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第3章
閑話 それは徒花の恋
しおりを挟む夕暮れ時の時分。
聖女が手ずから用意してくれたささやかなピクニックで、楽しくも穏やかな時間を過ごしたティグリスは、軽い足取りで城内の廊下を歩いていた。
「結局、無様な事実を知られてしまったが……ずっと口を噤んだままでいた頃よりは、まだ気が楽になったな……」
苦笑しながらそう呟く。
思いを告げられなかった事には多少心残りがあるものの、それでも、ずっと心の奥底に押し込めていた感情を吐き出す事ができたのは、素直に喜ばしいと思う。ホッとした、とも言えるだろうか。
多分、これでよかった。
今後ティグリスは王太子という重責ある身となるが、それは幸運だった。
現在の社会を構成する為の基盤とも言える身分制度。
自分は、その枠組みの中で生かされている身。思い余った言動が取れなくなるほどの制限や制約があるくらいが、丁度いい。事実、頭の中では既に、思い余った事を考えていたのだから。
身分の差があまりに大きな相手へ恋情を向けるには、リスクも問題も大き過ぎる。
それが他国の聖女ともなれば尚更だ。
むしろ、問題しかない、と言っても過言ではない。
それに――
「全く、脈がなさそうだったしな……」
そう零すと、ため息も一緒に零れ出た。
想いを吐き出した所で、完膚なきまでの玉砕となっていただろうし、彼女にも相当迷惑をかける羽目になったはずだ。
「たとえ相手が誰であろうとも、人から想いを寄せてもらえる事……好いてもらえる事は喜ばしく尊い、なんて……。そんなの実際には有り得ない事だ」
「ああ。上っ面だけ浚った綺麗事もいい所……だよな?」
「!」
後ろから突然声が聞こえて驚いたティグリスは、反射的に足を止めて振り返る。
自分の数メートル後ろに立っていたのは、聖女の使徒――エドガーだった。
「悪い。驚かせたよな。あんたがあんまり俺と似たような事をぶつくさ呟いてるから、つい声をかけちまった」
「ああ、いえ……。でも、似たような事、ですか……。それはつまり、あなたもやはり聖女様の事を」
「…………まぁな。けど、今さっきあんたが言ってたように、誰彼構わず好かれた所で嬉しい訳じゃないってのは、確かな事実で現実だろ?これっぽっちも脈ねえし。
木っ端微塵になるって分かってて当たって砕けに行けるほど、俺は無神経でもなければ図太くもねえよ。――ま、それでも一応、相棒ポジションは手に入ってるから多少はマシだけど」
エドガーは苦笑しながら肩を竦める。
「相棒……。それは却って、辛い事も多いのでは?」
「いいや。実はそうでもねえんだよな。あいつがよその男に目ぇ向けて意識して、ドキドキモジモジするような奴だったら、傍にいるのもしんどかったかも知れねえが、今んトコ、そういうの全然ねえからさ。
あいつが現在進行形で興味持ってんのは、美味い物と読み物くらいだ。傍から見てて、いっそ清々しいほど男に興味ねえよ、あいつは」
「……。確か……『聖女の魂は、いついかなる時においても、常に高潔なる女神の代理人として作られたもう。そしてその御身は女神の分身なり。女神の庭にて生かされる、未熟な人の子の愛を求めたる者にあらず』――……でしたか」
「それ、創世聖教会の聖典の一節だな。女神と聖女の信仰にどっぷり浸かってるノイヤールの人間でもねえのに、よく一言一句間違えないで憶えてるもんだ」
「昔から記憶力には自信があるんです。それに、彼女の気を引きたくて、聖典を熟読していた時期もありましたし。
けれど、無意味な事でしたね。彼女は……あの方は、真に正しい意味でどこまでも、聖典に語られる『聖女』そのものなのですから」
「あー……。あいつは、そこまで清廉で高尚な存在じゃねえと思うが……。どういう印象を持つかなんてのは、個人の自由か……」
エドガーが、今度は別の意味で苦笑した。
「まあそれはともかくとして、あんたは明日からまた缶詰めか?」
「そうですね。缶詰め、とまではいかないと思いますが、恐らく似たような状況にはなるかと。各公爵家や侯爵家へ、根回しの為の手紙をしたためる必要もありますし、側近候補の選定も、できる限り早く済ませておかねばなりません。それがなにか?」
「なに、明日のスケジュールにまだ余裕があるんなら、一緒にヤケ酒でもどうかな、と思ってよ。……結果の見えた恋に、当たって砕ける度胸がなかった者同士で」
「……は……。……ふ、ふふっ、いやそれ、傷の舐め合いって言いません?」
おどけた口調でニンマリ笑うエドガーに釣られるように、ティグリスもおかしそうに笑う。
「別にいいだろ。舐め合いでも。つーかそういうのはな、舐め合う傷すら負った事がない甘ちゃんが吐く台詞だぜ? 王子様」
「……。そうですね。そうかも知れません。――それと、一応言っておきますが、私は酒癖悪いですよ?」
「もう知ってるよ。……そういう言い方するって事は、ヤケ酒に乗るって解釈でいいのか?」
「ええ勿論。今夜は男2人で、互いの徒花の恋を酒と一緒に飲み下してしまいましょう」
「徒花の恋ねえ。流石、上流階級の男はカッコいい言い回しをするもんだ」
「あなただって、元は王子じゃないですか」
「身分はそうだったかもしれないが、俺はあんたと違って性格も態度も最悪だったからな。特にガキの頃は、そういう洗練された言葉遣いとは無縁だったよ」
「ほう。それはそれは。実に興味深い話ですね。ついでに、その辺に関する事も吐き出すつもりはありませんか」
「いや。そんな言うほど面白いモンじゃねえからな……。聞きたいってんなら話してもいいけどよ」
エドガーとティグリスは、笑い合いながら肩を並べ、廊下を歩いて行く。
いつの間にか2人の間には、不思議な連帯感が芽生えていた。
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