【第1部完結】暫定聖女とダメ王子

ねこたま本店

文字の大きさ
1 / 55
第1章

1話 全ての始まり

しおりを挟む
 
 鉛色の雲に覆われた空から、静かに雨が降っている。
 密集した大小様々な木々が生い茂り、道らしい道もない森の中に、大きく開け、広場のようになっている場所があった。
 広場の中央には、ポッカリと口を開けた洞穴があり、その洞穴の左右には、大の大人でも抱えきれない程太い幹を持つ巨木が2本、並び立っている。
 まるで洞穴に寄り添い、守るかのように。

 その洞穴の入り口から数メートル離れた場所に、なめし革で作られた赤茶色の外套を頭から被った壮年の男が1人、額を地面に押し付けるような恰好で跪いている。
 寒さの為か恐ろしさの為か、肉付きがいい割に貧相な顔を青ざめさせ、微かに身体を震わせている男は、雨に打たれながらか細い声で一心に祈りを捧げていた。

「……ああ女神よ。いと高きにまします創世の女神よ。穢れし人の身でありながら、聖なる御座へ足を踏み入れんとする、罪深き我らをどうかお許し下さい――」
「――いつまでそこで這いつくばっているつもりだ、愚か者めが」
「っ!」
 繰り返し繰り返し、信仰を捧げる神へ許しを請う言葉を紡ぎ続ける男の背後に、もう1つ声が降って湧く。張りのある、老齢の男の声だ。
 威厳と傲慢さが混在する声に叱責され、男は座り込んだまま弾かれるように背後を振り返った。

 そこにいたのは、焦げ茶色の外套を羽織った人物。しかしその顔は、目深に被った外套のフードで隠されている。視認できるのは、白く豊かな口ひげを蓄えた鼻から下の口元だけだ。
「もっ、申し訳ございません。しかし、しかしっ……。……や、やはり、このような真似をするのはおやめ下さい。創世の女神が定めたもうた、世の理を私情で乱すなど……っ、このような冒涜行為、女神は決してお許しには――」
「くどい」
 壮年の男の言葉を吐き捨てるように遮り、濡れた下生えと小枝を踏む音を微かに響かせながら、老齢の男が前へと足を踏み出す。

「この期に及んで怖気づいたか。――養い子の命が要らんと見える」
「ひっ! そ、それだけは、それだけはどうかお許しを! あの子らには、関わりなき事にございますッ!」
「ならば行け! 私にはもう時間がないのだぞ! 女神がなんだ、世の理がなんだ、片腹痛い! この世に生まれて50数年、神の恩恵や救いを受けた事など、一度たりとてありはせぬ! そのようなもの、貴様ら教会の信徒どもの妄言に過ぎぬわ!
 いいか、2度は言わぬぞ。私の為に、貴様の持つ権限で『道』を開くのだ! 私の機嫌を損ねたが最後、貴様の身を置く場所など一息で叩き潰され、消えてなくなるのだという事を忘れるな!」
「か、かしこまりました……っ」
 感情に任せて怒鳴り、喚き散らす老齢の男に恐れを成した壮年の男は、慌てて立ち上がって洞穴へと向き直り、歩き出した。

 洞穴の入り口をくぐる寸前。
 壮年の男が再び口を開いて小声でうそぶく。
「……偉大なる創世の女神よ。なにとぞ、先程の浅ましい言葉はお忘れ下さい。――どうか我が身とあの方に……御座へ踏み入り、理を破らんとする痴れ者に、死の裁きを賜らん事を――」
 暗がりへと消えていく壮年の男の目は、信仰を踏みにじられた深い怒りに燃えていた。

◆◆◆

 日本が誇る大都市・東京の某所。
 夜の帳が下りてなお、街中には眩いネオンの光が溢れ、各所に一定の明るさを与えている。
 私――佐倉雲雀は、その辺の中小企業に事務員として勤めている、輝かしきアラフォー独身女にして、若かりし頃にちょっぴりやんちゃをしていた経歴を持つ、どこにでもいるオタク兼ヌルゲーマーである。
 私は、薄緑色のパーカーにGパン、スニーカーを履いた格好で、繁華街のやや外れ、小さな川に渡された橋の上で、欄干に寄りかかりながら1人スマホをいじっていた。
「家で待ってらんなくて、ついここまで来ちゃったけど……。もう10時間以上経つなぁ……。はぁ……」
 ショートカットの髪の先を適当に弄って独り言ちながら、スマホの左斜め上にある小さな時刻表示を確認し、ため息を零す。

 今日の昼過ぎに弟の翔太から、奥さんが産気づいた、かかりつけの病院に連れてく、とLINEが来て以降、私のスマホに弟夫婦からの連絡は一切来ていない。
 もうそろそろ日を跨ぐというのに。
 こんな時間に病院に押しかけるのは迷惑だと分かってるし、多分行った所で中に入れて貰えないだろうから、仕方なくソシャゲやって気を紛らわせてるけど、やっぱりどうにも落ち着かなかった。
 もしかして難産なんだろうか。みくちゃん平気かな。平気だよね。身体の丈夫な子だし。うん、そうだ、そうに決まってる。きっと初産だから時間かかってるだけだ。

 つーかSSR出ねえじゃん。キャンペーンで確率上がってるんじゃないんかい!
 こうなったらリセマラだ! 何が何でもSSR引いてスタートダッシュを……って、いや待て。そうじゃない。現実逃避するな、私。
「あーもうっ、ダメだ、マジで落ち着かない! 大丈夫かなぁ……」
 ソシャゲをやめてスマホを握り締め、再びデカい独り言を吐き出す。
「おいお前、こんな所で何やってんだ?」
 ぐでっと欄干に寄りかかっていた所に、横から声をかけられた。とても聞き覚えのある声だ。
 声の聞こえた方へ視線を向ければ、そこには案の定、幼馴染みの腐れ縁野郎がいた。

 私や友人達の間では、『東大出てない東大君』のフレーズでお馴染み、東大介という名のエリート商社マンだ。
 眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能。三拍子揃った高収入のイケメンだが、女の扱いはド下手くそ。今から3年前に離婚して、2年前に再婚したはいいけれど、聞く所によると、ついに2人目の奥さんからも見限られたらしい。

 まあ無理もない。
 こいつには、最初の奥さんがインフルエンザで高熱出して寝込んだ際、「朝飯はいらないから」と、雑な事だけ言って何もせず会社に出勤し、帰宅したらしたで、奥さんを心配するでもなく開口一番、「俺の夕飯は?」とのたまって、実家から様子を見に来ていた奥さんのご両親の怒りを買い、家から叩き出されたという前科があるのだ。
 ハッキリ言ってクソ野郎です。

 だもんで、再婚話を聞いた時はみんな、そんなザマでよく再婚できたモンだと感心していた。
 その辺りの事を鑑みれば、初婚の時は1年保たないで別れたのに、今度は2年も結婚生活を維持できて偉かったなと、労うくらいはしてやってもいいのかも知れない。
 無神経な所はあるけど、根は悪い奴じゃないんだよね。
 まあその無神経さが、こいつの色々な元のよさを台無しにしちゃってる訳だけど。
 つーか、今やっぱこいつと会話するような余裕あんまないな。

「うげ……。大介」
 大介は呻く私にお構いなしで、へらっと笑いながら近づいてくる。
「うげ、はねえだろ、うげ、は。折角心配して声かけてやったってのに」
 おまけに何の断りもなく人のすぐ隣に立ち、しゃあしゃあと言ってきた。別に頼んでねえし。
「へーへー、そりゃどうもありがとうございますー。今立て込んでんだよ。帰れ」
「ンだよ、その言い草。あ、もしかして婚活サイトでも漁ってたのか? 不良物件」
 ニヤニヤ笑いながら言われて、流石にカチンときた。
 薄ら笑いを浮かべているスカしたツラに、一発裏拳ブチ込んでやりたい衝動に駆られたが、我慢して平静を装う。
 落ち着け。私は立派な社会人。
 私情に走った暴力、ダメ、ゼッタイ。
 でもあの態度からして、喧嘩売りに来たって解釈でファイナルアンサーだよね?
 よし。ならばここは拳じゃなくて、言葉でボコッてやろうじゃないか。

 私は大介に向き直り、はっ、と小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「バツ2の事故物件が何を偉そうに」
「ばっ……! 何言ってんだ、ま、まだバツ2じゃねえし!」
「うっわ、見苦しい。もう絶賛カウントダウン中でしょうが。残りのカウントどんくらいよ。2かそこらか? この甲斐性なし」
「うるせぇ! 甲斐性なし言うな! つか、ちげーから! 俺悪くねえから! ちゃんと気遣ったんだぞ、俺は!」
「ほーん。風邪引いて胃腸が弱ってる奥さんに、レトルトの激辛カレーとトンカツ買って帰るのがお前の気遣いかい。奥さん殺す気か、バカたれ」
「違うんだあああッ! そんなつもりじゃなかったんだよぉおおッ!」
 欄干を両手でガッと掴み、体重を預けて懐くような恰好で、大介がシャウトする。
「俺はただ、あいつが食欲ないって言うから、ちょっとでも食欲湧くようにと思って! なのに、いきなりキレて「私の事殺したいの!?」とか叫んでビンタする事ねえだろ!? 横暴だ!!」
「…………」
 意味不明な事を抜かす大介に、思わず半眼を向ける私。

 ……えーっと、あのう。これ、1から10までまるっと全部、懇切丁寧にキッチリ説明してやらないと、何がまずかったのかさえ全然理解できない感じですか?
 どっかの偉い学者先生が、「男は共感能力の低い生き物だ」って言ってたけど、限度ってモンがあるでしょ? これもうむしろ、共感能力低いの通り越して欠落してません?
 て言うか多分奥さん、いきなりキレたんじゃないと思うぞ? 今までずっと無神経で粗雑な扱いを受け続けて、溜まりに溜まったストレスが一気に爆発したってだけの事なんじゃないかな?
 こいつ1回目の結婚の時からなんも成長してねえじゃねーか。
 こんな体たらくで2回も結婚しやがって、ご祝儀返せ馬鹿野郎。

 もうホントこいつマジでぶん殴ってやろうかな、と思い始めた直後、スマホからLINEの着信を知らせる音が聞こえてきた。
 握り締めていたスマホを慌てて持ち直し、画面を確認する。
 思った通り弟からだ。
 産まれたのか!? と思ったけれど、そうじゃなかった。
 送られてきたのは、短い文章が2行だけ。

『姉ちゃん、美玖、すげえ難産』
『帝王切開することになったけど、子供、ダメかもしれない』

 画面の文字を目で追いかけて、数秒遅れで内容を理解した瞬間、私はスマホをパーカーのポケットに捻じ込んだ。
 大急ぎでタクシーを捕まえるべく、大通り目指して駆け出そうとしたが、やおら大介に手首を掴まれる。そのせいで身体がつんのめり、よろめいた拍子に二の腕が欄干にぶつかった。地味に痛い。
「おい! いきなり血相変えてどうした、どこ行くんだよ!」
「うっさい! 非常事態なんだよ、邪魔すんな! つーか痛いわボケ!」
 空気の読めないアホの所業に苛立ち、声を荒らげた所に、何やら小さな声が聞こえてきた。
 囁くような、本当に小さな声だ。

――助けて――

「? 大介、あんた今何か言った?」
「あ? なんも言ってねえよ」

――苦しい――

「っ、また聞こえた!」
 再び声を聞いた私は、思わず欄干から身を乗り出した。
 本当に微かだったけど、幻聴と切って捨てるには、あまりに明確でリアルな声。
 もしかしたら、この近くで誰かが動けなくなっているのかも知れない。
 みくちゃんも心配だが、どうにもあの声を無視する気になれず、目を皿のようにして周囲を見回し、声の出所を探す。
「おいおい、ホントどうした。お前、熱でもあるんじゃ――」
 そして、怪訝な顔をした大介がこちらに手を伸ばしてきた刹那。
 右の二の腕辺りを見えない何かに掴まれ、思い切り前に引っ張られた事で、私の身体は空中に放り出された。

 寄りかかっていたはずの欄干をすり抜けて。

「え、ええええええッ!?」
「雲雀っ! うわっ、たっ……わあああっ!?」
 よく見りゃ大介までもが空中に放り出されている。
 なぜだか欄干すり抜けて落下した、私の身体を引っ張り上げようと、反射的に再び手首を掴んだはいいが、引き上げ切れずに自分まで落ちたらしい。
 何やってんだ! この川、見た目よりずっと水深が浅いのに! 私の巻き添えになって死ぬ気かバカタレ!
 つーかなんでこんな事になってんの!?
 目に映るもの、感じる現象の全てが、まるでスローモーションのような速度で流れていくが、それでも時が止まった訳じゃない。静かに波立つ昏い水面が、徐々に近づいて来ていた。

 てかこれ、いつもより水の量、少なくね? 普通に川底見えるんですけど。
 あ、ヤバい。私、ホントに死ぬわ……。

 ――翔太、みくちゃん。肝心な時に駆け付けられなくてごめん。みくちゃんと、お腹の子の無事を祈ってるからね。どうか、無事に産まれてきてくれますように。
 大介、あんたホント何やってんの。こんな時ばっかりカッコつけた事して、ここであんたが死んじゃったら、私、あんたのお父さんとお母さんに、あんたの奥さんになんて謝りゃいいのよ。
 親はともかく、奥さんが悲しむかどうかは微妙な気もするけど。
 って言うか――

「このクソ欄干仕事しろおおおおおおッ!!」
 傍から聞けばほとんど意味不明なその絶叫が、この世界で私が発した最後の言葉になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜

ケイソウ
ファンタジー
チビで陰キャラでモブ子の桜井紅子は、楽しみにしていたバス旅行へ向かう途中、突然の事故で命を絶たれた。 死後の世界で女神に異世界へ転生されたが、女神の趣向で変装する羽目になり、渡されたアイテムと備わったスキルをもとに、異世界を満喫しようと冒険者の資格を取る。生活にも慣れて各地を巡る旅を計画するも、国の要請で冒険者が遠征に駆り出される事態に……。

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

竜皇女と呼ばれた娘

Aoi
ファンタジー
この世に生を授かり間もなくして捨てられしまった赤子は洞窟を棲み処にしていた竜イグニスに拾われヴァイオレットと名づけられ育てられた ヴァイオレットはイグニスともう一頭の竜バシリッサの元でスクスクと育ち十六の歳になる その歳まで人間と交流する機会がなかったヴァイオレットは友達を作る為に学校に通うことを望んだ 国で一番のグレディス魔法学校の入学試験を受け無事入学を果たし念願の友達も作れて順風満帆な生活を送っていたが、ある日衝撃の事実を告げられ……

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

華都のローズマリー

みるくてぃー
ファンタジー
ひょんな事から前世の記憶が蘇った私、アリス・デュランタン。意地悪な義兄に『超』貧乏騎士爵家を追い出され、無一文の状態で妹と一緒に王都へ向かうが、そこは若い女性には厳しすぎる世界。一時は妹の為に身売りの覚悟をするも、気づけば何故か王都で人気のスィーツショップを経営することに。えっ、私この世界のお金の単位って全然わからないんですけど!?これは初めて見たお金が金貨の山だったという金銭感覚ゼロ、ハチャメチャ少女のラブ?コメディな物語。 新たなお仕事シリーズ第一弾、不定期掲載にて始めます!

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

処理中です...