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しおりを挟む黙って、でも、腰をしっかりと抱き寄せたまま、琥太狼は凪瑚を連れて歩いてくれた。
こんなの、歩きにくいだろうと思っていたのに、ふわふわとして思考と同じように止まってしまいそうな足が自然と前に進んで、背中も丸まらずに伸びたまま、しっかりと歩けているのは、この人のおかげだと、凪瑚は俯いていた顔を上げようとする。
そうすうると、腰にあるのとは反対の手が伸びてきて、頭を胸元に当てられた。
「え」
「ちょっと待って」
そのまま少し歩いて、ホテル街を抜けて、街路樹のある歩道に出たところでフェンスに寄りかかり、長い足で挟むように凪瑚を間に立たせた。
「さっきの、薫音さんに話してた、お付き合いしてる人?」
「…聞いてたんですね」
「聞こえたんだよ」
見た目は、体の大きさのせいか厳つくて怖くも見えるのに、言葉が柔らかくて思わずホッとする。
どこか、知っている人のような気も、する。
「薄情ですよね。わたしきっと、感情の起伏がないんです。涙も出ない」
「…困ったな」
困らせてしまった、と慌てて離れようとすると、反対に引き寄せられて、フェンスに寄りかかっていることで視線の高さが合っていた琥太狼に抱きしめられる。
こんな経験はなくて。彼氏はいたけれど、全然違う。どうしていいかわからず、反射的に逃げようとするよりも先に固まった。
「さっきから、凪瑚、泣いてるんだよ?」
「え」
顔を上げようとして、引き寄せられて顔をつけた琥太狼のシャツが濡れている。
よしよし、と頭を撫でながら、琥太狼は腕の中の子が、いつ、気づくだろう、と思う。
店に入った時に、すぐにわかった。名前を聞いて、やっぱりと思った。
幼い頃。同じ幼稚園に通っていた女の子。きれいな髪だね、と、真っ直ぐに笑っていた女の子。この見た目で遠巻きにされて、名前で馬鹿にされて、家庭環境で避けられていたあの頃を、楽しくしてくれた子。
「凪瑚、俺のこと、探してた?」
それよりも、そっちが気になった。
人探し、と薫音は言っていた。店を出るときのあのやりとりと、薫音の雰囲気は、多分、自分のこと。
「人は、探してます。名前も、見た目もわかんないけど…」
この界隈で探して、あの店に行き着くとしたら、ろくな話を聞いて探しているのではないだろうし、そう考えると、昔の自分と結び付けられたくはない。けれど。
この顔のまま、電車に乗せられない。
「びっくりして涙は止まったみたいだけど、泣いてましたって顔で電車に乗せたくないし、多分探してたの俺だろうから、ちょっと、話そうか」
しっかりと指を絡ませて手を繋がれて、離れないようにしっかりと引き寄せられて歩きながら、凪瑚は混乱していた。
そんなに簡単に、見つかると思っていなかった。
薫音にあんなことは言ったけれど、そもそも付き合っている相手がいたから、想像するだけだった。まだそれは、話していないけれど。
探している相手のことを、本人だったら申し訳ないながら聞いていたあの噂のまま伝えれば、失笑しながら琥太狼は、間違いなく自分だ、と言い切った。そんな人には見えなくて、ただ、確かにこう言う人なら、一晩だけでも夢を見させてもらえるならと一晩限りの相手にも困らないんだろうとも思う。
驚きに上書きされていって、先ほどの衝撃は押しやられているけれど、一緒にいた彼女が、やっぱり、とは思っても、いたたまれない。あの人が、自分にはない彼女の開けっぴろげで、わかりやすく甘えて、話し上手な、そう言うところに居心地良さを感じているのはわかっていた。ただ。
彼女は、相手がいるはずなのに。あの人はそれを知っているのかと思って、もう、あの人は、関係ない、と思う。
ただ、彼女の相手は、関係ない、とは言えない。
彼女の相手は、薫音に話した親友が離婚した相手。もっと言うなら、亡くなった姉の夫だった人。今もそう呼んでいい関係なのかわからないけれど、義兄で、そして幼なじみ。姉と結婚する前から、ずっとずっと、可愛がってくれて変わらずずっと、大事にしてくれる。小説家の義兄は、親友が亡くなった後、家での仕事だから、と、子供たちを引き取ると言っていた。彼女とうまくやれるかだけが心配だなぁと言っていた顔が思い出される。
子どもの頃から、彼が小説家としてデビューする前から書き上がったものを最初に読ませてもらって、思い浮かぶままの感想を、にこにこと聞いてくれていた義兄は、今もその過程は省けずに作品を書き上げると最初に読ませてくれる。姉も、姉の後に義兄と結婚した人も、そんな関係を嫌がった。親友は、面白がっていたけれど。
「凪瑚?」
不意に呼ばれて、我にかえった。完全に、思いに耽っていて、どこをどう歩いてきたのかもわからない。
これは帰るのに困るな、と思いながら凪瑚が顔をあげれば、思わず目を逸らしそうになるほどの整った顔が気遣わしげに見下ろしている。
「大丈夫?」
「え、あ、うん、はい。え、ここ…」
「ふはっ。この見た目の俺より日本語片言だけど、大丈夫?」
「…大丈夫、です」
思わず肩の力が抜ける言い回しに凪瑚の表情が緩んで、それを鏡に映したように、琥太狼の顔も柔らかくなる。
手を引かれて凪瑚はようやく、どこかにもうついていたことに気づかされる。促されたのは一軒家で、もう玄関先まで来ていたから全容はわからない。ただ、あんな繁華街から歩いてこられる場所に一軒家を構えていることに驚く。
「実家…?」
「1人だよ。君が聞いた噂で、家族と暮らしているような状況だと思う?」
「いえ」
でも、家に人を連れてくるタイプでもないような、と思っているのに、どんどん中に通されてしまう。
当たり前のようにリビングのソファに座らされて、お湯を沸かしている気配がする。きょろきょろするのも、と目のやり場もなくじっと固まって座っていると、ドリップしたコーヒーを持って、琥太狼が隣に座った。手渡されて、琥太狼に顔を覗き込まれる。
「砂糖とかミルク、いる?」
「いえ」
「あ、そもそもコーヒー平気?」
「好きです」
「そう」
嬉しそうに笑う気配に、目を上げると、カップに口をつけている琥太狼と目があって、その目が細められた。
こんな風に、優しく扱われたら、なるほど、一晩でも夢のようで、一晩でいいからと、願う人が跡をたたないんだろう。よく、揉めないな、とは思うけど、一晩の夢で満足するほどなのか。
コーヒーを飲んで一息ついたところで、カップを持て余して手遊びしていた凪瑚は、思い切って立ち上がる。
「あの、カップ洗います…なんか、何から何まで…」
「ああ…気にしなくていいけど、じゃあ、お願いしていい?」
始めてきた家でキッチンに立つのもと思ったが、あのままでは普段居心地悪く感じることもある沈黙がなぜか心地良くてそのまま時間を忘れそうで怖かった。
キッチンに立つのに見回せば、ものは少ないけれど、居心地良さそうに程よく片付いた部屋の中と、家主と同じようにセンスよくおしゃれな家に場違い感を覚えてしまう。
彼に合わせて設計でもしたのかと思う高さのキッチンは、凪瑚には高くて少し不器用な仕草で洗っていると、いつの間に近づいてきていたのか背後に琥太狼が立っていた。凪瑚を挟むようにシンクに両腕をついて、触れそうで触れない距離で琥太狼が立つ。
緊張して固まった凪瑚の手から洗い終わったカップを抜き取って伏せて置き、水を止める。
「凪瑚。あんな俺の噂聞いて、俺を探して、どうしたかったの?さっき、薫音さんに、なんて言ったの?」
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