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番外編(弍)
時鳥(ほととぎす)、つれづれに啼く 【一】
しおりを挟む「――白雲、流々と広がりて、天に波打つ大海となる」
「なんですか? それは」
「わからん。空を見てたら、勝手に言葉が浮かんできたのだ。どうやら私には漢詩の才があったようだ。和歌は駄目でも、こっちで才能を伸ばしていくとしよう。ふはははっ!」
「ふはははっ、じゃありません。何が漢詩の才ですか。詩の形式にすら、なっていないではありませんか。そもそも、あなたの置かれている状況で、呑気に空を眺める暇など無いはずですがね? 迷惑を被《こうむ》っている私なら、有り得ますけど!」
「うっ」
「目線は空ではなく、足元! さぁ、早く探してください」
「わ、わかった。すまん、光成」
「えぇ、迅速に作業を進めてください。私もこうしてお手伝いしているのですからね」
「うん」
全く、もう。
お気楽そのものの表情で遠くに広がる空を眺めていた同僚が、再び床に向かったのを確認し、小さく息をつく。
毎日毎日、よくこんなに似たような失敗を繰り返せるのか、呆れるしかない。
だというのに、気がつけば作業の手を止めて呑気に空を眺めて笑っていたりするのだ。どうして、そんなことが出来るのか。おかしな方だ。全く理解に苦しみます。
が、へらへらと笑っているだけの横顔を見て、とくんっと胸を高鳴らせてしまった私も、おかしい。
真っ直ぐな性格を表すかのような、きりりとした眉。くりくりとよく動く、澄んだ瞳。もともと顔の造作は整ってらっしゃるのだから見惚れてもおかしくはないのだが。
いかんせん、先ほどは、にへにへと締まりなく口元を緩ませておられたのだから、それを見て鼓動を跳ねさせる私は相当おかしい。
ただ、締まりなく緩んだその口元は、他人を悪く言うことは決してない。
失敗を繰り返しては、ぱくぱく動かして慌ててばかりいるけれど、そこから零れ出るのは裏のない温かな声だけ。
ごく稀に密やかな響きを帯びることがあるが、それは恋を交わす相手として私を呼ぶ時のみで。
「……り……ま」
その声に呼ばれると私は……。
「光成様」
「……っ、はいっ……あ、通頼《みちより》殿」
驚いた。そして、危なかった。執務の場である殿舎で想い人との睦言を思い出していたところに、声がかけられた。
「な、なんでしょう。何か、ご用ですか?」
恋人の横顔を見つめ、その熱を感じた時のことを思い浮かべる、などという、ふしだらなことを人前でやらかしてしまっていたが。通頼殿は訝しく思ってはいないだろうか。
先だっての除目《じもく》で新蔵人となった、藤原通頼《ふじわらのみちより》殿。十九歳とは思えぬ堅実な仕事ぶりを見せる真面目な若者の目に、私はどう映っているだろう。恥ずかしいし、とても心配……。
「あ、あの、建様と光成様がとてもお忙しそうにお見受けしましたので、僕で良ければお手伝いさせていただこうと思ったのです」
「あ……」
なんだ。私の様子があまりにもおかしいから声をかけたわけではなかったのか。良かった。しかし、建殿のしくじりの後始末を新蔵人に手伝わせることは出来ない。
「それなら、お気遣いなく……」
「ところが、ご助力をしたく近づけば近づくほど、光成様がとても眩しく感じられまして。よく拝見すれば、頬は薄桃色に染まっておられますし。お目も潤んでおられて、しどけなさと艶めかしさで、僕の目が潰れそうなのです。胸もきゅうっと痛くて、僕、どうすれば良いですか? 目を瞑ったままでも、お手伝い出来ることでしょうかっ?」
「え……?」
目を瞑って、何を手伝う気だろう。
通頼殿……おっとりと善良で、それが几帳面な仕事ぶりに繋がっている有望な新蔵人だと思っていたが。
建殿とはまた違った型の、不思議な若者が蔵人所に仲間入りしたのか。うぅ、頭が痛い……。
「おーい、通頼ぃ。気にするな。我らの仕事はもう終わった。手伝いの必要はないぞー」
え?
「あ、そうなのですか?」
「そうそう。だから何も気にせず、自分の仕事に戻っていいぞ」
「はい。では、また何かお手伝い出来ることがありましたらお声かけください」
「おう、その時は頼む。ふうぅ……やれやれ。ずっと屈んでいたから腰が痛い」
「あの、建殿? 本当に終わったのですか? “あれ”が……覚え書きが見つかったと?」
律儀に礼をして下がっていく通頼殿を見送ってから、問いかける。年に数度、主上《おかみ》の名で催される鷹御覧《たかごらん》と鷹狩《たかがり》の詳細を記した覚え書きを、私たちはずっと探していたのだ。
「おっ、疑ってるのか? もちろん見つけたとも。ほら、ここにある!」
床に散乱している紙の山に深く埋まっていた同僚が、右手を差し出してきた。たいそう自慢げに。
おぉ、良かった。本当に見つかったのですね。
「良かったです。これで、頭中将《とうのちゅうじょう》様と頭弁《とうのべん》様のお顔を潰さずに済みますね」
安堵で、肩の力が抜けた。蔵人所の長官お二人の顔を潰さずに済んだこともだが、建殿が叱責される未来もこれで防ぐことが出来たのだから。
*鷹御覧《たかごらん》
諸国から献上された鷹を天皇が検分する儀式。
その後、鷹は親王らに下賜された。当時、私的に鷹を飼うことは禁じられており、下賜された特別な者にだけ許されていた。
「……え? これ、ですか? こんなに小さな紙だったのですか」
建殿が見せてきた覚え書きの用紙はとても小さく、驚きに目を見張る。
これでは、私と二人がかりで探しても容易に見つからなかったはずだ。ともあれ、これで、ひと安心。
遥か古代、仁徳帝の御代《みよ》が起源の鷹狩は、兵部省《つわもののつかさ》、民部省《かきべのつかさ》を経て、我が蔵人所の管轄となった由緒ある儀式。昨年より担当を任されている建殿の失態にならなくて本当に良かっ……。
「そうなんだよー。そのうち清書しようと思いつつ、手持ちの控え用紙に書き留めたまま放置して、はや数ヶ月」
……本当に、良かっ……。
「先日、ようやく存在を思い出すも、くしゃみをしただけで吹き飛んで書き損じの紙に紛れてしまったのだ。焦ったよー」
「……」
「ところが、転んでもただでは起きないのが建様だぞ。覚え書きの裏に頭中将様が飼い猫に頬をぶたれている姿を想像した面白くも滑稽な似顔絵を描いておいたから、それを目印に、ささーっと探せたのだよ。ぐはははっ!」
――すうぅ、っ
大きく深く、息を吸い込む。
数瞬後、ここ数日で最大級の怒号が、私の口から迸った。
誰に、とは、敢えて明言しない。
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