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第2章
閑話 軽挙妄動、王太子
しおりを挟むエクシア王国の第1王子にして現王太子、トリキアス・エクシオンは、自室から窓の外を憎々しげに睨んでいた。父譲りの淡い翠の瞳を眇め、深い焦げ茶色を、苛立たしさに波立つ心のままガリガリと掻く。
その脳裏には、つい先程王宮の廊下、その片隅で立ち聞いた、王家と縁戚関係にある上位貴族数人の会話の内容が、グルグルと廻っていた。
――時に、貴方がたはどうお思いになっておられますかな? 先だって行われた王家主催の夜会での、王太子殿下のなさりようを。
――先だっての夜会? ああ。あの、ひと月前にあった珍事ですな?
――ああ……王宮内で侍女をしている男爵令嬢の寝言を鵜呑みにして、侯爵令嬢を貶めようとした、あの件ですか。
――なんと、そのような事が……。私は体調を崩し、参加しておりませなんだが……お顔の色から察するに、酷かったようですな。
――ええ。……全く。どこをどう考えれば、第3王子殿下の妃候補として参内するほど、高貴で多忙な身分であるご令嬢が、行儀見習いをしている男爵令嬢如きに目を向け、嫌がらせをするなどという発想が湧いて出るのか。理解に苦しみます。
――そうですなぁ。挙句、その男爵令嬢の妄言を鵜呑みにし、事態の調べを行うどころか裏も取らぬまま……。
――は? まさか、その侯爵令嬢を夜会の場で断罪しようとしたのが、我が国の王太子殿下、という事なのですか……?
――その通りです。ですから、もう如何ともし難いと……。
――なんという事を……。もしやその時も、ティグリス殿下が止めて下さったのでしょうか。
――仰る通りで。ティグリス殿下がいて下さらなければ、どうなっていたやら。
――ティグリス殿下がいて下さって本当によかった。冷静で聡明な方ですからな。
――ええ、ええ。誠に。ここだけの話、真に王太子として相応しい方は、ティグリス殿下なのではないかと、社交界でももっぱらの噂ですしなぁ。
――リノイ殿、声高に話していい事ではありませんぞ。
――まあまあ、どうせこの場に他者の耳などありますまいよ。
――そうでしょうとも。ああ、どうしてこの国の家制度は、あらゆる相続において嫡男を最上とするのでしょうな。
――全く持ってその通り。これは早いうちに、なにかしらの働きかけをすべきなのでは――
「くそっ、どいつもこいつもこの俺を軽んじおって! それもこれもあの出しゃばりの弟、ティグリスのせいだ!」
トリキアスは恨みつらみに歪んだ顔で、窓の側の壁を拳で叩く。
あの時ティグリスが、馬鹿正直に侯爵令嬢のスケジュールや行動の目撃証言などを口にし、庇い立てなどしなければ、自分があのような恥を掻く事もなく、先程の貴族達に陰口を叩かれる事もなかった。
そして何より――形ばかりの婚約者である公爵令嬢から、蔑んだ目で見られる事もなかったというのに。
当時の事を思い出し、トリキアスの顔がますます歪む。
あの愚弟は、たかが侯爵家の小娘の些細な立場と王太子である自分の立場、どちらが重いと心得る。
大体、あの男爵令嬢も何様か。
未来の国王たるに相応しい、懐の広さと威厳を見せるべく話に耳を傾け、慈悲の心を以て親身になってやったというのに、いじめに遭っていたという話自体真っ赤な嘘で、ただ、かの侯爵令嬢を個人的に妬んでいただけだったとは。
王に次ぐ身分を持った、尊き存在である王太子をなんだと思っているのだ。
件の男爵令嬢はその後、虚言を吐いて上位貴族の娘に罪を着せようと画策した罪、そして、王族を騙していいように使おうとした事を罪に問われ、鞭打ちの刑に処された末、修道院送りになったと聞いているが、生温い。
あのような虚言癖を持った娘など、舌を抜いて市井のどこぞへでも捨ててしまえばよかったのだと、トリキアスは鼻息を荒くしてうそぶく。
未来の王者を利用しようとしたのだから、それくらいの罰を頂いて当然だと、トリキアスは本気で思っていた。
「しかし……あの口さがない貴族共め。なにが「早いうちになにかしらの働きかけを」だ。我が王家と縁戚関係にあるからと大きな顔をしおって。厚かましい」
トリキアスはブツブツと呟きつつ、窓辺に持って来ていた椅子から立ち上がり、右の親指の爪を噛む。
そして――ひとつの事に思い至った。
「あやつらまさか、元々ティグリスの手駒か? そうか、そういう事か。俺を廃してティグリスを新たに王太子として立てるよう、父上へ強硬に訴えるつもりで……! そうだ、そうに違いない!
ある事ない事吹き込んで、俺の評価を下げる腹積もりだ! おのれティグリス! なんと姑息な! クソ、クソッ! させてなるものか! 王太子は、次代の王はこの俺だ!」
ありもせぬ妄想に憑りつかれたトリキアスは怒声を張り上げ、机の引き出しを開けた。そして、隠すように誂えてある更なる引き出しに手をかけ、中に隠していた数本の小瓶を掴み出して室外へ出て行く。
「見ていろティグリス、あの愚弟め、お前など……お前など……っ」
怨嗟の宿った暗い独り言を吐き出しながら、早足で廊下を進む。
隠された引き出しの中から取り出し、その手の中に握り込んだ小瓶に入っている物の正体は、魔物寄せの香薬。
王城に仕える兵士や騎士達が実戦訓練を行う際、精製水にて10倍に希釈して周囲へ散布し、魔物を意図的に寄せる為に使用する代物。
王より特別な許可を与えられた者――王城に所属する各騎士団長だけが所持を許される、特殊危険物の原液であった。
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