そうして、『兎』は愛を知る

池家乃あひる

文字の大きさ
10 / 28

10.受け入れ

しおりを挟む
 気付いた時には、ドブの初めてのお風呂は終わっていた。
 ノースは途中から出ていったが、代わりに同じ服を着た女性二人に洗われ、微睡んでいるうちに、濡れていたはずの身体はいつのまにか清潔な服に身を包んでいた。
 白いシャツに、黒のズボン。装飾こそ違うが、肌触りは他の兎たちが着ていたのと変わりないほど。
 お風呂だけではない。誰かに服を着せられたのも、髪を整えられたのも、ドブにとっては初めてのこと。
 何もかも現実にしか思えないのに、頭の中がふわふわとおぼつかなくて、夢との境目が曖昧になっている。
 夢、のはずだ。仲介所に監視官様が来たのも、彼が自分をここまで連れてきたのも、今に至るまでの全部が、目覚めるまでの幻のはず。
 なのにいつまで経っても覚める様子はなく。少しでも長く、と願ったのは本心だが、ここまで起きないと逆に目覚めの瞬間が恐ろしい。
 実は、これは死に際に見ている最期の夢で。だからこそ、ずっと目覚めないのではないのかと。
 連れてこられた部屋の、これまた柔らかいソファーに座らされたドブがそう考えていることなど誰も知らず。膝に手を当て、少しでも小さくいようとするのは、それも過去の記憶によるもの。
 ……仲介所でこんな場所に座っていたら、すぐに殴られただろう。
 いや、座る以前に、許された場所以外に入った時点で折檻されていた。
 入っていなくても他の兎にうそぶかれ、叩かれた回数は両の手では足りない。
 落ち着かず、指の爪と皮膚の境目を引っ掻いて。ピリ、とした痛みを感じ始めた頃、ドブの耳先が揺れる。
 捉えたのは、二つの足音。重い靴の音と、聞き覚えのある歩調。
 やがて開いた扉の先。見えたノースの姿に、立ち上がろうとした足が動かなかったのは、僅かに見開いた蒼と目が合ったからだ。
 頭の上から、足先まで。何かを確かめるように辿られ、思わず自分の姿を確かめる。
 されるがままであったが、やっぱり着てはいけない物だったのかもしれない。
 もしかしたら、誰かがゴミと思って捨ててしまって。だから、仕方なく用意したのかも。
 
「あ、の、私の、服……」
「……あ、ああ。あの布……いや、服はこちらで捨てさせてもらった。……思い入れがあったか?」

 捨てられたと聞いても悲しくはなく、むしろ当然である。
 であれば、仕方なく用意されたものなのだろうと納得して、服ごと握り込んでいた膝を慌てて離す。
 ……本来なら、自分のような混血が着ていい物ではない。

「急ぎ既製品を用意させたが、どこか気持ち悪いところが?」
「い、いいえ。ありがとうございます。あの……なるべく汚れないように、早くお返しいたします」
「それはお前に与えた服だ、返す必要はない。なぜそう思った?」

 肌に当たる感覚は落ち着かないが、気持ち悪いはずがない。ただ、借り物ならば綺麗な状態で返さなければならない。
 自分が着ている時点で汚くなっているかもしれないが、と。再び握りそうになった服の代わりに皺を寄せたのは、ドブではなくノースの眉間。
 不快にさせてしまったと、視線は落ちて手元へ。
 結局、握り締めてしまった手をほどくことができず、背後から聞こえるのは無意識に動いた尾の音。
 潜り込む隙間はなく。あったとしても、その視線から逃げることなんてできない。

「そ、の……驚かれていた、ようだった、ので。着てはいけなかったの、かと」
「それは……」

 一人は返事を待って、一人は言葉に詰まり。僅かな沈黙の終わりは、朗らかな笑い声によって。

「不安に思うことはありません。ヴァルツ様が見ていたのは、あなた様が愛らしい姿で待っていたからですよ」
「セバス」

 ドブに向けた以上に深い皺を刻んでいるのにも関わらず、睨まれた男は動じることなく。それどころか、よりその目元を緩ませて笑う。

「おや、違いましたかな?」
「それは……っ」
「あ、あの。僕は……兎じゃ、ない、ので……」

 聞き間違いでなければ、彼は愛らしいと言った。だが、それは純粋な兎に対してのみ向けられる言葉だ。
 ドブの半分は、違う種族の血。耳も尾も、背丈も、本物の兎には遠く及ばない。
 だから、可愛いのも、愛らしいのも、それは違うはずだと否定する声が萎んだのは、途中で口答えしていると気付いたから。
 兎は、主人に逆らってはいけない。決して機嫌を損ねてはいけない。
 そうでなければ愛されないと、アルビノたちに言い聞かせる言葉は何度も聞いていたのに。
 でも、こんな時にどうすればいいかをドブは知らず。俯く耳を揺らしたのは、小さな溜め息。

「……お前も混乱していたし、些か性急だった。改めて、お前の状況について話そう」

 対面に座っても、見上げることには変わらず。見つめる蒼に柔らかさが戻ったことに困惑する。

「まず、お前は他の兎と同じように保護されるはずだった。監視局の書類にも、兎として扱うように指示がある。血を理由に対応を変えること、ましてや虐げることは、この国では重罪だ」
「混血には、価値がないと……」
「価格が低いことは否定しない。だが、それでも希少な兎だ。仲介所にはその利益の数割を得る対価として、兎の心身を守る義務がある。あの仲介所に携わった全員には、その責務を放棄した処罰を下すこととなる」

 オーナーも、仲介所の従業員も、皆がその対象になるのだろう。
 他にも処罰となることをしていたかは、ドブには分からない。少なくとも、もう彼らに会うことはない、ということだけは確か。
 自分のことのはずなのに、どうにも話が入ってこないのは、やはり夢だからだろうか。
 価値がないと言われ続けたドブには、そもそもすぐに受け入れられるものでもない。

「それまで預かっていた兎は他の仲介所へ移動となるが、成人済みの兎に関しては、規定通りに新しい預かり元へ引き渡される」
「アルビノ、は?」
「あの白い兎も同じだ。どこに引き渡すかはこれからになるが、気になるか」
「監視官、様は、特別な兎を受け入れに来たと……」

 あまりにいろいろなことが起きて忘れかけていたが、確かにアルビノはそう言っていた。
 特別な監視官。特別な兎。それは間違いなく、アルビノであると。
 ドブだってそれは否定しなかった。なのに、今ここにいるのはドブで、アルビノではなく。
 でも、彼はアルビノを受け入れないと言っていた、ような……?

「そもそも、私があの仲介所に向かったのは調査のためで、兎を迎えるというのは勝手に言われていただけだ。今回はそれを逆手に取ったが……想定よりも腐っていたようだ」

 押し殺した溜め息も、ドブの耳は余さず捉えてしまう。
 自分に向けてのものではないと分かっていても揺れる先は、目の前の男にはどう映っているのだろうか。

「とにかく、お前は兎として保護されるはずだったし、服も風呂も医者も、これまで与えられるべき物を与えられていなかっただけだ。それらを得ることに、お前が負い目を感じる必要はない。今後が決まるまでは、ここがお前の家であり、住む場所だ」

 一つ、二つ。瞬き、遅れて届く言葉の意味を、やはり飲み込みきれずに呆ける。
 ここが、家。ここが……自分の、住む場所?
 混血の僕が、兎として?

「……だが」

 三つ目の瞬きは、否定の言葉に対して。

「お前がここにいるのは兎として保護するためであり、迎えたわけではない。私はお前の主人ではないし、お前を愛することもない」

 突きつけられる言葉に、普通の兎なら息もできなかっただろう。
 真っ向から愛されないと突きつけられて、傷付かない兎はいない。
 だが、ドブにはなんの痛みもない。むしろ納得しているほどだ。
 そもそも、混血のドブを愛する者はいない。それは、最初から分かっていたことだ。
 それはこの人も同じ。だから、混血でも兎だと言われるよりも、よほど受け入れられる。
 むしろ、こんな自分を保護してくれるというのだ。
 それも、他の兎と同じように。それだけで、ドブにとっては十分過ぎる。これ以上など、望んではいけない。

「愛しはしないが、兎としての待遇は保証する」
「ありがとう、ございます」

 深く頭を下げて、再び見た蒼はやはり温かく。顔の緊張も緩めば、少しだけ眉が動いた気がしたのはドブの見間違いだったのか。

「本来は主人が兎に名を与えることになっているが、今の名で呼ばれるのも不快だろう。とはいえ、名を呼ばないのも支障がある。何か希望はあるか?」

 今の名前の由来も、彼は知っているのだろう。いや、ここに来る前、アルビノが叫んでいた。
 ドブのように汚い毛色。いつだって汚れて、その名前にふわさしいほどに醜い姿。
 呼ばれる度に胸が苦しくなっていたのも昔のこと。
 だが、改めて名前をと言われ、咄嗟に首を振ってしまう。
 今言われたばかりだ。保護しているだけだと。あくまでも、ドブがここにいるのは一時的なこと。
 こんな綺麗な服まで貰っているのに、名前までお願いするのは我が儘だ。
 それに、ドブは覚えている。この人は、本当は兎が嫌いだ。
 確かにドブの外見は、兎のそれとは比較できないほどに醜い。それでも、半分でも血が混ざっている以上、彼の嫌いな存在には違いはないのだ。
 こんな優しい人を、困らせてはいけない。

「まぁ、急いで決める必要もない。ともかく、お前が何かを与えられることに対し、負い目を感じる必要はない。それだけ理解していればいい」
「あ……の、監視官、様」

 明確に眉が寄り、続く言葉が喉の奥で止まる。
 呼ばれるのも不快になったのかもと揺れた肩に対し、小さな溜め息は耳先を擽って跳ねさせる。

「…………ヴァルツだ」
「え……?」
「屋敷の中ならともかく、監視官では他の者と区別がつかない。私のことは名で呼びなさい」

 言いながらも眉は寄ったままで、しかし目は優しくて。その方が嫌ではないのかと思いながらも、呼べと言われて逆らうことはない。
 
「あ……ありがとうございます。ば、ルツ、様」

 馴染みのない発音を舌で転がして、うまく言えず。
 だが、それに対して嫌な顔はされなくて。態度と表情の矛盾に、ドブの理解は追いつかないまま。

「先も言ったが、これはお前の権利だ。礼を言われることはしていない。……私は仕事に戻るが、あとのことはここにいるセバスに任せている」

 背後に立った男が笑い、お辞儀を一つ。ドブも倣って頭を下げれば、ヴァルツは既に扉の前へ行っていたところ。

「あ、あの」
「なんだ」

 保護されているだけ。ご主人様ではない。それでも呼び止めてしまったのは、きっと言うべきだと思ったからだ。
 その理由をドブはわからずとも。それが正しいのか、わからなくても。

「……い、ってらっしゃい、ませ」
「…………ああ」

 長い沈黙は、結局正しかったかを量るには足らず。扉は閉まり、遠ざかっていく足音が聞こえなくなって……それから、近づいてきた音へ向き直る。
 見上げた灰色の瞳は、しゃがんだことでドブと同じ視線へ。目元の皺はより深く刻まれ、口に浮かぶのは柔らかな笑顔。

「申し遅れました、私はヴァルツ様にお仕えしている執事のセバスと申します」
「セバス、様」
「私の事は呼び捨てで構いません。他のメイドも同様に、お気軽にお呼びください」
「それは……」
「さて!」

 執事、とは言ってもヴァルツに仕えているのなら、ドブよりも身分が高い。
 所有物として迎えられたのではなくても、そんなことはできない。
 だが、首を振るよりも先ににっこりと微笑まれ。強く張り上げた声に、否定の言葉も出てこないまま。

「お医者様が来るまでまだ時間がありますので、先にお食事にいたしましょうか」

 もちろん、その提案に対しても、ドブが首を振ることはできなかったのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

僕だけの番

五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。 その中の獣人族にだけ存在する番。 でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。 僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。 それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。 出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。 そのうえ、彼には恋人もいて……。 後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件

表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。 病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。 この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。 しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。 ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。 強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。 これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。 甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。 本編完結しました。 続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください

愛を知らない少年たちの番物語。

あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。 *触れ合いシーンは★マークをつけます。

過労死転生した公務員、魔力がないだけで辺境に追放されたので、忠犬騎士と知識チートでざまぁしながら領地経営はじめます

水凪しおん
BL
過労死した元公務員の俺が転生したのは、魔法と剣が存在する異世界の、どうしようもない貧乏貴族の三男だった。 家族からは能無しと蔑まれ、与えられたのは「ゴミ捨て場」と揶揄される荒れ果てた辺境の領地。これは、事実上の追放だ。 絶望的な状況の中、俺に付き従ったのは、無口で無骨だが、その瞳に確かな忠誠を宿す一人の護衛騎士だけだった。 「大丈夫だ。俺がいる」 彼の言葉を胸に、俺は決意する。公務員として培った知識と経験、そして持ち前のしぶとさで、この最悪な領地を最高の楽園に変えてみせると。 これは、不遇な貴族と忠実な騎士が織りなす、絶望の淵から始まる領地改革ファンタジー。そして、固い絆で結ばれた二人が、やがて王国を揺るがす運命に立ち向かう物語。 無能と罵った家族に、見て見ぬふりをした者たちに、最高の「ざまぁ」をお見舞いしてやろうじゃないか!

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

処理中です...