おかしな話だが、あの『うわっ!』とか『しまったぁ!』という、あれを一度も聞かないのは、どうも落ち着かない。あいつがいると、いつも背後を気にしなければいけないせいで、刷り込まれているのだろうか」
「大江様、わかります。そうなのですよね。建殿は、いつもとてもやかましく。尚且つ、あの喚き声の直後には、たいてい大江様に被害が向いてますから」
「そうなのだ。昨日も、袍《ほう》を墨染めにされたからなぁ」
「あれは、ひどかったですね。持っていた硯《すずり》ごと大江様の背に転んで墨をぶちまけて……お気の毒でした」
安易に同意などできないと思っていたのだが、建殿のうっかりの被害者になることが多い大江様が相手だからか、気づけば話が弾んでいた。
「しかし、あいつがいると、多忙な中でも気持ちが和むだろう? だから、居ないと却って調子が出ないというか、寂しいというか……わかるだろう?」
「えぇ、まぁ……そういう受け取り方もないわけではない、でしょう、か?」
が、いくら話が弾もうが、素直に『寂しい』に同意などできないのが私。それでも、これは私なりに精いっぱいの賛同だ。
「建の物忌《ものい》みが早く明けて、明日には参内《さんだい》できるといいな」
「……そうですね」
それもこれも全て、あなたの元気なお顔を早く見たいからですよ。ねぇ、建殿?
*物忌《ものい》み
陰陽道で、占いや暦が凶である時や近しい人が亡くなった時、夢見が悪い時などに、身を清めるために家にこもって謹慎すること。
*
「――光成殿、まことに済まない」
「え……」
「本当に、なんと詫びてよいか、言葉が見つからず……ただただ、申し訳ない」
「基射、様?」
どうしたことだろう。なぜ、基射様が。
私よりも位階が上の基射様が、なぜ、六位の私に頭を下げたりなさっておられるのだろう。
朝一番。執務前でざわめく蔵人所に突然顔を出された基射様からの唐突な謝罪に、ただただ戸惑う。
「頭《とうの》中将様のもとには、兄の陰陽博士《おんみょうはかせ》がお詫びに伺っている。これは、陰陽寮としての失態だからだ」
しかも、主上《おかみ》の信任厚い陰陽博士、賀茂護生《かものもりお》様までが、中将様のもとへお詫びに出向かれているという。それほどの失態とは、いったい……。
「つい先ほど真守からの報告を受け、急ぎ、現場に駆けつけてみたものの、ともに行動していたという源《げんの》蔵人殿の行方は杳《よう》として知れず……」
「えっ?」
「ふたりだけで勝手に妖《あやかし》退治に出かけた上、同行者を妖に攫われてしまった真守には厳罰を与えることになるが――」
「……っ、お、おまっ……お待ちください!」
柔らかな低音が淡々と紡いでいた言葉を、必死でさえぎった。
今、なんとおっしゃった? 『源《げんの》蔵人』とは、建殿のことだ。その建殿が、真守殿とふたりで……。
「ふたりだけで妖《あやかし》退治? 昨夜は中止のはずだったでしょう? そっ、それに! 建殿の行方が知れないとは、どういうことですかっ?」
最後は、叫んでしまっていた。
高名な陰陽師である基射様が六位蔵人に頭を下げているのは目立つため、すぐに人目につかない東庇《ひがしびさし》の端に移動しておいたのは幸いだ。
「建殿は昨日は物忌《ものい》みで、参内《さんだい》すらしていないのですよ。それなのに、なぜ夜に妖退治ができるのですっ? 第一、昨夜は妖退治は中止だと決まっていたではありませんか! どうして建殿がっ……真守殿も……わ、私は何も聞かされていません。なぜ、そのようなことになったのですっ!」
基射様の袖に取りすがり、情けない様相を晒している姿を蔵人の皆様に見られなくて済んだのだから。
建殿、どういうことです? 昨日、あなたは物忌みのために邸にこもっていたのではないのですか?
そもそも、昨夜は宮中でも物忌みがあって、妖退治そのものが中止だった。それなのに、なぜ真守殿と、あなたがっ……。
「建殿! 私は、あなたから何も聞かされていませんよ! 『行方が知れない』って、何ですかっ!」
今朝こそ、呑気顔のあなたとお会いできると思っていたのに……!
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