妖(あや)し瞳の、艶姿

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愛(いと)し恋し、重ぬる想いの牡丹(ふかみ草) 【九】

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――きぃんっ!



 深更に、弓弦《ゆづる》が鋭く鳴動する。


 聞き慣れた甲高いそれと、闇を縫って飛んでゆく矢の手応え。


「……ふぅ」


 慣れ親しんだ感覚を身体に味わわせたのち、ひとつ息をついて背を向けた。見えずともわかる。灯りがなくとも、的には中《あた》っている。


 一射で良い。床につく前に気を落ち着けたくて、弓を手にした。


「建殿? あなたの意識は、妖《あやかし》の内で深く眠っているということでしたが、私の声はいっさい届いていなかったのでしょうか」


 尊大な口調から一転、ふざけた物言いの本性を露わにして私を混乱させた愛しき姿の妖は、もうこの場には居ない。



『堀川沿いにね、手頃な空き家を見つけたの。近くに市が立ってて食べ物にも困らないから便利なのよー。一度、遊びに来てねっ』



 堀川沿いの市と言えば、東の市だ。妖がそんな賑やかなところに潜んでいたのか。遊び目的ではないが、朔《さく》の夜に向けての相談がある。真守殿を伴い、一度、訪れなければ。


 それに、やらなければいけないことは他にもある。灰炎《かいえん》の捜索だ。


 内裏のどこに身を隠しているのか。妖力がない状態では難しいだろうが、朔の夜にこちらの都合の良い場所におびき出すためにも探っておく必要がある。


「いまだ問題は山積み、か。しかし、何も導《しるべ》がない状態からは数歩でも進んでいる」


 首筋に巻いた晒し布に触れ、ひとりごちた。白焔がその本性を露わにする前に爪を立てた箇所だ。


 少しからかうだけのつもりが思ったよりも綺麗に切れてしまったのだと後で謝罪された。


 それに、互いの唇を重ねれば建殿の身体から離れ、私に乗り移るというのも嘘だったらしい。


 建殿と分離するためには、特殊な薬草が必要だとか。それも至急、手に入れなければ。


「あいつ、全てが終わって建殿の身体から離れたら、諸々の鬱憤を込めてきっちりと報復してやろう。――さて、休むとするか」


 少しでも休養を取らなければいけない。夜が明ければ、また忙しい一日が始まるのだから――。









「光成様ぁ、どういたしましょう?」


「なんだ。どうした?」


 夕刻、迎えの場にいた武弥が全身で困りきった様子を表している。


「何があった?」


「あの人ですよ。弓打《ゆみうち》の爺さん! あの偏屈爺さんが、我が儘なことばかり言うんですー」


「一条の御大《おんたい》が? 例の特注品の件か?」


 武弥が言う偏屈爺さん。一条に住む弓打《ゆみうち》の名人に、かねてより依頼していた特注品の仕上げの期日が、今日。いつも武弥に受け取りに行かせているのに、今日は何か問題でもあったのだろうか。


「はい。光成様の言いつけ通り、朝のうちに御依頼のお品を受け取りに行ったんです。そうしたら、『今回は特別仕様だけに、光成本人にしか手渡せん。あやつに、ここまで取りに来させろ』って、取りつくしまもなく追い返されてしまいました。けど、あの爺さん、謝礼だけはちゃっかり奪っていったんですよ。無礼な上に、ちゃっかりと!」


「そうか。謝礼品は受け取ってくださったのか。ならば大丈夫だ。よし、武弥。今から一条へ向かうぞ」


「えっ、今からですか?」


「一条なら、近いだろう? それに、私は早く現物が見たいのだ。ひとりでも受け取りに行く」


「わかりましたー。うぅ、一日に二度もあの爺さんと顔を合わせるのは気が進みませんけど、光成様のために耐えますよぅ。いかつくて無愛想で、途轍もなく目つきと口が悪い爺さんから光成様を守るべく、武弥、頑張ります!」


「ふふっ。頼もしいな。では、行こう」


 唇を引き結び、やる気を見せた武弥とともに朱雀大路から横道に入り、夕暮れの中、歩を進める。


 そうして、ひとり、可笑しさに唇を緩めた。武弥は、気づいていないのだろうか。


 『無愛想で、途轍もなく目つきと口が悪い』のは、自分の主人のことでもあることを。


「――失礼いたします。今朝方お伺いしました大納言家の家人《けにん》、佐伯武弥《さえきのたけや》です。弓削《ゆげ》様、おられますか?」


 『偏屈爺さん、本当に苦手なんですよー』と散々こぼしていたにも関わらず、いざ一条の工房に着いてみれば、きりりとした表情で挨拶の口上を述べている武弥が頼もしいやら、おかしいやら。その後ろで、つい、笑いを噛み殺してしまう。



――かたんっ


「ようやく来たか」


 間もなくして戸が開き、嗄《しわが》れ声のご老体が、ぎろりとこちらを見上げてきた。


「遅くなりまして申し訳ございません。丹誠込めていただきましたお品を受け取りにあがりました」


「ふん、こっちだ」


 優れた腕を持つ匠への尊敬の念から深く頭《こうべ》を垂れ、遅参のお詫びを述べたが、私の頭上で『ふん』と鼻を鳴らしたきり、俯いた視界の中で素っ気なく踵が返されていく。


「はい、お邪魔いたします」


 この方はいつもこんな感じだから、気にしない。


「触れて良いぞ」


 そして、憮然とした険しい顔つきで差し出された弓を恭しく受け取り、弓束《ゆづか》に指を滑らせる。


「なんと美しい曲線でしょう。素晴らしい出来映えですね」


「どこが特別仕様か、わかるか?」


 匠の仕事の素晴らしさに心からの感嘆が漏れたが、相手にとって賞賛は当たり前のことで。そんなことよりも、私の目利きを試されてしまう。厳しいお方だ。


「特別な点……この弓弦、ですね。鳴らしても?」


「構わん」


 相手が即座に頷いてくれたことで、それが正解だと知った。さらに、その場に響いた鳴弦《めいげん》の調べで、私も確信する。


「ここまでの澄み切った音は、初めて耳にします。これが、真の破魔の弓ですか?」


「そうだ。儂《わし》も、久方ぶりに作った」


「さすが、静可《しずか》様です。手間暇かかる名匠の手仕事を、私のためにありがとうございます」


 澄んだ鳴弦の響きの余韻の中、ぶっきらぼうな返しをくれた相手に恭敬の念とともに御礼を述べた。


 感服だ。稀代の弓打《ゆみうち》と呼ばれるに足る、手仕事だ。


 直後、「ふっ、ふん! これくらい、何の造作もないわ。光成が可愛いから張り切って作ったわけではないぞ。決してな! だが、いま一度、儂の名を呼んで褒め称えても良いぞ。別に構わん!」と、上擦った声がご老体から返ってくる。


 同時に、「あーあ、面倒くさいのが始まった。いつものことだけど、偏屈爺さんのこれ、本当に面倒くさいなぁ。でも、光成様に名前呼ばれて赤面してるところは可愛いんだよなぁ」という武弥の独り言も届いてくる。


「静可様は、素晴らしい弓作りです。何代もの帝の御世を護ってきた弓打《ゆみうち》に私のための弓を作っていただき、心より感謝いたしております。ありがとうございます」


 が、この場の雰囲気に慣れている私は武弥の言葉を流し、『褒め称えよ』という静可様の要求を優先する。


 このご老体、宮中の行事に使う弓矢の注文が山積みの時でも、私がお願いすればこちらを優先してくださる奇特なお方なのだ。


 私の乳母《めのと》、安芸の古い知り合いだからだろうか。


 なぜか、こんな人好きのしない私などを気に入ってくださり、幼少の頃から私の手にぴたりと合う弓を作り続けてくださっている。いくら御礼を述べても足りないくらいだ。


「静可様が精魂込めて手作りなされた弓を手にできる私は、この世で一番の果報者です」


「うっ!(今日も笑顔が眩しい! 静可、今うっかり逝っても本望……!)」


「うぉっ!(出た! 光成様の神々しいまでの無自覚笑顔! ありがとうございます。武弥、昇天……!)」





「静可様。して、矢はいずれに? この弓と対になる破魔の矢を弓弦に添わせてみたいのですが」


「あ、あぁ、そうだな。矢は、こちらだ」


 素晴らしい艶と手触りの弓束《ゆづか》にずっと触れ、見つめていたい欲求を抑え、肝心の目的を見失わぬよう自戒する。


 これは、遊びや競《きそ》い事のために作っていただいた物ではない。


「破魔の矢は、三本。これ以上は作れぬ。しかし、光成。お前なら三射で仕留められるだろう?」


「もちろんです。射抜く箇所さえわかっていれば、外したりなどいたしません」


 静可様が差し出してくださった塗りの矢筒には、白と丹《に》の美しい二色の羽根を持つ破魔の矢が、その言葉通り三本のみ。


 しかし、この武器を作るためのご老体の精神の徒労を思えば、三本で少ないなどとは決して言えない。


 それに、数代前の帝の御世《みよ》に遡るが。大陸の古き妖凶、饕餮《とうてつ》が我が国へと飛来し、当時の最強陰陽師がその怪物を追い払ったことがある。



『青鋼《しょうこう》ちゃんって、知ってる? アタシのお友だちの饕餮《とうてつ》のことなんだけどぉ。むかーし、その青鋼ちゃんを消滅寸前にまで追い詰めた武器を作った伝説の弓作りがこの京《みやこ》に居るのよ。弓削静可《ゆげのしずか》っていうんだけどね。その人物に、灰炎ちゃんを正気に戻すための弓矢を作ってもらってほしいの。光成ちゃん、頼めるかしら?』



 大陸の妖《あやかし》にまで名が知れ渡っている素晴らしき弓打《ゆみうち》が、私のためだけに作ってくださった武器なのだ。腹を据えて、立ち向かうしかない。


「かつて、遠き日に偉大な陰陽師様と静可様がこの世を護られたように、私も全力を尽くします」


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