溺婚

明日葉

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懲りない人たち 6

 マンションから道に出たところで、どこへ、と天羽は歯痒い思いで左右に交互に目を向ける。絢佳がどういう場所に立ち寄るか、何が好きか、何も知らないことに今更気づく。そして、自分のことも何も伝えていない。

 苛立ちのままに、とにかく足を動かそうとしたところで、視界の端に捉えたものに気を引かれ、目を向ける。


 のんびりとした足取りで、空を見上げながら絢佳が歩いてくる。
 つられて見上げれば、猫の爪のような月が見える。ここでは、あまり星は見えない。


「絢佳!」



 声をかけて走れば、それに反応した絢佳が驚いたように目を見開いた。






 踵を返して逃げ出されたらどうしようと、思っていた。冷静に考えれば、それなら、こんなマンションの近くまで帰っても来ないだろう。
 驚いて足を止めている絢佳を力任せに抱き寄せれば、ぐえ、と、色気のない声が腕の中でするから。つい口元が笑ってしまう。なんでこう、緊張感がないんだろう。


「あの、苦しいんだけど」


 ぎゅうぎゅうと抱きしめていると、しばらくは訳も分からないまま我慢していたようだが、いたたまれなくなった様子で腕の中からくぐもった声が苦情を述べる。
 それを聞き流しながら、天羽は絢佳の首筋に鼻を寄せた。心地よい香り。つい、手に力も入る。

「ちょっ。何してるの?ねえ。あんまりくっつかないで」


 絢佳の方は、それでなくても恥ずかしくてたまらないところに、匂いを嗅がれそうな仕草に本気で拒絶を示し始める。一日、働いてきて。お風呂にも入っていないのにそんなの、嫌がらせだとしか思えない。




「思ったより早かったね?」

 直截的な拒否の言葉にショックを密かに受けて緩んでしまった腕から抜け出した絢佳はそう言ってまだ呆然としている夫を見上げる。寝ていていい、というくらいだから、日付が変わるんだろうなと思っていたのに。

「帰ったら、お前がいないから」

「ん?1人だし、柏木さんのところでご飯食べてきた。そんなに遅くなってないと思うんだけど」

 と、腕時計を確認しようとする仕草を制止して、もう一度、今度は理性を動員して天羽は絢佳の体を包み込むように抱きしめた。それでもここが公道という場である以上、恥ずかしさから絢佳は緊張と羞恥心に強張るし、隙を見て逃げようとする。
 ただもう、今の天羽にとってはその、逃げようとする仕草が先ほどの、血の気が引く思いを呼び起こす。


「今朝の」


 言いかけた瞬間、それまでも緊張していた絢佳の体が、天羽の腕の中で触れたらさらさらと崩壊してしまうのではないかというほどに凍りついた。
 軋む音を立てるのではないかというほどにぎこちない首の動きで、一度天羽から目を逸らし、それから無理やりに戻してくる。



「今朝は、言い逃げ、すみませんでした。引導渡すなら今お願いします」
「は?何を」

 そんなこと、するはずがない。
 そうじゃなくて、伝えたいことがあるのに。
 そう思ったのに、天羽がそれだけ言っただけで、絢佳の緊張は少し緩和される。
 見上げる目に普段の様子が少し戻ってきているのにほっとしている間に、絢佳が話を進めてしまう。


「こんな自覚をした相手に、先にもらってもらえていたって、なかなかない幸運だったな、と。面倒とか鬱陶しいとか、思わせないように極力気をつけるから、お役御免までは置いてもらえるってことでいいのかなぁ」
「は?」



 思わず聞き返しながら、浅葱のしたり顔が脳裏を過ぎる。
 さっさと、きちんと言わないお前が悪い、と。
 まだ何か言おうとする絢佳にどこから伝えればいいのか、普段なら考えられない自分の口下手ぶりに嫌気がさしながら、照れ隠しなのかよく動く小憎らしい唇を奪う。
「っん?」
 驚いたくぐもった声を口中に飲み込みながら、天羽は角度を変え、唇を食み、腰を引き寄せながら後頭部を固定する。
 触れるだけで終わらないことに気づいた絢佳がこんな道端でと抗議の声をあげるが、それも全て飲み込み、抵抗しようとする腕は抱き寄せて仕舞えば2人の胸の間でほぼ動かせなくなっている。

 話せば唇が触れる距離で、天羽は絢佳の逃げようとする目をぎらぎらと見据えながら熱く息を吐き出す。
「家にいないから、出て行ったかと思った。あんなことを言うから。後で冷静になって、顔を合わせるのから逃げるかと」
 答えるのに、顔を話したいのに、後頭部に手を添えられているから引き剥がせない。
 となれば、想定されない方に逃げるしかなく、首を前に倒し、額を天羽の胸に預けた。
「短期間で読まれてるなぁ。それは、あったんだけど。でもここで逃げてもどうにもならない状況なんだって、やっと覚悟決めて帰ってきたのに…。厄介ごとを引き込まないために、こういうお相手も妻の役目なのは承知するから。人目がある場所はやめて」
「そう言うことじゃない」

 器用に逃げた顔を追いながら、天羽は嘆息する。
 認めよう。拗らせた原因は、自分だ。良い方へなんて考えようとしない自己評価の低い妻を相手に、言葉を出し惜しみした。



 ただ、本当にこの場所ということが耐えられない様子で、顔を隠したまま動けなくなっているのを見れば、嗜虐心も湧くと言うものだが、今それをやる時ではないことは、天羽にもわかる。


 腰を引き寄せたまま、そして顔は自分の体に押し付けさせて隠してやって、天羽は目の前にあるマンションに足を向けた。








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