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第1章
9話 お茶会騒動 協奏曲
しおりを挟むニアージュの所にアドラシオンがやって来たのは、裏庭で庭師達と、開墾の範囲、植える作物の種類などを話し合っている最中の事だった。
今日はいい天気なので、中庭のガゼボで一緒に茶を飲まないか、というお誘いである。
珍しく侍女を間に挟まず、アドラシオン自らが茶の誘いに来る辺り、もしかしたら何か厄介事でも起きたのかも知れない、などと思いつつ、別段断る理由もないので、アドラシオンと連れ立って表の中庭にあるガゼボへ向かう。
すると案の定、茶を飲み始めてすぐ、アドラシオンが申し訳なさそうな顔をしながら、事の次第を説明し始めた。
「成程……。王妃殿下が、王太子妃殿下とこちらへ……」
「そうなんだ。……すまない、最初に契約で『王家主催の晩餐会や、夜会に出席する以外の社交はせずともいい』としておきながら、早速こんな事になってしまって」
「どうかお気になさらず。私達は共犯……言うなればある種の運命共同体なんです。不測の事態が起きた時には、互いに助け合うようにしなければ。
ですが……なんと言いますか、ご両名共お立場の割に、だいぶフットワークが軽い方なんですね」
「ああ。本音を言うなら、もう少し落ち着いて欲しい所だし、非公式によその公爵家へ顔を出すなんて事もして欲しくないんだが……立場上来訪を断れない。
この国の最高権力者の伴侶である王妃は勿論の事、王太子妃もその実、俺のかつての婚約者でな。婚約していた学生時代、俺は彼女に対して、それはもう迷惑や面倒をかけ通しで……」
「あぁ~……。それは、どうあがいても強く出られませんね……。そう言えば、私は旦那様の王太子時代の話はほとんど聞いていないので、知らない事の方が多いのですが、現王太子妃殿下とのご婚約は、旦那様の有責という形で破棄されたのですか?」
「いや。当時は……本当に色々な事があってな。改めて彼女と、彼女の生家である公爵家に対して王家が謝罪の場を設け、話し合いをした結果、婚約破棄ではなく婚約白紙という形になった」
「え? 婚約破棄ではなく、白紙ですか?」
「ああそうだ。俺のポケットマネーから幾らか、彼女に対する慰謝料は出したが、それ以上の賠償問題には発展しなかった。
当時、新たに立太子が決まっていた俺の弟との婚約が既に内定し、これまでの王太子妃教育が無駄にならずに済むと分かっていた事も、そういった寛容な措置に落ち着いた要因だったのかも知れないな。
無論、俺自身が学園で相当にやらかしていた事もあって、箝口令を出した所で大した歯止めにもならず、社交界にはおおよその話が知れ渡ってしまったようだが、彼女は自身は俺を許し、憤りを抑えられない様子の両親をなだめてさえくれたほどだ」
「……あの、それもはや、強く出れるの出れないの、なんて話じゃないですよね。完全に、頭が上がらない状態になってますよね。
そんな超ド級の借りなんて作っちゃったら、よっぽど無茶な案件でもない限り、お願い聞いてあげるのが当然、みたいな立ち位置になるのも無理ありませんよ、旦那様……」
「……。分かっている。返す言葉もない……」
「ていうか、そもそも旦那様の方に問題があって婚約を維持できなくなったのに、婚約の白紙撤回に同意してくれるって事自体、ありえないほどの奇跡なんですが。こう言ったら失礼ですけど、一体どんな魔法を使ったんですか」
「それは……すまない。もうしばらく待ってくれるだろうか。正直まだ、あの時の事を口に出して、客観的に説明できる自信がないんだ。我ながら、情けないとは思うんだがな。あれからもう、7年も経っているというのに」
アドラシオンは、一度は持ち上げたティーカップを口を付けずにソーサーへ戻し、嘆息を漏らしながら項垂れる。
「……。差し出がましいようですけれど、あまりご自分を責めたり、追い詰めたりなさらない方がいいと思います。まだ当時の話を口に出せないという事は、周囲の人間から見れば『もう7年』でも、旦那様にとっては『まだ7年』なんだって事でしょうから。
身体の傷と違って、心の傷というのは癒えるのに時間がかかりますし、傷を癒す為にどれだけの時間が必要になるのかも、個人によってとても大きく異なるものですからね。
心のお医者様に、治療の一環として話を促された訳でもないのですし、話す自信がないなら黙っていていいんです。少なくとも私は気にしません。周囲の反応に焦って、慌てて口を開いたりしたら、塞がりかけの傷口が開いてしまいかねませんよ」
ニアージュはそう言い切ると、ティーカップを持ち上げて紅茶を口に含み、芳醇な香りを楽しむようにゆっくり嚥下した。
そんなニアージュの正面に座るアドラシオンは、か細い声で「すまない」と謝ったのち、再び何か言いたそうに口を開いたものの、結局何も言い出せず口を噤んでしまう。
なんだか、泣きそうな顔をしている。
今のアドラシオンの様子や言葉、現王太子妃のかつての行いなどから鑑みるに、7年前に起きたという、王太子と平民の少女による『真実の愛』事件には、なにか裏があると見て間違いなさそうだ。
それこそ当時、件の平民の少女共々、加害者側に立っていたはずのアドラシオンが、一息に被害者側の立場に転落するような、とんでもない事実が。
(そうじゃなければ、完全に被害者だった王太子妃殿下が、加害者側だった旦那様に対して、婚約の白紙撤回なんて温情ありまくりな対応をする訳ないもんねえ。あー、気になる。一体何があったんだろ)
内心でウズウズと頭をもたげ始める好奇心を、平手でひっぱたくようにして押さえ付けつつ、ニアージュはここでやや強引ながら、話題の転換を図る事にした。
アドラシオンには悪いが、いつまでも昔話に時間を割いてはいられない。
なんせ、王妃殿下と王太子妃殿下のご来訪が、1週間後に迫っているのだから。
手紙の内容から察するに、来客側は、適当にお忍びで行くんだし無礼講でオッケーよ、くらいのノリでいるのだろうが、接客側としては、それを真に受ける訳にはいかないのである。
多少簡易的であろうとも、それ相応の出迎えの準備というものが必須になるのだ。
「申し訳ないのですが、そろそろ話を戻しますね。お手紙には、『畏まった出迎えや歓待は不要。適当に応対してくれればそれでいい』とあったようですが、本当に適当な応対をする訳にはいきません。
お二方は何か、苦手な食べ物などありましたか? それによって、お出しするものがだいぶ変わります」
「え、あ、ああ、そうだな。確か、ははう……王妃殿下にも、王太子妃殿下にも、取り立てて食べられないものや苦手なものはなかったはずだ。特に、お出ししてはいけないものはない」
「そうですか。では、お菓子の好みなどはご存じでしょうか」
「そうだな、茶菓子の中では特に、王妃殿下はチョコレートを好んでおられたが、王太子妃殿下の方は……茶会をしていた当時の記憶が曖昧で、ほとんど思い出せないんだ。
ひとまず、クッキーやマフィンをお出ししておけば、間違いないかと思うんだが……役に立たずすまない」
「大丈夫です、十分参考になりますから。まずは厨房に行って、お菓子作りが得意な料理人の方と、打ち合わせをしてきます。旦那様は、おもてなしに使うティーセットなどを見繕って頂けますか?」
「わ、分かった。アルマソンに相談してみよう」
「よろしくお願いします。――よし! お互いボロを出さないように、しっかり気を引き締めて事に当たりましょう!」
ニアージュはティーカップに残った温い紅茶を一息に呷ると、気合を入れながら立ち上がった。
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