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番外編(壱)
夢か現(うつつ)か、沫雪の 【二】
しおりを挟む私の想い人は、なんと不器用で愛らしいのだろう。
「んっ……たける、どの」
「わかってる。口づけをねだってみたが、あまり長引いて誰かに見られては困るのだろう? そのために几帳《きちょう》の陰に隠れたのだが。大丈夫。すぐに切り上げるから」
真面目な光成を安心させるために言ってみたものの、すぐに切り上げるのは実は名残惜しい。ここが、我らが職場、蔵人所であっても。
何せ、口づけを交わしながら私を見る光成は、いつも途轍もなく色めいていて、離れがたいのだ。
特に、左目の下の泣き黒子《ほくろ》。これが、いけない。
潤んだ瞳との相乗効果で凄絶に艶めかしく、こちらの官能が煽られる。堪らない。
誰に知られても良いから、このまま押し倒してしまいたい欲にかられてしまう。
「光成?」
「……っ……ぁ、はい」
「唐突な問いで悪いが、ちょっと教えてくれ。お前の幼名、何というんだ?」
「幼名、ですか? 本当に唐突ですね。『五十鈴丸』ですが、私の幼名が何か?」
「五十鈴《いすず》川の『五十鈴』か……うん、良い名だな。教えてくれてありがとう」
あれきり一度も再会することはなかった『いすず』は、左目の下に泣き黒子《ほくろ》を持つ、とても美しい『姫君』だった。
童女のように肩に垂らした振り分け髪と美貌のせいで姫君だと思い込んでいたが、記憶にある『いすず』は、幼い私と同じ半尻狩衣《はんじりかりぎぬ》に指貫《さしぬき》という装束を身につけていた。
髪を美豆良《みづら》に結っていなかっただけで、れっきとした少年だったのだ。
なぜ童女の振り分け髪にしていたのかは謎だが、私との二歳の年齢差と、泣き黒子《ほくろ》の位置。稀に見る美貌と毒舌を有していたことから導き出される結論は、ひとつしかない。
私の初めての恋の相手は、今、目の前にいる――。
「お返しに、私の幼名も伝えておこう。あさ……」
「朝香丸《あさかまる》、でしょう? 存じ上げていますよ。菅命婦《かんのみょうぶ》殿が、いつも親しげに呼ばれていますからね。『あさかちゃん』と」
「……っ、くっ、櫛子のあれを、今、引き合いに出さずとも良いではないか!」
「引き合いに出してはいけませんでしたか? 内侍司《ないしのつかさ》に出向く度に仲の良い場面を見せられているので、少しだけ言ってみただけなのですが」
「光成……」
驚いた。これは、まさか……。
「光成、顔を上げてくれ」
夕刻の殿舍。燈台《とうだい》に灯りはまだなく、薄暗くなり始めた空間で光成の頬に触れる。
耳まで朱く染めて口に出してくれた今の言葉は、もしかしなくとも確実に悋気《りんき》。私と気安く話す幼なじみの櫛子に嫉妬してくれているのだ。
「顔を上げて? 私と目を合わせてほしい」
おぉ、どうしよう。こんなことは初めてだ。
「駄目、です。顔は上げられません。今は」
氷のごとき冷たい視線で鋭い毒舌を浴びせてくるのが通常の光成が、もじもじしながら妬心を露わにしてくれている。
「なぜ、駄目? もう一度、口づけたいだけなのに?」
「し、仕方ないですね。もう一度だけ、ですよっ」
ぞくぞくする。
「許可をありがとう」
「んっ……」
堪らない。この最上に可愛らしい光成の前では、どんな美姫も霞むことだろう。
「光成、愛している」
実際、私は首ったけだ。光成以外、誰も目に入らない。
幼きあの日を、『あさかまる』のことを覚えていなくとも構わない。私だって、唐突に思い出したのだ。
「私も、です。愛していますよ」
ほら、目を合わせて想いを告げてくれる。これだけで充分。
降る雪よりも密やかな囁きなのに、私の身体に一気に火をつけることが出来るのだ。なんと希少な相手だろう。
「あなただけ……建殿。ずっと恋してきました。これから先も変わりませんよ、決して」
そして、ひどく罪作りな恋人でもある。
「光成っ」
静かに情熱的に。とことん煽るものだから、もう一度だけのつもりの口づけが一度で済まなくなるんだ。
「ん……ふぁ、っ……たけるっ」
まぁ、良いか。光成も、その気だ。
冬の夕暮れは、あっという間に過ぎ去る。じきに、入相《いりあい》の鐘も鳴るだろう。
先ほどから降り《そ》めた沫雪が、清《きよ》らに舞い落ちる濡れ縁。そこに灯を持った雑色《ぞうしき》たちが一斉に姿を現すのも時間の問題。
だが、しばしの猶予をもらおう。
あの日と同じ沫雪が降っているから。はらはらと舞う雪が、切ないほどに美しいから。
「建殿、もう少しだけ」
この夢のような言葉をくれる私の光成が、『あの日』のように沫雪の向こうに消えていかぬよう、きつく抱きしめるのだ。
「あぁ。もう少しだけ、このままで――――僅かな残り時間を、いつもよりも濃密に」
十五年の歳月を経て、ようやく巡り会えた。強く賢く、たまに怖くて、いつもとても美しい恋人。
決して離さず、全力で愛おしむ。
言の葉を 持たぬ童《わらべ》に 沫雪の
夢か現《うつつ》か ともに見ゆらむ
-了-
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