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1章
前夜の語らい
しおりを挟む千眼獄鯉は、どこにでも現れる。
例えば失意のどん底にいて弱った人間の元へにじり寄ったり。
あるいは眩しすぎるほどの歓喜に我を失った人間の元へ。
時には希望を失い感情が焼き切れてしまった人間の元へも。
この魚は現れる。
けれど、おかしな夢を見たという程度で片付けたり、夢を見て数日で忘れてしまうケースが普通。
そして、放置した結果憑き殺されてしまう。
死因は変死、交通事故、自殺。
一家心中、というケースもあったらしい。
どうして千眼獄鯉は人の夢に入り込み、そして宿主を憑き殺すのか。
椿ちゃん達の見解では、人々の負のオーラで形成された千眼獄鯉がこちらの世界へ来るための準備だろうと見ている。
わかりやすい話が、鯉の滝登り。
鯉が滝を登り、やがて竜となる話。
差し詰め鯉は千眼獄鯉、滝は電車、そして竜は完成体。
ほとんどの人は波長が合わず、取り憑いたところでこちらの世界には来れない。
その場合栄養源として憑き殺されるのが関の山。
けれどごく稀に波長の合った人間、つまり私のような適合者に憑いた場合こちらの世界へ引き摺り込み、実体を持つ完璧な妖怪としての顕現を目論む。
「そんな妖怪が……」
聞いたこともないその妖怪の名前、そして特性。
呆然と聞く私を見るなり雪華さんが足で座布団を引き摺り、私の隣へ移動させたかと思えば勢いよく座り込み、そっと私へ寄り掛かりながら言葉を紡ぐ。
「妖怪とは本来、人が勝手に作り上げ勝手に恐怖する存在じゃった。たとえば江戸時代。今の人の世にあって江戸時代に無かったもっとも大きな存在とは何かわかるかえ?」
「んー……テレビ?」
「テレビ以前のものがあるじゃろ。正解は電気じゃ」
わかりやすい呆れ模様で溜息を漏らし、本堂内の燭台を指差しながら説明を続ける。
「江戸時代、夜になれば蝋燭をつける。が、そんな程度では当然鮮明な明るさは得られんじゃろ?その仄暗い部屋の隅などでネズミや風が物音を立てた時、初めて妖怪が生まれるんじゃ」
「え……そんなものなんですか?実際に見たとかじゃなくて?」
「今に伝わる姿カタチは全て想像じゃよ。妖怪はほとんどが人間の豊かなインスピレーションで創られた空想じゃ。例えば源頼光が討伐したことや桃太郎伝説でも知られる鬼、あれの正体ってなんだか知っとるかえ?」
「え、正体……?」
突拍子もない質問に困惑するも、寄り添う雪華さんが面白おかしく耳打ちする。
その内容は俄には信じ難いもので、イメージが崩壊するというか……私は思わず変な声を上げてしまった。
「鬼って、そんなものなんですか!?」
「うむ。妾が酒呑童子討伐の際に現地に赴きこの目で確認したから間違いはない。じゃがな、鬼は存在せずとも鬼という存在は確かにある……それはなぜか」
先程まで燭台を指していた指が、今度は私の額に突き立てられる。
「人の念というものはそれほど強いんじゃよ。言い伝え、信仰。祟りや呪いの類もそうじゃ。十人十色の畏怖や信仰が様々な妖怪を作り上げ、姿こそ見えないものの確かな存在として人の世の陰に産み落とすんじゃ」
つまりは千眼獄鯉は人の悪意や負の感情により生まれた現代の妖怪、怪異の一つと言うべきか。
雪華さんの言うとおり十人十色の思念、様々な妖怪がこの世にいるのなら私がその魚を知り得るはずもない。
説明を聞いて納得こそしたものの、同時にその魚の特性について一つ疑問符が浮かんだ。
「記憶が食べられて無くなるんだったら、さすがに側から見ても不自然なんじゃないですか?」
「まぁ、正確に言えば完全に消滅するわけではない。奴もそこまで馬鹿ではないからの」
眠いのか欠伸をしながら私の肩に頭を預け、目を閉じる。
柔らかな耳が頬に当たり、時折ぴくぴくと動くせいでかなりくすぐったい。
「その怪異は記憶を食い荒らすことは出来ても、あったという事実そのものは消滅させられないのじゃ。早い話が記憶の改竄といったところかの。そして妾が聞いた話によるとーーーーーー」
雪華さんが、恐らくとても重要なことを言おうとした時だった。
私の胸ポケットに入れていたスマホが突然振動しながら鳴り響き、同時にそれまで忘れていた大事なことを思い出させる。
「あ、多分お母さんだ。どうしよう、絶対心配してるよ……」
最後に連絡してからかなりの時間が経っていて、行方不明と捉えられてもおかしくはないと思う。
急いで頭の中に浮かぶだけの言い訳を張り巡らせて、電話に応答しようとする。
けれど、その行動はいとも容易く拒まれてしまった。
「すまぬが、今宵は出てはならん」
私の手首を痛いほどに強く握りながら電話への応答を阻止して、さらには警告ともとれる一言をわたしに突きつけた。
何か理由があるのだろうけれど、私にはその行動、発言が到底理解できなくて、今なお鳴り響く着信音が心を揺さぶり続ける。
「なんで、どうして?」
理由を問いただそうと尋ねるも首を横に振るだけで一向に答えようとはせず、不意に私を抱きしめてきたかと思えば、今度は頭を大胆に撫で回した。
「不安なのも、急ぎたい気持ちもわかる。じゃが、今宵だけは辛抱するのじゃ。安心せい、もはや解決は目前じゃ」
雪華さんの額が私の額と合わさり、優しく語られる台詞の一つ一つが私の焦りと緊張の糸を解いていくのを感じた。
「椿よ、妾は仮眠を取るゆえ目が覚めるまでに準備を頼む」
瞳を閉じたままお祓いと思われる準備を椿ちゃんへ丸投げにして、力無く後方へ倒れたかと思えば座布団を枕代わりに寝転がってしまった。
「……本当人使いが荒いですね。少なくとも猫カフェの旅費分くらいの報酬はいただきますから」
文句を呟きながら鉛筆とメモ帳をポケットにしまい、私に一礼をすると間もなく蝋燭もなしに闇の中へと消えてしまった。
音もなく去っていく様子はさながら猫のようである。
祟りにお祓い、別世界での迷子にインタビュー、諸々。
さすがに情報過多というか、いろんなことが起こり過ぎたせいで疲れが押し寄せる。
「明日はまた大変じゃ、早う休んだほうがよいぞ」
私の後ろで雑魚寝状態の雪華さんが呟く。
「は~い……んん?」
たった今、背後から聞こえた雪華さんの声がやたら高く聞こえた。
最初は疲れによる聞き違いかと思ったけれど、その違和感は振り返っても払拭されるどころかますます膨れ上がってしまった。
寝転がっているのは間違いなく雪華さん、のはず。
けれど、私より高かった背格好がどう見ても私より小さくなっている。
手足や尻尾も一回り小さく見え、凛々しい顔も今では童顔になっている。
「ど、どうしたんですか雪華さん」
音もなく現れたその雪華さんの違和感に困惑の色を隠せず、凝視したまま尋ねてみる。
「うむ、妖力切れじゃ。今日は人の世へ遊びに行ったが故結構消耗したしの。ちょっと寝れば元に戻るわい」
何やら得意げな顔で耳を小刻みに震わせ、いつものことだと言い聞かせる。
妖怪、怪異とやらの常識は私にはさっぱりだけれど、まるで電子機器のバッテリーのような雪華さんの仕組みを耳にするとつい笑みが溢れてしまった。
座布団を雪華さんのすぐ隣に移動させ、傍へ寄り添うように寝転がる。
「……あ、そういえば」
柔らかな座布団へ頭を預け、燭台によりぼんやりと照らされる天井へ視線を向けると、忘れていた"聞きたかったこと"が脳裏を掠める。
「海山ってどんな人なんですか?」
天井を見つめたまま、何のひねりもなく単刀直入に聞いてみる。
雪華さんはすぐには口を開けずしばらく沈黙していたが、やがて小さな吸息と共に言葉を紡いでくれた。
「海山は……五百年前に世を震撼させた怪物じゃ」
「え……ご、ごひゃく!?」
人間、と聞いていたけれど、その話を聞く限り最低でも五百歳以上。とても人間とは呼び難い。
「よい反応じゃなぁ。驚きじゃろうが、こちらの世界にいれば歳は取らん。時間という概念が人の世と若干異なっておるからの」
声を荒げて驚く私を見てはけたけたと笑い、至極当然の摂理のように語る。
「今から五百年前、正義を掲げて悪を斬る人斬りがおってな。人間離れした剣の腕で悪鬼を断つ悪鬼として海山は恐れられたんじゃ」
「つまりは……辻斬り的な?」
私の問いに小さく頷き、どこか昔を懐かしむように語らい続ける。
「人を斬るとな、聞こえるんじゃ。嫌な音が。鉄の板が肌へ滑り込み骨や臓腑を断つ音。そして聞くに耐えない呻き声や悲鳴。耳から離れなくなるのは当たり前。けれども悪鬼がおる限りやらねばならんことなのじゃ。そう、例えその刃が愛人へ向けられてもじゃ」
言葉を失った。
生々しい人斬りの話、海山という人に押し付けられた正義が最後何をしたのか、想像するだけで背筋に冷たいものが走った。
雪華さんが過去に何を見てきたのか、全てがわかるわけではない。
けれど、本尊の傍らに供えてある刀が物語っているような気がしてならなかった。
「安心せい、彼奴はもう刀を握らん。今や単なる医者もどきじゃ。ほれ、子供は早う寝んか」
「今じゃ雪華さんだって子供みたいなものじゃん」
座布団にすっぽり収まりそうなほど小さく、まるで猫のように丸まり、雪華さんが本格的な仮眠体制に入った。
結局、その海山という人物がどういう性格だとか、詳細までは明かしてくれなかった。
けれど会えばいずれわかる、そう囁く雪華さんの言葉を信じて私はそっと瞳を閉じ暗闇に息を潜めた。
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