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番外編
雨降って(前)
ー頭を冷やしてきます。寝ててくださいー
「っ絢」
喧嘩をした。と言うより、一方的に、完全に、わたしがばかだった。本当に。
疾矢が寝室を出て行って、あーあ、と思って。ばかだなぁ、と。どうしようかなぁ、と。どのタイミングで彼が寝室に戻ってくるのか分からないけれど、とりあえず合わせる顔もないし、彼のタイミングではまたやらかしそうで。
散歩に出た。
夜の散歩は好きで。でもこれは、ただの逃避だけれど。
「絢佳?」
用水沿いの並木をふらふらと歩きながら、空を見上げるけれど、やっぱり明るくて星は見えない。それでも、月が綺麗で、歩く速度は落ちた。
不意に背後から声をかけられて、足を止める。その顔を見ても、何も感情が動かないことに、安心した。疾矢のおかげだなぁとは思う。前は、ただただざわついた。感情が残っていたのかもしれないし、そうじゃなくても、思うところの諸々が解消されていなかったのだろう。
「三藤さん」
どうしたの、と聞くと、少し驚いた顔をして、それから、そっちこそ、と言われる。
「散歩?」
「…夜の?そういえば、好きだって言ってたか。オレと付き合ってたとき、やってなかったけどな」
「そんなことする時間に、1人にならなかったし。一緒にいる時、ふらふら歩くの付き合ってくれてたでしょ?」
言葉を返すと、なぜかふ、と笑われた。久しぶりに見るような、その笑顔は、好きになった笑顔で、あれ、と思う。
「普通に話すのな」
「三藤さんが、普通だから」
「…お互い様、か」
それでどうした、と聞かれて、うーん、と首を傾げる。
道沿いは住宅街もあって、時間的にここで話すのは声が響くよなと思っていると、とりあえず歩くか、と促された。
「何してたの?」
「ジョギング。体鍛えないと」
「年だもんねー」
「一言余計だ。旦那は年下だっけ?」
「若いよー」
思わず遠い目をする。体力がついていかない。体力はあると思っていたけれど、ちょっとあれは、異質なのかもしれない。
抱き潰す、なんて言葉を耳にすることはあっても、またまたぁ、と思っていた。本当にあるんだなぁと身をもって知らされるとは思わなかった。
「絢佳?」
「なんでもない」
「とりあえず、公園で話すか?」
話す必要もない気もするけれど。ただ多分、いや、いい、と断れば、じゃあ送ると言われるのは目に見えている。まだ帰りたくない、となれば、大人しく話すしかないんだろうな、と目を向けると、もう公園に足を踏み入れていて。振り返って何してんだ、と待っているから、つい笑ってしまった。
スマホも財布も見事に何も持たずに出てきた。まあ要するに、家に自力で入れないってことだ。それもありかなぁ、と思いながら、どっちがいい?と目の前にペットボトルを二つ見せる三藤さんを見上げた。ミルクティーとカフェオレ。
この選択肢、懐かしいな、と笑ってしまう。
「こっち」
「ん」
軽く蓋を開けて渡してくれる。時々、うまく開けられずにフタと格闘していたことを覚えているらしい。基本、優しいよね、と思いながら、それに口をつけた。
甘味が幸せだなぁ、と。
どうした、と聞かれて思い出したのは、2週間前。
天羽の家の関係でパートナーとして出席したレセプション。女よけ、はまだ必要なのかなと思うけれど、そもそも違うと不機嫌な顔になり、ついでに、それはそれで必要だとも言うけれど。役に立つのかねぇ、と遠い目になる。マウント取りたがる女性たちには、彼女たちがかなわない、と思うような人じゃないと意味ないと思うけど、と言えば、こんだけ愛でられてるお前に手を出すのもばかだろ?と笑う。
疾矢が男性たちと話しているのを眺めながら飲み物を取りに歩いたら、よそ見をして歩いたのが悪いのか、人とぶつかってしまって。
「ごめんなさいっ」
「こちらこそ、よそ見をしていて」
柔らかい声に顔を上げる。同年代の綺麗な人。もう一度謝ろうとして、後ろから肩を掴まれた。
「どうした、絢」
目敏いな、と振り返りながら返事をしようとすると、先に、わたしじゃない声が彼を呼んだ。
「疾矢くん?」
「…英理?」
おかしな雰囲気に、あれ、とは思った。
ただ、天羽の家のレセプションであれば昔馴染みがいてもおかしくない。実際、昔の知り合いだ、と言う疾矢の言葉をその場は本当に信じた。なんだか、胸は騒いだけれど。それはきっと、避ける必要のない女の人が珍しかったからだと納得して。
その後。もともと忙しくて帰ってくる時間の遅い彼の帰宅がさらに遅い日が続いた。忙しい時期なんだと言っていたけれど。結婚してから帰りが早くなったと綾部さんや浅葱さんは言うから、そんなもんかな、と思いながら、待てる範囲では帰りを待つ日が続いた。基本的に宵っ張りだから、帰りを待つのは苦ではない。なんならその辺で寝落ちしていてもいいし。
「?」
出迎えた疾矢の体からいい香りがして、思わず近づいて匂いを嗅いだ。不思議そうに見下ろされるから、どうやら本人は気付いていないらしい。
「なんか、いい香り。柑橘系?」
「ああ…商談相手がつけていたな」
ふーん、とうなずく。香水とか全く使わないから、よくわからない。人に移るほどの香りって、よほど強い香りだったのか、好きな香りだから拾ったのか。
「この香り、好きだな」
「はいはい」
聞き流しながらシャワーを浴びに行くのを見送って、まあいいか、とその辺を片付けて寝室に先に行っている。
ベッドに後から入ってきた彼からはもう、いつものシャンプーの香りで、背中から包まれて心地よくなった。
それが、3日前。
そして今日。帰りが遅いと言われていて、わたしも残業で遅くなったから、帰りに食べて帰った。須藤と、篠田もくっついてきて。少し離れたラーメン屋に行って、満足して出たところで。
疾矢がいた。
偶然、と声をかけようとして、やめた。
「絢佳ちゃん?」
怪訝そうな須藤の声に、なんでもない、と言ったのに、目ざとく見つけてしまうのだ。
「あれ、旦那じゃん」
慌てて、止める。すぐに、須藤の目にも疾矢が一緒にいる人の姿が目に入ったらしい。わからない顔をしていた篠田まで、見つけてしまう。
あの日、英理、と呼ばれた人。商談相手、の距離感ではない近さで並んで歩いていた2人は、自然な様子でタクシーを止めて乗り込んでいく。
「あの…」
気遣わしげな、と言うより居心地の悪そうな篠田に、笑いかけた。そうするしかないし、自分だって疾矢から紹介されたようにしか知らないのだから。
「昔からの知り合いだって言っていた人だよ。ちゃんとわたしも知っている人だから、変な勘ぐりするんじゃないよ」
釘を刺すように言えば、仕事でしっかりとしつけている篠田は背を伸ばす。素直だなと笑ってしまうが、須藤の方はそうはいかない。あの微妙な距離感がそうさせるのだとは思うけれど。
「わたしだってこうして男の人と食事、してますけど?」
「色気もないラーメンだけどなぁ」
多分、須藤さんはわたしの表情をしっかり読んでいた。
言われた言葉を信じていたはずなのに、一気に何かに塗り替えられていく。
帰ってきた疾矢は、花を持って帰ってきて。珍しいこともあるなとそれを受け取った。何かをごまかしてる?なんて勘繰るのは、悪いと思いながら、それでも。
抱き寄せられた瞬間、あの柑橘系の香りが花をくすぐる。
花が近くにあるときにはわからなかった香り。
わたしが指摘したから、隠すように花を買ってきたの?
そう思ったら、止まらなかった。
嫉妬したくない。そんな顔を見せたくない。疑いたくない。…そんな感情を持って、重いと思われたくない。
それなのに。
「絢佳?」
どのくらい、無言で並んでベンチに座っていたのか。
三藤さんに名前を呼ばれて見上げた。
「喧嘩、しちゃいました」
「それで、散歩?」
一方的に完全に、わたしが悪いから。
何したんだよ、と言われて、どうしようと一瞬だけ逡巡したけれど。
そもそもまあ、この人ともそう言うことはしたことあるし、もういいかと話してしまってから、しくじったと気づく。非常に、居心地が悪そうだ。そりゃそうだ。夫婦の営みの話、されてもね。
「お前が自分からそんなことしたんだ…恥ずかしがってだめなくせに」
「今だってそうだよ」
でも。
「彼のハジメテの人と一緒にいるのを見ちゃって、それを知っちゃったら。全部あの人が教えたんだなぁ、と思って、なんかねぇ」
「ヤキモチやいたのか」
「ヤキモチ焼きですから」
知ってる、と三藤さんは笑う。顔に出さないくせに、と。素直に出せばいいのに、と。
「素直に出したらそうなっちゃった」
「極端なやつだなぁ。それで、なんで喧嘩?」
「彼の中の、他の女の人への対抗心だけでやってるの、バレちゃった。嫌な思いさせた。…当たり前だよ」
「いや、オレにしたらむしろ、お前がそこまでやったかって感動するくらいだけどな。…本当、なんでお前とこんな話しないといけないんだよ」
頭を抱えるのを見て、笑ってしまう。
あ、普通に笑えた、とちょっとこの人に感謝してしまった。
「自分から聞くからだよ」
「話しにくいとかないのかよ」
「ねー。なんか、勢い?」
ったく、とため息をつかれてしまった。
またしばらく無言だけれど。この無言がいたたまれない時期もあったのに、また平気になっている。
「で、どうすんの?」
「うん」
あの人と一緒にいた理由。
彼女が、家庭でうまく行っていなくて、不安定になっていたから。そうは見えなかったけれど、隠すのが上手な人なのだろう。そんな人が、弱さを見せられる相手。
そう思えば、取り上げられない。と言うか、多分それを放置してしまうあの人は違う気がするし、そうして放置してくれても、実は気にしているのではないかと疑う自分が想像できてしまう。
「放っておいて欲しくない、と思うのも本心だし。でも、多分、嫉妬しちゃうのも確実だから。落ち着くまで隠れてたいなぁ」
「無一文で?」
「ねえ…」
となれば、ちゃんと話してそうするしかないだろうけど。
なんにせよ、そろそろ帰らないと、心配されそうだ。流石にあの人も、寝室に戻っている可能性がある。何も持ってないから、どのくらい時間が経ったのかわからないけど。
「帰るか?」
「うん」
「送る」
「だめ」
だめって、と笑うから、本気だよ、と言った。
「三藤さんと一緒のところ、万が一見られたら面倒だもの」
「面倒ってお前なぁ」
まあそれもそうか、と納得しながらも、心配だから離れてついていく、と言われる。それ、ストーカーに間違われないようにね、なんて軽口を叩いて。
「また、散歩するか?」
この辺、走ってるけど、と言われて。
散歩はするかもしれないけど、約束はしないよ、と笑った。たまたま会ったのは、いい。会おうとして会うのは、違う。
「真面目なやつだなぁ」
三藤さんが笑ったと思うと、不意に伸びてきた腕に引き寄せられて心臓がすくむ。驚きすぎて。
香った匂いに誰だかはわかった。
「だめだっ」
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