世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

7-7.息子たち

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 見開いた瞳は、誰にも映ることはない。だが、クラロが動揺したことは気付かれてしまっただろう。
 金の髪、緑の目。クラロの魔術を破るだけの実力と、確かに残る面影。疑う余地はない。
 目の前にいる人物こそ、クラロが想い続けていたあの男の、息子。

「君も聞いた覚えがあるはずだ。勇者……いや、君の父と私の父は、共に魔王を討ち取った親友。もし淫魔がいなければ、君とは友と呼べる関係になっていただろう」

 言われなくとも、何度も聞かされた話だ。牧師からも、村の皆からも、繰り返しずっと。
 だが、彼に息子がいたことは知らなかった。否、村の誰も知らなかっただろう。そうでなければ、同じように聞かされ続けていたに違いない。
 クラロと同じく、自分たちに残された希望なのだと。
 年はクラロよりやや上に見える。もし、ルシオンが言う世界であったなら、普通に接する日常もあったのかもしれない。
 ……否、それこそ、たらればの話。

「淫魔に支配されてから十数年、我々は君を探し続けていた。王都を始め、各地の村も、谷も、山も、可能性がある場所は全て。必ず君が生きていると信じ……そして、やっと出会えた」

 顔に滲むのは、蓄積された疲労。クラロに会うことは目的ではなく、それは真の望みに繋げるための過程。

「淫魔からこの世界を取り戻すため、私たちはずっと抗い続けてきた。ここにいるのは皆、家族や仲間が犠牲になった者たちだ。私も含め……君と、同じく」
「……話が長い。どうしてほしいって?」

 ぶっきらぼうな言い方になるのは許してほしい。そうでなければ、あまりの馬鹿馬鹿しさに失笑していただろう。
 犠牲にならなかった者など存在しない。当たり前のことだ。わざわざ言葉にするまでもない。
 同情を誘いたいのか、ただ吐露したいだけか。どちらにせよ時間の無駄だと吐き捨てれば、見守っていた一部から不満の声が上がる。
 ルシオンの制止に従うだけ、まだ理性があるのか。あるいは、彼らの希望の象徴だからなのか。
 年上でも、大した差はないはず。であれば、周囲にいる男たちは皆、当時子どもであった彼に押しつけたのだろうか。
 ……その点だけは共感し、同情できたかもしれない。

「……君も気付いている通り、今の私たちだけでは淫魔に対抗することは不可能だ。各地に点在している仲間をかき集めたとしたって、今のままでは敵わないだろう」

 そう、数で敵う相手ではない。どれだけ虫が集まったところで、所詮は虫。不快であっても脅威になることはない。
 クラロの魔術を破れるのが本当にルシオンだけなら、勝率は無に等しいもの。
 捨て身の作戦であったとしても、単なる無駄死にで終わるだろう。

「聖女の息子というだけで対抗策になると決めつけていたわけではない。だが、今の魔術を見て確信した。奴らからこの世界を取り戻すためには、君の力が必要なんだ、クラロ」

 差し出された手を見下ろす。剣ダコのある戦い続けてきた者の手。実際に淫魔と戦ったこともあるのだろう。そうして助け出した者も、今この場にいるのかもしれない。
 だが、努力だけでは賄えない。世界を取り戻すだけの決定打を探し続けていたのだ。
 生きているかもわからぬクラロを、ずっと。

「君もこの世界を取り戻そうと願っていたはずだ。そうでなければ、たった一人であんな場所に潜伏するはずがない。……どうか、共に戦ってほしい」

 彼らは。少なくともルシオンは、本気でそう信じているのだろう。この世界を取り戻せると。クラロがいれば、その足がかりになると。
 その努力を惜しむことなく、これまでの半生を費やしてきた。まさしく、英雄の子と呼ぶに相応しい人物。
 もし、クラロが知る前なら。真実に辿り着きさえしなければ、ここで手を取る未来もあったかもしれない。
 あの淫魔に目を付けられる前なら。正体を知られる前なら。
 いや、知られていたとしても、共に戦えることに希望を見いだし、そうして仲間と呼ぶこともできたかもしれない。
 ……でも、そんな未来はないのだ。
 どれだけ訴えられようと、蔑まれようと。この部屋に入った時点で、クラロはそう確信したのだから。

「オラがほんに聖女のせがれやらだったどすて、そんだげで勝でるど?」
「対抗策はいくつか用意してある。……あれを」

 指示を受け、一人の男が何かを手渡す。大きさにして小指の長さ程しかない小さなガラス瓶に満たされているのは、禍々しい色の液体。

「淫魔たちが使っている媚薬を、何倍にも濃縮させたものだ。数こそ少ないが、無力化するだけの威力は十分ある」

 媚薬なんて、この市街地には溢れるほど存在している。人目を盗んでくすねるくらい容易いこと。
 だが、強力だと強調しているあたり、よほど信頼を抱いているようだ。

「実際に試したのか?」
「いや、これまで使わずに済んでいる。……希少なものだ、無駄にはできない」

 希少と言いながらも素直に渡すのは馬鹿なのか、愚直なのか。透かした液体に光は通らず、角度を変えれば玉虫色から濃い紫と色を変えていく。
 一見すれば油のよう。とても口に入れられる代物ではない。

「それに、各地にも私たちの有志が――っ、おい、なにをっ!?」
「せ、先輩っ!?」

 故に、おもむろに蓋を開けたクラロに周囲が動揺するのは当然のこと。ルシオンだけでなく、クラロの横で縮まっていたエリオットも同様に。
 一斉に口を覆う者たちを横目に、瓶から直接臭いを嗅ぐ。
 甘ったるい臭いの中に紛れる、鼻の細胞が焼かれるような腐臭と、こびり付く不快感。
 嗅ぐだけでも相当な行為だというのに、あろうことか蓋の裏を拭い、その指を舐めるまでしたのだ。周囲の動揺は相応なもの。
 猛烈な甘味。果物とは明らかに違う酸味と、ドロリとした舌触り。痺れるような感覚が舌先から根へ駆け下りて、血が沸き立つような感覚まで。
 暫く味を吟味し、己の異変を確かめる。たしかに、普通の媚薬など比ではない。並の人間なら耐えられないだろう。
 そう、人間なら。普通の、何の対策もしていない者ならば。

「で、各地になんだって?」

 瓶を返し、ポケットを漁る。常備していた解毒剤を流し込んで、身体の不調が消え去るのを実感する。
 薬を持っていたからこその蛮行かと納得した者。試すためとはいえ、貴重な薬を無駄にしようとした事へ怒りを抱く者。行動の意図がわからず困惑する者。
 そして、薬を飲まなければならない程度だったことに、呆れを隠す者。

「あ……あぁ。まだ淫魔の手に落ちていない町に、私たちの有志がいる。全員が集まれば、中隊規模にはなるはずだ」
「連絡は取り合ってるのか?」
「頻繁ではないが、定期的に」

 彼らが担ってくれていると示された方向に、睨み付けてくる男が数名。その顔ぶれに納得を得て、次の言葉を待てども続かず。

「他には?」
「……他、とは」
「媚薬がある。仲間も集ぃば用意でぎる。……で、そんだげで勝でるど?」

 指摘に緑が揺らぐ。現実が見えていないほど馬鹿ではないようだ。
 クラロでなくとも、今の情報だけで頷ける者がいるだろうか。いや、残された人間にとってはついていく以外の選択肢はない。
 残ったところで淫魔の手に堕ちるだけ。それならば、まだ抗った方がマシ。
 彼らを責めることはできない。真に悪いのは淫魔であり、彼らではない。
 どんな小さな希望であろうと、縋りたくなることも理解できる。

「……正直、勝てるとは思っていない」
「おい、ルシオ……」
「――だが!」

 俯いていた顔が、クラロを見据える。その瞳に野心を抱き、ギラギラと燃えながら。
 決して潰えぬ希望の光は、もはや狂気と変わらず。声高く、男は語る。

「どれだけ分が悪くとも、相手が強大であろうと、行動しなければそもそも勝てはしない! ようやく取り戻した平和を踏みにじり、今も虐げられてる皆を助けられるのは私たちだけだ!」

 鼓舞する声に反応し、周囲からヤジが飛ぶ。戦うしかないのだと、その通りだと。

「ここにいるのは、誰も自分が無力だと信じ、屈していた者ばかりだ。犠牲になった仲間を見捨てることしかできぬと悔やみ、嘆き、それでも希望を捨てなかった。……君と同じだ、クラロ!」

 かつて、クラロが望んでいた光景。抱いていた夢。まだ希望とやらが残っていた時に、あるかもしれぬと抱いた幻覚。
 もっと時期が早ければ。なんて考えも、その一言で全てが吹き飛ぶ。

「……同じ?」
「どれだけ苦難な道であろうと、信じていれば必ず未来はある! 私の父も、そして君の父も! そう信じ続けたからこそ、魔王を退けることができた! 彼らの息子である、私たちにできないはずがない!」

 問いは興奮に消え、答えられることはなく。だが、その演説だけで十分すぎるほど。

「君が生きて、私たちと共にいる。それだけで皆が救われる! 君は決して無力ではない! 君が見捨てるしかなかった人たちを、今度こそ助けることができるんだ! 私たちの手で!」

 伸ばされる手は、確かに与える者の手だった。
 希望を、勇気を、未来を。そして、可能性を。
 信じさせるだけの力強さ。英雄の息子。その肩書きに見合うだけの実力。
 挫けた者を立ち上がらせるだけの、強烈な光。

「共に戦おう、クラロ! 奴らからこの世界を――!」
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