そうして、『兎』は愛を知る

池家乃あひる

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13.二週間後(ヴァルツ)

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「で? あれからどうなんだ?」

 忙しなく動いていたペンがピタリと止まる。
 顔を上げた先、書類を運びに来たはずの男は笑い、金の瞳はどうなんだと急かすように歪んでいる。
 二週間に及ぶお披露目期間が終わることは、同時に監視局の繁忙期を示す。ただでさえ届け出された書類は多く、確認事項も多い。
 そのうえ、先日不正が発覚した仲介所の処理も重なるとなれば、到底こんな無駄話をしている時間はない。
 形だけの休暇の間、持ち帰った書類の数は多く。ここでしかできない処理も山のように。
 これがただの部下なら睨んで終わりだが……相当無理を押しつけている同僚ともなれば、気晴らしに付き合うのもやぶさかではない。

「進捗はお前も知っている通りだが」

 とはいえ、ヴァルツの対応はそこそこに冷たい。否、世間話に付き合うだけまだ優しいだろう。
 そもそも監視局の司令に、こんなにも気軽に話しかけてくるのは昔なじみのピルツぐらいだ。
 入った年数だけで言うなら、ピルツもヴァルツも差異ない。
 異例の早さで昇進となったのも、代々監視官として従事してきたノース家の功績と、ヴァルツ自身の実力があってのこと。
 下積み時代からの同僚だからこそ、その強みも弱みも分かっている。
 情報収集に努めさせているのは、彼が最も早く、正確で、最も信頼できる者だからこそ。
 あの仲介所に関しても、彼の功績は大きい。

「仕事じゃなくて、保護した兎だよ! ほら、あの混血の」

 ……とはいえ、聞かれたくないことを聞かれるのは、許容範囲外となる。
 作業に戻ろうとした手は止まったまま。ペン先に溜まりかけたインクを見て、瓶へ戻すだけは俊敏。

 ノアールを迎えてからも二週間。
 初めは戸惑っていた彼も、ようやく普通の生活に慣れてきたところだ。
 セバスや専属で付けたメイドとも打ち明けているし、食事や入浴の抵抗も薄れてきている。
 今は専門の教師を引き入れ、一般教養を含めた、兎に必要な知識も改めて教えているが……どうやらセバスの見立て通り地はいいらしく、着実に知識を蓄えている。
 さすがに今は、これが現実だと認識しているのか。隈も薄れ、肌つやもよくなりつつある。毛にも光沢が現れ、薄らと……しかし、確実に兎としての鱗片を覗かせている。
 名を呼ぶ度に耳先が跳ね、嬉しそうに見上げる顔に至っては――。

「名前も付けてやったんだろ? たしか、ノアール君だったか」
「……いつまでもあんな名前で呼ばれるのは不快だろう。仕方なくだ」

 思考から戻り、小さく息を吐く。そう、仕方なかったのだ。
 兎としての自尊心を取り戻させるためにも、ドブだなんて名前は変えさせる必要があった。
 本来、兎の名付けは正式に受け入れた者の権利であり、兎にとって名付けは特別な意味を表す。
 ノアールは受け入れてくれる者はいないと言っていたが、過去にも混血を迎えた者はいる。それが善人であったかはわからずとも、需要だけで言えば混血にもあるのだ。 
 心配するまでもないと、言うだけなら簡単だったが……あのまま寝かすこともできず。名を与えることで落ち着くのならと、ヴァルツも妥協したのだ。
 あんなにも喜ぶのなら、もっと真面目に考えるべきだったか。
 いや、迎えるわけでもないのに確かな名を与えるのは、ノアールの今後に支障が……。

「クロでもネコでもよかっただろうに」
「そんな適当な名前を付けろと?」
「睨むなよ! 冗談だって」

 少なくとも今出された候補よりはマシだと、鋭くなる目つきに両手を上げるピルツは大袈裟ながらも反省はしている様子。

「でも、相当気にかけてるんだろ?」
「保護している兎を気にかけるのは当たり前のことだろう。あと数ヶ月もすれば事態も落ち着く。今の状況は、正式な受取人が決まるまでのことだ」
「そのまま引き取ればいいじゃないか。……本当に兎を嫌ってるわけじゃないんだし」

 深い溜め息は、込みあげた苛立ちをそっと押し殺すために、隠すことなく。
 兎嫌い、と噂が流れるようになったのも相当長い。
 それは、監視官に就いた頃、必要以上に淡々と接している姿を見られたことから起因している。
 今では兎嫌いでも法は守る、なんて言われている有様だ。
 原因に心当たりはあるし、現在は普通に接しているつもりだが、一度植え付けられたイメージはいつまでもついて回る。
 兎を避けるようになった事件について、知っているのはセバスと一部の者のみ。そして、ピルツもまた、その限られた者の中に含まれている。
 そのうえでの提案は、ヴァルツが自ら保護すると言ったことに関係しているのだろうが……。

「無駄話が多いぞ、ピルツ。……先日保護した兎はどうなっている」

 セバスのように念を押せば、余計に騒ぎ立てるのが目に見えている。
 黙らせるなら仕事に戻らせるのが最善だと睨み付ければ、肩をすくめたピルツが姿勢を正す。

「未成年の兎については、各仲介所への振り分け、及び承認も終わっています。また、仮名アルビノについてはアルデン伯爵が仮受人として受理されました」
「……アルデンというと、例の愛好家か」
「はい。過去にも保護実績があり、受け入れた後の関係も良好。書類上は問題ないので、このまま確定かと」

 コーヴァス・アルデン。監視官であれば、何度も耳にする名前だ。
 貴族の中でも、特に複数の兎を受け入れる者を愛好家と呼び、コーヴァスはその筆頭と言える。
 毎年のお披露目は欠かすことなく、不要になった兎も率先して迎えているという。
 専用の屋敷まで用意し、定期的な監査でも問題はない。
 仮とはいえ、実際の手続きは仲介所と変わらない。より多くの金をつぎ込んだ者が、その権利を得られるのだ。
 正統な手続きに、これまでの実績。不明点がない以上、断れる理由はないだろう。

「書類上は、な」
「……ええ、書類上は」

 繰り返すのは、いつのもこと。理想的な受け入れ先だが、それも全て紙面上の事だ。
 実際のところ、コーヴァスには様々な疑惑がかかっている。
 お気に入り以外は虐待をしているとか、何かの実験に使っているだとか。貴族に後ろ暗い噂はつきものだが、火のない所に煙も立たない。
 何より、先日ヴァルツが捕らえた違法薬物についても、コーヴァスが関わっている可能性が挙がっていた。
 関係していることは間違いない。だが、巧妙に隠されたせいで決定的な核心は突けず、証拠不十分で検挙には至っていない。
 一吸いしただけで高揚に伴う幸福感を得られ、性感が増すことから娼館や兎の被害も多かった。
 依存性も高く、薬が抜けた後の倦怠感や喪失感に耐えられずに常飲するようになり、最後には死に至る。全くもって、悪質な薬だ。
 流通ルートは抑え、原材料の密輸も厳しく取り締まっている。
 今出回っている分も着実に回収されているが……元を正さなければ、また繰り返すだろう。

「引き続き探ってはいますが、警戒されている間は尻尾を出さないでしょうね。まぁカラスに出すだけの尻尾はないので、羽を落とすって言った方が適切でしょうけど」

 これだから悪知恵の働くカラスは厄介だと、監視官ならぬ思考を振り払うように額をおさえるヴァルツと反し、ピルツの口は随分と軽い。

「で、気になる点が」

 差し出されたのは、三枚の書類。うち二つは、二週間前に例の仲介所から押収した仮の契約書。新たな一枚は、先ほども言われた仮受人を承諾するサイン。
 綴られた名にサッと目を通し、違和感に気付く。

「似ているな」
「ええ、鑑定した結果、ほぼ同一人物で間違いないとのこと」

 仮契約書の人物は存在していないと判明している。であれば、この署名はコーヴァスが書いた可能性が高い。
 これだけで断定するには証拠としても足りないが、疑惑を抱くには十分過ぎる。
 一度のお披露目期間につき、迎えられるのは一匹のみという決まりがある。
 普通に考えれば、本命はアルビノだが……問題は、なぜ二匹揃って迎えようとしたか。
 特別に仲がいい兎同士を迎えるのは、金はかかるが例外的に許されている。
 だが、アルビノはノアールを虐げていたし、そもそもノアールを来客者に見せないよう徹底していたと聞く。
 一体どこでノアールの存在を知り、そして契約書まで結んだのか。

「それともう一つ。最近、新たに兎を譲り受けたことが確認できています」
「この短期間に二人も?」
「こちらに関しては詳細が分かり次第ご報告しますが……思っている以上に深いかもしれません」

 思わぬ繋がりに、今度こそ溜め息すら出ず。積み上がるのは書類だけではなく、この後の仕事も同じく。
 ……今日も帰りは遅くなりそうだ。

「……可能性は低いだろうが、ノアールに接触しないよう注意しておこう」
「俺の方でも、引き続き観察しておきます」

 部屋を出るピルツを見送ることなく、軽く目を揉む。痛みの中でよぎるのは、今も屋敷にいるノアールの姿。
 何事もなく、とはいかないだろう。
 だが、せめて。名を呼んだだけで綻び、喜ぶあの顔が再び暗く落ち込むことがないようにと。
 そう願いながら、終わりの見えない処理に再び取りかかった。
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