私ときつねさんとおじさんと

メイ

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1章

失われた記憶

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 いつの間に、何時間寝ていたのだろう。

 不意に意識が覚醒して、わずかに残る眠気を堪えながら目を擦る最中、隣にいるはずの雪華さんの姿がないことに気がつく。
辺りを見渡しても姿はなく、眠りに落ちる前と何ら変わらない暗闇が広がっているだけ。

 どうやら、この世界には陽が昇るという概念は無いみたいだ。


「ほっほっほ。二百年前に着たきりじゃがピッタリじゃわい」


 本堂入り口の襖が勢いよく開き、巫女服姿の雪華さんがなにやら上機嫌な様子で入ってくる。


「……寝起きから随分と上機嫌ですね」


「おお、起きておったか。とりあえずおはよう」


 雪華さんが朝の挨拶をする

 なぜ巫女服なのだろうか。そしてやっぱりこんなに暗くても朝なんだなぁ。コーヒーの一杯でも出してくれると嬉しいな。

 そんなことを思っていると、雪華さんが開けっ放しにしていた入り口から椿ちゃんが、何かを引き摺りながら登場する。


「……重い」


 何やら布に包まれた長い棒のようなものを引き摺り、ゆっくりと雪華さんの元へ歩み寄る。


「うむ、御苦労。魚の銛突きには充分じゃ」


 椿ちゃんから手渡された棒状の代物を片手で軽々と持ち上げ、全体像を隠すように巻かれた布を振り解いていく。

 姿を表したのは、大きな薙刀。
 分厚い刀身が怪しく蝋燭の明かりを反射し、刃の根本部分にはお札が巻き付くように貼られている。
 柄の長さは身の丈程、そして重厚感ある刀身。それらを加味して軽々と、それも片手で扱う雪華さんの筋力はどうなっているのか、もう薙刀以前にそちらが気になり始める。
 せっかくの可愛らしい巫女服も、その物騒な代物のおかげで可憐さよりも勇ましさが勝っている始末。
 本当にこれをお祓いに使うのだろうか。


「……雪華様、お時間です」


 腕に巻いた猫型の腕時計を確認しながら椿ちゃんが告げる。


「なんと、もうそんな時間か。寝起きじゃろうし、もうすこしゆっくりさせたいのは山々じゃがなぁ」


 溜息混じりに雪華さんが呟く。

 これからどんなことが起こるのか皆目検討もつかないが、少なくともあの薙刀を装備するあたり只事ではないのはなんとなくわかった。
 さすがにあれでいきなり襲いかかってくる、なんて展開は無いとわかってても、刀身が煌めくたびに身体が硬直しそうな感覚をひしひしと感じた。


「雫よ、これからほんの一時、相当辛い思いをせねばならぬじゃろう。じゃが、一つ約束せい……決して自分を見失うでないぞ?」


「え、ちょ……どういう……!?」


 なにやら意味深な一言により混乱がさらなる混乱を招き、動揺を隠せない中、足元に何やら違和感を覚えた。
 恐る恐る足元へ視線を配るも、そのあまりの異変に背筋が凍てつき、つい言葉を失った。

 たしかに畳のはずだった足場が黒くまるで底無し沼のようにぬかるんで、こうもしてるうちにみるみる身体が沈んでいく。
 もがけば当然のように早く沈み、一人で抜け出すのはほぼ不可能とみていいだろう。


「おお、本当に時間通りじゃな。さすが、伊達に研究してるわけじゃないのう」


「当たり前です。とは言っても想定より三分ほど早いですし、正確さに関して改善の余地はまだありますが」


 どうみても緊急事態が目の前で起こってるにも関わらず、肝心な二人はどうでもいいことで話に花が咲きかけていて一向に助け舟を出す気がない。
 

「いやいや、まずは助けるのが先じゃない!?」


 私の声がようやく届いたのか、椿ちゃんと視線が合う。


「まぁ、頑張ってください。応援してますよ」


「助ける気ゼロじゃん!」


 まさかの塩対応ぶりに愕然とするも、そうこうしてるうちに私の身体は完全に沈んでしまった。
 何も見えない、まるで夜の水中のような闇の中へ。











 沈む、沈んでゆく。
 音はない。何もない。何も感じない。

 何もない。


 時折り目の前を小さな光が横切るも、すぐに消えてしまう。
 息はできる。考えることもできる。
 けれど、体は動かない。 


 遠くで何かが聞こえる。
 泣いた声。これは……私の声?


「うぅ……お母さん……お母さん……」


 なぜ泣いてるのか私にはわからない。
 暗くて何も見えないのだから姿なんて当然見えるわけもない。
 お母さんについて泣いてる理由もさっぱりわからない。
 けれど、なぜか頭の奥が痛み、その泣き声が頭の中で何度も何度も響き渡る。


「どうして死んじゃったの……お母さん……」




 死んだ?お母さんが?
 
 そんなはずはない。
 つい昨日も電話をしたはずだし、さっきだって電話をかけてきた。かけてきたはずだ。

 そうだ、これは全部悪い夢で幻……全部忘れよう……



「うむ、そうして目を背けてもお主のためにならんぞ?」


 この声は……雪華さん?
 目を背ける?何から?


「千眼獄鯉は誰にでも取り憑くが、そのかわり千眼獄鯉の意思で自由に取り憑くことはできん。どうしても消し去りたい過去、記憶。それらに反応して寄ってくるんじゃ。つまりは宿主自身が知らず知らずのうちに祟りを招き入れてしまうんじゃよ」


 頭の中に映像が流れ込む。
 お母さんの遺影が置いてある、お葬式。

 ……ナンデ?


「椿にお主の過去を調べてもらったが、母親は十年ほど前に交通事故で死んでおる」


 頭の中に、閃光が駆け巡る。
 交通事故、お母さんの死、お葬式。
 知ってる、全部知ってる。
 
 だって、この目で見たことなのだから。


「今までお主が母親だと思い接していたものこそ千眼獄鯉そのものじゃ。妾が昨夜電話に応答させなかったのは奴に異変を伝えるため……千眼獄鯉は宿主から八時間以内に応答が無ければ行動に出るからの。それに、この世界にはそもそも電波という概念は無い。奴自身が己の存在をこれみよがしに主張してしまうとは皮肉なものじゃな」



 ありえない。

 私の中のが主張する。胎動する。やがて、顕現する。

 私は何も考えずただ現実を否定してればいい。そうすれば、またいつもの日常へ戻る。


 彼がそうしてくれる。楽にしてくれる。





「死んだ者は元には戻らぬぞ!」




 頭の中のどす黒い泥土を掻き消すように、雪華さんの声が響く。

 目前を優雅に煌めき泳ぐ小魚の群れが散り、雪華さんの姿が鮮明に見えた。





「お主が立ち止まっても時間は戻らぬ!時間は止まらぬ!お主の足はその場に立ち止まり過去を振り返るためのものか?前を向き歩むためのものじゃろう!」


 
 雪華さんのその言葉に、暗く深い私の中の闇が彩られていく。

 長きに渡っていた自分への嘘、偽りがあっさりと紐解かれ、本当の私が目を覚ます感覚を痛感した。







 はっきりとは覚えてないけれど、私はいつの間にか本堂にいて、雪華さんの胸の中でずっと泣いていた。
 ずっと、ずっと。
 傍らには無数の目を持つ巨大な鯉が急所を突かれた状態で横たわっていたけれど、それ以上は私の眼中に入ることはなかった。
 


 私はもう、自分に嘘はつかない。前に進むために。
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