10 / 123
第1章
10話 お茶会騒動 間奏曲
しおりを挟む突如として降って湧いた、王妃と王太子妃来訪の知らせ。
正直な所、青天の霹靂としか言いようがないこの事態に、邸の主であるアドラシオンのみならず、ニアージュやアナ、アルマソンを始めとした、エフォール公爵家の人員総出で来訪の時に備え、奔走していると、猶予期間の1週間などあっという間に過ぎ去ってしまった。
来訪予定日の早朝には、邸の中で最も品のいい調度品を揃えている、茶会用の部屋の大掃除が開始され、ホストとなるニアージュの身支度も並行して進められていく。
厨房でも、邸に務めている6人の料理人が、休日返上で全員出勤して2人1組に分かれ、朝食の準備をする組と昼食の下拵えを始める組、それから、茶会に出す茶菓子を作り始める組の3つに分かれ、広い厨房をせわしなく歩き回っている所だ。
中でも掃除は茶会に使う部屋だけでなく、そこへ通じる廊下や玄関――おおよそ、1階部分の約3分の1に相当する箇所を磨き上げねばならない為、これもまた、邸の人員総出の仕事となった。
元よりエフォール公爵家では、邸そのものの規模があまり大きくない事を理由に、使用人や侍女をあまり多く雇っていないからだ。
それでも彼らや彼女らが、掃除の手を抜く事は決してない。
来訪する王妃や王太子妃が、邸の汚れないし乱れを目にして不快になる事がないよう、そして何より、エフォール公爵家の格を貶めてしまわぬよう、誰もが邸の隅々まで丁寧に掃除していく。
その仕事の根底ぶりには言うまでもなく、仕えるべき主・アドラシオンへの敬愛と忠誠があった。
なお、頭のてっぺんから爪先までも磨き上げる必要があるニアージュは、初めから掃除への参加は不可となっている。
そして、やる気には満ちていたものの、普段掃除を全くしないがゆえに、作業を効率よく進められずまごつくばかりのアドラシオンは、掃除開始早々侍女長によって戦力外通告を受け、トボトボと自室に戻っていた。
今頃は自室で1人、書類に黙々と目を通しているに違いない。
無論、アドラシオンもホスト側なので相応の身支度は必要なのだが、そこは女性であるニアージュと異なり、侍女達からは支度に要する時間は30分ほどあれば十分だとみなされ、そのように報告されていた。
掃除が終わるか予定の時刻が近づくかしない限り、アドラシオンは当面の間放置される事になりそうだ。
話を戻そう。
そもそもがお忍びでの来訪であり、ここは雰囲気的にも、気取った所のない茶会にするのがいいだろう、との考えから、当初は中庭のガゼボに両名を招く予定だったのだが、生憎と今日は天候に恵まれなかった。
空は厚い鉛色の雲に覆い尽くされた曇天で、いつ雨が降り出してもおかしくない状態だった為、急遽このような形を取る事になったのである。
こうして、各人が作業を続けているうちにも時間は刻々と過ぎていき、昼に差しかかる頃になって、王妃と王太子妃の出迎えの準備はようやっと終了した。
アドラシオンも、一度に押しかけて来た侍女数名の手によって身支度を整えられ(20分もかからなかった)、昼食を取る為に部屋を出て、廊下を進む。
朝起き出して早々、制限時間付きの大仕事が追加でできた使用人達に気を遣い、朝食は軽く済ませた為、いつもより腹が減って仕方ない。
(俺がこの状態なのだから、ドレスを着込む為に食事の量を減らしていたニアは、もっと腹が減っているだろうな)
そんな事を思いながら1階に降りると、丁度食堂に行く手前の廊下で偶然、アナを連れたニアージュと出会った。
「あら、旦那様。旦那様も今からお昼ご飯ですか?」
綺麗に結い上げられた赤銅色の髪には、小さなサファイアをあしらったシンプルな金の髪飾りを、首元には同じく金でできた、シンプルなサファイアのペンダントを着けている。
控えめな宝飾品と、薄化粧によって彩られたかんばせで穏やかに微笑むニアージュは、まさしくため息が出るような美しさを湛えていた。
アドラシオンはついその姿に見惚れ、ニアージュにかけるべき言葉を瞬間的に忘れてしまう。
「旦那様?」
「あ、ああ、すまない。少しぼんやりしていた。君も昼食か?」
「ええ。ですが、アナだけでなく他の侍女達も、今回の身支度にそれは張り切りまして。コルセットの締め付けが滅茶苦茶キツいんです……。多分、サンドイッチをひと切れふた切れ食べたら、もう何も入らない気がします……」
美しい顔をげんなりさせ、「夜会じゃないんだからここまでやらなくてもいいのに」と呟くニアージュに、アドラシオンは苦笑いを浮かべるしかない。
恐らく、来訪するのが王妃と王太子妃である上、ニアージュにとって今回の茶会が、エフォール公爵家に嫁いで以降初となる社交の場だという事で、侍女達も必要以上に気合が入ってしまったのだろう。
「それは大変だな。だが、その……髪飾りもネックレスも、ドレスもとてもよく似合っている。まるでどれも、君の為に誂えられたもののようだ。公爵夫人として、相応しい装いだと思う」
「そうですか? 旦那様のお墨付きが頂けるなら、死ぬ気で着込んだ甲斐がありました。個人的にデザインや色味が、とても気に入っていますし」
なぜか内心、フワフワとした心地になって落ち着かず、素直に「綺麗だ」と言えない己の不甲斐なさに、密かに歯噛みしているアドラシオンをよそに、ニアージュは今身に付けているドレスの裾を摘み、屈託のない笑顔を浮かべた。
このドレスは先日、アドラシオンがニアージュと共に、専門店で選んで購入したものだ。
今回はドレスをフルオーダーで作る時間がなく、店頭で売られていた既製品を購入したのだが、最上級の絹で作られているのだというこのドレスは露出が少なく、茶会で身に付けるのに適していた。
淡いブルーを基調とした、さして華やかでないデザインながら、不思議と人目を引く清廉さがある。
ニアージュもこのドレスを一目で気に入り、購入を即決した。
「ああでも、これ、お茶会でお菓子を食べるどころか、お茶の1杯も飲み切れない気がしてきました……。アナ、お願いだから、次からはもう少し加減してね……」
「はい。他の侍女達と相談の上、善処するように致します」
「えぇ……。善処なんだ……」
ニッコリ笑って曖昧な返答をするアナに、ニアージュがまたげんなり顔をする。
そのやり取りが妙におかしく思えて、アドラシオンはつい吹き出してしまった。
23
あなたにおすすめの小説
【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~
魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。
ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!
そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!?
「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」
初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。
でもなんだか様子がおかしくて……?
不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。
※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます
※他サイトでも公開しています。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎
水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。
もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。
振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!!
え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!?
でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!?
と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう!
前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい!
だからこっちに熱い眼差しを送らないで!
答えられないんです!
これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。
または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。
小説家になろうでも投稿してます。
こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。
たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。
しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。
そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。
ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。
というか、甘やかされてません?
これって、どういうことでしょう?
※後日談は激甘です。
激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。
※小説家になろう様にも公開させて頂いております。
ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。
タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~
死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?
神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。
(私って一体何なの)
朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。
そして――
「ここにいたのか」
目の前には記憶より若い伴侶の姿。
(……もしかして巻き戻った?)
今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!!
だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。
学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。
そして居るはずのない人物がもう一人。
……帝国の第二王子殿下?
彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。
一体何が起こっているの!?
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる