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番外編(弍)

時鳥(ほととぎす)、つれづれに啼く 【二】

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「えーと、鷹狩で得られる獲物は……」


「建殿。獲物よりも先に、まず、猟場の記述から入るべきでは?」


「あ、そうか。じゃあ、猟場から書こう。近江国、栗太郡《くりたぐん》と伊香郡《いかぐん》。それと河内国の交野郡《かたのぐん》。あとは都の北域、北野……よし、狩猟の禁野についての記述はこれで良いな」


「はい」


 了解を求めてくる相手の、邪気のない瞳を見返して頷く。


 つい先ほど、私の怒号を浴びた同僚は、文机《ふづくえ》の前で姿勢を正し、鷹狩の記述書を清書している。


 その手元には、怒号の原因となった、くしゃくしゃになった小さな紙。そこに書かれた、これまた極小の文字を見て、隣に座している私は密かに感心する。


 相変わらず達筆だ、と。


 適当に走り書きしたのだとわかる文字であるのに、控え紙にきっちりと書きこまれたそれは、流麗で巧み。


 日々、何か失敗をしでかす迂闊者は、実は蔵人所随一の能筆なのだ。極小の文字でも墨痕も鮮やかに美しく記せる書の腕前には、ひたすら感服するのみ。


 いったん筆を持たせれば、誰もが感嘆する美麗な文字を綴るこの人が、硯《すずり》を持ったまま派手にすっ転び、辺り一面に墨汁を飛び散らせる、という失態を、なぜ頻繁に演じてしまうのか。はなはだ疑問だ。


 逆に言えば、日頃のうっかりぶりをこの美点と、持ち前の性格の良さで見逃してもらえているのだから、それも称賛に値する。


 そうです。私の想い人はね、凄いお方なんです。


 表立っては誰にも自慢できませんが、人にどれほど迂闊者呼ばわりされていても、私にとっては褒め称えるべき素晴らしい恋人です。


 恐ろしいほどのうっかりぶりを、日々、叱責している私が内心ではこんなことを思っているだなんて、ご本人にも決して言いませんが……。


 無理。言えません。きっと、褒めてるうちに「好き」とか言ってしまう。恥ずかしい。


 ですので、賞賛を伝えるのは無理ですっ。



「光成、どうした? 気分が悪いのか? 両手で顔を覆って、ふらふらと揺れて……心配だ」


「え? そんなことしてません。それに体調は万全です」


 いけない。私としたことが、うっかり、心の声を身体の動きに連結させてしまっていた。


「いや、今やってただろう。こう、くねくねくねっと頭から腰までをうねらせる、妙に艶めかしい動作を」


「やっ、て、ま、せ、ん! 余計なことに気を散らせてないで、さっさと記述書を仕上げてしまってください。数ヶ月も放置していたという、それを!」


「わ、わかった。体調が悪いわけじゃないなら、いいんだ。じゃあ、続きに取りかかる」


「そうしてください。時間が惜しいですよ」


 よし、かなり強引だが、話を逸らせられたから、よしとしよう。


「では、獲物の記述に戻るな。小獣は、兎、狐、狸。あとは……あとは……」


「鳥類でよいのではありませんか?」


「おぉ、そうだ。鳥類だな。ありがとう」


 心配してくれたというのに厳しい言葉しか返せない私に怒るどころか、ふにゃっと笑いかけてくれるから申し訳ないけれど。その笑みに、つんっとしてしまうのが私だ。


 こんな恋人で、すみません。


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