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第5章
5話 皇太子との邂逅
しおりを挟むクロワール王国を出立してから3日後の昼前。
ニアージュ達は無事、国境を越えて帝国領内へと入り、ザルツ・ウィキヌス帝国の帝都、レカニス・エリタージュに到着した。
だが、入国してすぐに農業視察を行う訳ではない。
まずは皇帝の居城へ向かい、皇帝の名代である皇太子に挨拶をする必要がある。
また、この挨拶は簡易的な謁見でもあり、挨拶が済んだ後は皇太子との会食、続いて夜には、視察団を歓待する晩餐会が開かれるとの事だった。
つまり、視察に要する日数のうち1日は、初めから帝国との外交に消費される予定となっており、正確な視察日数は1週間ではなく、6日間となる訳だ。
道理で、妙にアナとニーネが持って行く荷物が多いと思ったら、とニアージュは内心で嘆息を漏らす。
恐らく彼女達の持ち運ぶ荷物の多くは、ニアージュが会食や晩餐会で着用する為のドレスやアクセサリーで占められているのだろう。
ニアージュとしては、なんで初めからそう言ってくれなかったのか、と、若干恨みがましい気分になった。
偉い人と会って話すだけでなく、食事まで共にするだなんて、なんてハードルの高い仕事である事か。
それに、視察内容からして、帝国にいる間は、ちょっとお洒落なワンピースを着て過ごす程度で済むと思っていたのに、思い切り当てが外れてしまった。
ドレスは綺麗だが、身に付けると動きづらいし重いので、ニアージュとしてはあんまり着たくない。
あまりに想定外だったので、ついアドラシオンに拗ねた口調で愚痴めいた苦情を言った所、大変いい笑顔で、「これも公爵夫人として必要な学びの場だよ。我が侯爵家の為に、張り切って学んでくれるんだろう?」と返されてしまった。
確かに、道中アドラシオンとの会話の中で、帝国で色々と学びたい、と言ったのはニアージュである。
ぐうの音も出ないとはまさにこの事であった。
その後、未来の皇帝陛下の御前へ出るのだから、と、大層気合を入れたアナとニーネによって全力で磨き上げられ、これでもかと飾り立てられたニアージュは、既にだいぶ疲弊した状態でアドラシオンにエスコートされながら、挨拶を兼ねた会食の場へ向かっていた。
今回、侍女長のマイナが選んだのだというドレスは、以前の新年祝賀会で着用したのと同じ、エンパイアタイプものだ。お陰で腹周りの締め付けが楽な事が、せめてもの救いだった。
聞いた話によると、今クロワール王国で流行っているエンパイアタイプのドレスは、元は帝国の伝統的な衣装をベースにデザインされたものらしいので、多分流行り廃りだけでなく、その辺りの事情を鑑みて、チョイスされたものなのだろう。
そういう訳なので、出された食事はキッチリ完食してやるつもりだ。
なにせこれから先にも、皇太子派閥の帝国貴族を交えた晩餐会という、これまた疲れる予定が入っているのだから、腹が減っては戦はできぬの精神でいた方がいい。
何においても、人間食べねば力が出ないし、気力や根性だって湧かないものなのだから。
(でも、まだまだ貴族流の話術には疎い所も多いし、晩餐会の会話やら交流やらは、基本旦那様に丸投げする感じで行こう……。
下手な事を言って言質を取られでもしたら、目も当てられないもんね。これに関しても、『沈黙は金』戦法を取らせてもらおっと)
ニアージュはそう決意する。
多分アドラシオンに相談しても、それでいいと言ってくれるだろうから、と。
会議室のひとつとおぼしき場所に設けられた、挨拶の場で顔を合わせた皇太子、アートレイ・ロア・ウィキニウスは、燃えるような赤毛に深緑色の瞳を持つ、中性的な面立ちの美男子だった。
それこそ、目の肥えた貴族女性達ですら、いとも容易く目を奪われるほどに美しい。
まさに作り物めいた美貌と呼ぶ以外になく、ニアージュと同じように、夫や婚約者と共に視察団の中に参加していた女性達は、思わず揃って頬を染めながら感嘆の息を漏らし、夫と婚約者の顔をいささか引きつらせていたほどだ。
だが、ニアージュだけは、他の女性達のように皇太子の美貌にのぼせる事なく、努めて淡々と会食の席に着いている。
会食の場で、各人から向けられる対外的で当たり障りのない言葉に、微笑みながら穏やかな口調で答え、時折談笑に興じている様子の皇太子を尻目に、アドラシオンはこっそりニアージュに話しかけた。
「ニア」
「? はい。どうかなさいましたか、旦那様」
「その……君は、皇太子殿下が気にならないのだろうか。みな、少々身を乗り出し気味な様子で、殿下と会話に興じられているようだが」
「それはまあ、気にならないと言えば嘘になりますか。……大きな声では言えませんが、私にはなんだかあの皇太子殿下、笑った顔が胡散臭く見えてしまって」
「――う、胡散臭い?」
「はい。でも、どこがどう胡散臭いのか訊かれてもきちんと説明できませんし、本当に何となくそう感じた、という話でしかないんですけど。
あと、単純に好みのタイプではないです。あの方と一対一で何か話すくらいなら、食事に集中していたいというのが本音ですね」
ニアージュはナイフで切り分けたポークソテーを口に運び、幸せそうにモグモグする。
「……。うーん。このポークソテー、本当に美味しいです。何だか鹿肉に近い味わいがしますよね。育てる時に食べさせてる飼料が違うのかしら。
ていうか皇太子殿下って、自分の婚約者や旦那様を放ったらかしにしてまで、お近付きになりたいほど魅力的な方かしら。私にはそうは思えないんですけど」
「そ、そうなのか?」
「はい。あの方と比べたら、旦那様の方がよっぽど魅力的に思えます。だって旦那様はいつも誠実だし、笑った顔も全然胡散臭くありませんから。
――あ、このアスパラガスのソテーも凄く美味しい……! 特に、バターソースと合わさった時の味わいが絶妙だと思いませんか、旦那様」
「……。……よっぽど、みりょくてき……。……おれのほうが……」
「? 旦那様? どうしました? なにかボソボソ呟いたりして」
「……イヤ、ナンデモナイヨ……。キニシナイデ……」
「??? はあ……」
急に口調が片言になり、挙動自体もどこかぎこちなくなったアドラシオンに、ニアージュは怪訝な顔をした。しかし、場所が場所なのでここで問い質すのはやめておこうと思い直し、再び食事を再開する。
だが、アドラシオンが途中で平静を取り戻した事と、食事の美味しさにすっかり意識を持って行かれた事により、会食が終わる頃には、アドラシオンを問い質そうと思った事自体を綺麗に忘れてしまっていた。
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