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第4章
11話 暴走と迷走の果てに
しおりを挟む王都で開かれている会合、上位貴族会・紳士の集いにて醜態を晒したアルセンは、馬車に飛び乗り急いで自宅へ戻り、そのまま自身が父から買い与えられた白馬に乗って、エフォール公爵領の街道を走っていた。
目指す先は、ニアージュがいるエフォール公爵家の邸だ。
「……ああ、ニアージュ様、ニアージュ様……! どうかこれは悪い夢だと言ってくれ……! 僕に直接微笑みかけて、安心させてくれ……っ!」
整ったかんばせを悲痛そうに歪め、痛ましくも切ない声色でうそぶくアルセン。
その姿はまさしく、どこぞの歌劇に登場する悲劇の主人公もかくやである。
しかしながら、やっている事は完全にアウトだった。
当主が留守にしている貴族家の邸へ、しかも日が傾き始めている時刻に、先触れもないまま単身乗り込もうとしている時点で、全方位から非常識のレッテルを張られる事請け合い。
挙句、用があるのは当主ではなく当主の奥方となれば、常識うんぬん以前に、貴族男性として正気を疑われるレベルの奇行だと言えよう。
上記の通り、現在アルセンはそれほどまでに不味い行動を取っているのだが、情けない事に、自らの思考と行動を勝手に美化した上、自分をすっかり、ヒロインを救い出しに行かんとするヒーローだと思い込んでいるアルセンは、その現実に全く気付いていなかった。
むしろ、頭の中で妄想を加速させている始末だ。
なお、現状華美なジュストコール姿で、格好つけて白馬にまたがっているアルセンだが、単騎で走っているにも係わらず、馬場を軽く流す程度の速度しか出ていなかった。
敢えて速度を出していないのではない。速度を出せないのだ。
実の所アルセンは、元々運動神経がよろしくなく、乗馬の腕も素人に毛が生えた程度の技量しかない男だった。
おまけに度胸もないので、前傾姿勢での早駆けどころか、一般的に『馬を走らせる』と呼ぶ行動さえ、怖くて取れないという体たらく。
ろくに馬を走らせる事もできないヘタレの分際で、「乗馬は貴族男性の嗜みだから」と一丁前に遠駆け用の白馬を欲しがって、一番値が張る、血統に優れた見目のいい駿馬を父親に購入してもらった結果がこれである。
名馬が泣くとはこの事だ。
正直な話、田舎にいた頃のニアージュが馬に乗り、野っ原を走り回っていた時の速度の方が遥かに速い。
いや、比較するのもおこがましかろう。
夕暮れ時の近い街道を、初心者のお馬の散歩にも等しい速度で、カッポカッポと小気味いい音を立てて進む、深刻ぶった表情をした身なりのいいお貴族様の姿は、その周辺に住んでいる農民達からすれば、大層目立つものだった。
勿論、悪い意味で。
アルセンの姿を見た農民達は、ひそひそと言葉を交わす。
もうじき陽が沈むのに、とか、こんな所でお供も連れずに何をやってるんだ、とか、ここから先には、当分村も集落もないのに、とか。
それから――
ご領主様のお陰で最近は治安もよくなってきてるけど、この辺は夜になると物騒だし、物盗りや追い剥ぎに遭ったらどうするつもりなんだかね、とか。
そして案の定、アルセンがエフォール公爵家の敷地に到着する事はなかった。
アドラシオンが会合から戻った3日後。
今日も今日とてニアージュが、こっそり不慣れな刺繍に悪戦苦闘していると、にわかに邸の中が騒がしくなっている事に気が付いた。
(? 何があったのかしら。さっきから外の廊下を、誰かが何度も行ったり来たりしてるみたい)
一度外が気になると、どうにも手元の細かい作業に集中できなくなってしまうのが、幼い頃からのニアージュの悪癖だ。
という訳で、どうせもう集中できないのだから、と居直って、いつもの場所に刺している最中の刺繍を隠し、部屋の外に出てみた。
ひとまずアナ、いや、使用人の誰かを捕まえてなにか話が聞けないものか、と思いながら廊下を歩いていると、階下から階段を上がって来たらしいアドラシオンと偶然かち合う。
アドラシオンはなぜかその手に、ロングソードを一振り携えていた。
「! あ、ああ、ニアか。すまない、騒がしくしてしまっただろうか」
「……え、ええ、まあ。それより旦那様、どうなさったのですか? 急にロングソードなんて持ち出して」
「……。ニア、落ち着いて聞いて欲しい。実は今から3日前、レトリー侯爵のご子息のアルセン殿が、我が領内で消息を絶ったらしい」
「――はい!? え、ええと、あ、アルセン様というと……しばらく前に、意味不明な事をつらつら書いたラブレターを、急に送って来られた方、ですよね?」
「そうだ、そのアルセン殿だ。実は3日前の会合の場で、あの方と、その、君の事で少々揉めてな。去り際に何やら支離滅裂な事を叫んでおられたので、頭の方は大丈夫なのかと思っていたら……案の定やらかそうとしていたようだ。
レトリー侯爵家の使用人や、厩番の証言によると、アルセン殿は実家の厩からご自分の愛馬を連れ出し、こちらへ向かって出発していた、らしい」
「……あの、それってもしかして……」
「……ああ。恐らくは我が領内で盗賊か何かに襲われ、連れ去られたのだろう。
事実、街道の外れでレトリー侯爵家の家紋が入った短剣と、馬具の一部が発見されたとの報告を受けた。彼の愛馬だけは、侯爵家に戻って来たらしいんだが」
「……うわあ……。なんて面倒な……。ていうか、なんでそんな事になったんです……。護衛は連れてなかったんですか、アルセン様は」
「そうだな。誰も連れていなかったようだ。全く、一体何を考えているんだか……。正直文句しか出てこないよ。だが、かと言って、知らぬ存ぜぬでいる訳にもいかない。なにせ、事が起きた場所と攫われた御仁が御仁だ」
「そうですね……。自領で侯爵令息が人攫いに遭ったとなったら、こちらとしても腰を上げない訳にはいきませんよね……」
「……その通りだ……。それに、レトリー侯爵からも正式な捜索要請が出ている。なんとしても息子を探し出して救って欲しいと。
まあ要するに……邸に仕えてくれている騎士数名と、領内の自警団員達を率いて、アルセン殿の捜索を行う事になった、という話なんだ」
疲れた顔のアドラシオンから発せられた言葉を聞いた途端、ニアージュまでもが精神的な疲労に襲われた。
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