妖(あや)し瞳の、艶姿

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愛(いと)し恋し、重ぬる想いの牡丹(ふかみ草) 【七】

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「――光成様。遅くまでお邪魔してしまい、すみません。これにて失礼させていただきます」


「いえ、お話できて良かったです。楽しいひと時でした」


 気がつけば、かなりな時間、話し込んでしまっていた。


「途中まで、私の従者に送らせましょう」


 陰陽の術を使うことで夜目がきくとはいえ、少年の身の真守殿をひとりで帰らせるのは、しのびない。武弥に送らせることとしよう。


「では、また明日」


 武弥に先導され、帰っていく真守殿の背を見送ったのち、廂《ひさし》から部屋へと戻る。


「さて、二十射ほど引いてから寝るとしようか」


 思いがけない来客で、弓を引くのが遅くなってしまった。予定より少ないが、今夜は二十射にとどめておこう。



――かたんっ


 ん?


「武弥? どうした?」


 弓を手にし、弦の具合を見ていると、背後で木と木が軽く当たる音が聞こえた。振り返れば、半蔀《はじとみ》の向こうに武弥とおぼしき人影が。


「真守殿が何か忘れ物でも……」


「おや、これは冷たいことだ。我《われ》の姿を他の者と見間違えるとは」


「……っ! なっ、なぜっ?」


 武弥ではなかった。ましてや真守殿でも……。


「建殿っ! なぜ、ここにっ?」


 正確には、建殿ではない。そんなことはわかっている。その双眸の色で、ひと目で気づく。


 禍々しい緋色の虹彩を持ち、薄笑いを浮かべて私を見ている相手は、真実の意味で建殿ではない。


「建殿っ」


 けれど、私にとっては、たったひとりの愛するお方の姿。


 なぜ、ここに。内裏《だいり》ではなく、私の邸に現れているのか。その意味を考える余裕などない。


「たけ、る……」


 危険だとわかりきっているのに、ふらふらと近づいていってしまう。


「ほう、桔梗の襲《かさね》ではないか。偶然か? それとも、この蔵人のことを思って、同じ狩衣を身につけたか?」


「……っ」


 冷たい。


 そう、思った。そう、感じた。


 声色。私を見る視線。そして、頬に触れた指の温度。全てが、冷たい。その全てが温かく、心和むあの人とは真逆。


「……なぜ、私のところに?」


 けれど、問いかけてしまう。夜目にきらりと煌めく、鮮血の色の瞳の持ち主に。


 妖猫の意識しかないとわかっているのに、愛しい気持ちが湧き上がってくる、その人に。


 次に姿を見つけたら、有無を言わさず退治して建殿を取り戻すと決めていたのに、それをせず、じっとその顔を見つめてしまっている。


 馬鹿な私は、もしかして私に会いに来てくださったのかと、そんな有り得ない期待をほんの少し脳裏に浮かべてしまったから。


「そなたに、会いに来た」


「え……」


 冷たい感触が、増えた。


 無防備だった首筋に相手の指先がかかり、下から上へと、つうっとなぞられている。


「元々、我《われ》が取り憑く相手として狙っていたのは、そなたなのだ――――藤原光成」


「……っ、なっ!」


 深更の静けさを破った声が、途轍もない衝撃を私に与えてきた。


「わ、私、を? 狙って?
狙っていたのは、私……?」


 建殿の声なのに、全く別物としか思えない、どこか妖しい色艶を含んだそれが言い放った言葉を、口内で再びなぞっていく。



『元々、我《われ》が取り憑く相手として狙っていたのは、そなたなのだ――――藤原光成』



 取り憑く対象として狙われていたのは、私? では、建殿は……。


「美と聡慧《そうけい》を兼ね備えた蔵人、藤原光成。我《われ》は、そなたの身体が欲しい」



――びくんっ


「……っ、つぅ……」


 突如、皮膚に走った鋭い痛みに、身が強張る。


 首筋をなぞっていた相手が、そこに爪を立て、横に薙いだのだ。


 真一文字に裂かれた傷に夜陰の風が吹きつけ、ちりりと引きつる疼痛に襲われる。


「ん。美麗な男は、血の色艶までも美しいな。ふふっ」


 痛みを堪え、睨《ね》めつける視線を送れば、私の皮膚を裂いた相手の紅瞳が、さも愉しげに妖しく光を放つ。


そうか。欲しいのは、私か。


「……わかった。ならば、私の身を明け渡してやるから、今すぐ建殿を解放しろ」


 真っ黒な妖気を纏う相手に負けず劣らずの、暗澹《あんたん》とした声色。けれど、確たる信念を持った言葉を力強く吐き出した。


「私は、どうなっても良い。だから、今すぐ建殿から離れろ!」


 相手を睨み据え、荒く言い放ったことに、何の後悔もない。


 それどころか、こんなに簡単に事が運んで嬉しい限りだ。妖猫の目的が私なら、建殿をすぐに救い出せるとわかったのだから。


「ほう、即断か。見上げた正義感と、腹の据わりようだ。やはり、そなたは、ただ美しいだけの者ではなかったな」


 しかも、闇雲に探しに行かずとも、相手のほうからこうしてやってきてくれている。手間要らずで、ありがたい。


「では、交渉成立だな。即刻、建殿から離れろ。そして、私の身に乗り移れば良い」


「ところが、それが容易なことではないのだ。残念ながら」


「何?」


 もう、建殿を救い出せたも同然のような安心した心地で、自らの身を明け渡す覚悟でいた。その私の目前で、憮然と唇を歪めた相手の言葉の意味がわからない。


「どういうことだ。私が了承した以上、建殿の身体はもう用済みだろう。むしろ、目前に無防備な状態の餌があるのだ。さっさとこちらに来れば良いだけのことではないか」


「繰り返すが、“それ”が、容易なことではないと言っている」


「は?」


「人に乗り移るのは、ごく容易に出来る。が、一度取り憑いた者から別の者へと我《われ》が乗り移ることは、我の意識だけでは不可能なのだ。そのために、こうしてやってきた」


「何、だと? では、どうすれば……」


 どうすれば、建殿を救えるというのだ?


「藤原光成。今すぐ、我の唇を吸え」


「……は?」


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