溺婚

明日葉

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番外編

雨降って(後)





「英理…」


 天羽の家絡みのレセプション。自分ではできないから綺麗に仕上げてもらうのは楽しい、とはにかむように絢佳が以前笑って言っていた。ただ、着まわせばいいからあまり服を買ってくれるな、と本気で言われたが、それは聞き入れられない。妻に同じものを着させていると思われてしまう。
 そういうものなのか、と困り顔をして、それならせめて、普段使いとまではいかないまでも、他のところで着ていく機会が持てるようなものを、という顔が可愛くて、そのまま押し倒した、記憶はある。笑っていると、庶民なんだから仕方ないと不貞腐れたように言う尖った唇を食んだ。



 そんな風に、何回か連れ立ってレセプションに参加しても高いヒールになれない絢佳をエスコートするのは楽しい。
 その時は、いつもは放っておいてもついてくる浅葱がはずせない仕事で来られず、絢佳を1人にしてしまう時間があった。きちんと視界の中に収めていたが、そそっかしいから、人にぶつかる。
 その様子を見て、慌ててそちらに向かって。



 ぶつかった相手に目を見開いた。






 高校1年の時、何か学校で用事を済ませていて帰りが遅くなった日。酔漢に絡まれている派手な顔立ちの人がいた。放っておいてもよかったのだけれど、完全に通り道を塞がれている。
「見物人、増えてるし、やめたら?」
「あんたたち、しつこいわね!」
 感情のこもらない声をかけたのと、感情的な怒声を彼女があげたのが同時で、思わず顔を見合わせた。

 それが、英理だった。
 さらに絡んでくる様子があったが、言ったことはハッタリではなく周囲には人が集まってきており、早々に退散してくれた。そして、彼女がこちらを見て複雑な笑顔を向ける。
「ありがと。でも、君も子供なんだから、無茶しちゃだめだよ?」
「…あなたも女性なのですから相手を挑発するような言い方はやめたほうがいいですよ」
「かっわいくなーい」
 通学途中にあるカフェレストランでアルバイトをしているという英理は大学2年生で、時折言葉を交わすようになった。学校で会う女たちよりも大人びた彼女とは、話していて苦痛がなかった。寄ってくるのは適当に相手をその頃からしていたけれど、面倒ではあった。勝手に盛り上がって取り合いをして、こちらに感情を求めてくる。そんな風に考えていることなど表に出さずに立ち回っていたけれど、英理にはすぐにバレた。
「ほんと、かわいくないわ」
 そんなことを言う彼女と恋人関係になったのは、そんなに後の話ではない。そこから付き合いは続いていたけれど。体の関係を持ったのも、最初だった。
 別れた原因がなんだったのか。名家、と言われる家ではあったけれど、それで付き合いに口を出すような面倒な柵のある家ではない。彼女の方の問題だったのだろう。未成年で高校生。外聞は良くなかったのかもしれない。
「今日で、終わり」
 不思議なほどにサバサバとそう告げた彼女に、ただ、承知をした。後腐れのない関係、とはこういうことをいうのか。無様に縋り付くような、格好悪いことはしたくなかった。そんな風になってもいいと思えるほどには、自分の気持ちもなかったのだろう。






 英理の名前を呼んだ俺と、英理を見比べた絢佳が、なぜか首を傾げる。
 昔の知り合いだ、と教えると、そうなんだ、と屈託なく笑って綺麗な姿勢で英理に挨拶をした。そのまま、なぜか立ち去ろうとするから、慌てる。女と2人で平然と置いていこうとするなんて。
「絢?」
「え?いや、2人で話したいかなと思ったんだけど」
「必要ない。ったく」
 一瞬で、普段女よけ、と絢佳が言っているような相手ではないと見てとったらしいが。俺の態度でそれを判断したのだろう。だから、俺の態度が、間違っていたのだ。





「驚いた。まあ、聞いてはいたけど。本当にいい男になったね」
 必要ない、と絢佳には言ったのに。会社に訪ねてきた英理と会うと、懐かしげに目を細めながらそう言う。ただ、絢佳に言った通り、話したいことなどない。
「どうしたんだ、わざわざ」
 突き放すように言えば、じっとこちらを見つめてくる。ふとその目を逸らして、ため息をつく様子が、おかしかった。
「あんなに優しい顔をするようになっていたから、頼りたくなっちゃったのかな…ごめん、なんでもないわ」
 そう言って立ち上がろうとするけれど。いや、なんでもないと言うならその前のセリフも口に出すなよ、と思いながら、どうしようもなくため息が溢れた。用はない。けれど、突き放すこともできない。きちんと言葉にできる関係があったからなのか。面倒だ。
「いい。聞くだけ聞いてやる」



「ほんと、優しくなったもんだわ」
 しばらく立ったまま黙っていた英理は、そう呟いて応接セットのソファにすとん、と腰を落とすと、そのまま顔を覆ってしまった。

 家でうまくいっていないのだ、と。夫は、結婚して数年で、外に女性がいるようになって。それを指摘したところ、滅多に帰って来なくなった。そんな男なのに、自分や子供たちの誕生日、必要な学校行事にはきちんと顔を出す。
「浮名ばっかり流していた疾矢くんが、やっとたった1人の人を見つけて、あんな風に大事にしているんだと思ったら、羨ましくなっちゃったのね」
「…ばかですか。それで英理が他の男のところに来ていたら、話がややこしくなるだけだ」
「ほんとにそうね。正論すぎて、相変わらず腹が立つわ」
 そんな男のところに愚痴を言いにくるほど、追い詰められているのだろう、とは顔で分かった。軽い口調とは裏腹の、暗い表情。そんなやつならとっとと別れればよかったのだと思うが、夫婦や家庭の事情はそれぞれだ。ほんの少し聞いただけで口を出せる話ではない。


 そんならしくもなく情をかけたのがいけなかったのか。頻繁だと感じる程度に、遅くまで仕事をした後に、すでに寄った様子の英理から呼び出される。子供がいると言っていたのに、と放置もできずに迎えに行き、タクシーに押し込むが、そのまま腕を引かれる。
 送って行った先にいた子は、中学生と小学生。小さくもないが、夜中まで放っておくのもどうかと思われる微妙な年齢。いっぱい付き合わされたりもして、そんな中のある日。
「なんか、いい香り。柑橘系?」
 夜中まで待っていてくれた絢佳に言われて、思わず身を引きそうになった。平静を装って答えると、疑う様子もないことに胸が痛む。やましいことはしていない。ただ、嘘は、ついた。今、まさに。


 そんなやましさなのか。隠したかったのか。そのことがあった3日後にまた呼び出された日。花を買って家に入った。珍しい、と言いながらも嬉しそうに口元が緩んでいる絢佳が可愛くて、ほっとしたくて、抱き寄せた。
 その瞬間、絢佳の体が強張る。え、と思っていると、絢佳の方からキスをされた。
「絢?」
 驚いて名を呼ぶと、その開いた唇に辿々しく舌が入れられる。思わず応えてしまうけれど、おかしい。自分からなんて、照れてしまって頼んでもなかなかやらない彼女が、玄関で?
 理性を寄せ集めて、なんとか絢佳の肩を掴んで目を合わせる。
「どうした?」
「…今日、疾矢を見たよ。仕事って、英理さんと、だったの?」
 やきもち?なんて、からかえる雰囲気は一切なかった。一瞬浮かんだその言葉に浮かれた自分はつくづく、ばかだ。傷ついた絢佳の目を見て息を飲んだ。
 そうして、話すと。絢佳がぎゅ、としがみついてくる。
「…ごめんなさい。そうやって、放っておけない疾矢の方がいい。そんな時に、わたしのこととか気にして放り出しちゃう疾矢じゃない方がいい」
 違う、そうじゃない。絢佳といるようになってからだ。そんな風な自分は。
 そう思うのに、そう言っている絢佳の様子が気になって仕方ない。その言葉は確かに本心なのに。
 ただ、疲れた体に絢佳がずっと密着していることがこの状況で残念なことに体が反応する。絢佳の体が揺れたから、気づいたな、とそのまま抱き上げた。体を重ねて誤魔化すわけじゃない。ただ…英理といると、心がささくれる。正直、自分でどうにかしろ、としか言えない内容なのだ。甘える相手を欲しがっているだけだ。それは、俺じゃない。

 寝室で、絢佳をベッドに下ろし、自分も乗り上げる。そのまま、のしかかろうとすると、わずかな抵抗を見せ、代わりにやんわりと横にされる。
 驚いていると、絢佳の手が俺の下半身に伸びていく。情けないことにそれだけで反応した俺を見上げ、絢佳が、体をずらして行った。





 そうして。
 行為の最中、絢佳は俺の向こうに女の影を見ていた。それに対抗するように…。
 そうさせたのは自分なのに、虚しさに耐えられず、絢佳を振り払うように、寝室を出た。
 どのくらい、仕事部屋にこもっていたのだろう。



 寝室に戻って、彼女がいないことに焦る。ここにくるまでのどの部屋にもいなかった。スマホも、カバンもある、と確認してから、脇机のメモに気づいた。
















 血の気がひいた。
 時計を見れば、とっくに日付なんて変わっている。当たり前だ。帰ってきた時間が、そもそも遅かったのだ。
 こんな時間に、絢佳が綾部の部屋を頼ることはありえない。いっそ、そうであればまだいいのに。
 出てしまってから、どれだけ時間が経っている?どこまで行った?どこに行った?
 全然、思い浮かばず、考える冷静な頭もなく、とにかく走った。


 その声に気づいたのは、深夜の静寂のおかげ。
 それほど張り詰めて、求めていた声。
 ただ、話し声がすると言うことは、1人ではない。


 そう思って入った公園。
 ベンチに少し間隔を開けて座る2人に血の気が引いた。
 今まで、あの2人が一緒にいるのを目にした中で、見たことのない穏やかな空気。俺に嫌味を言った時の、刺々しい気配は一切ない男。
(どうして)
 ジョギング姿の男を見れば、推測はできるけれど、推測でしかない。


 体が勝手に動いた。
 柔らかく笑う男のそばから、絢佳を奪い返すように、引き寄せた。




「だめだっ」



 やっと出た声は、自分でも驚くほどに掠れていた。





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