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第1章

5話 真実と現実と

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 魔動車の車内にて、クラニアさんは静かな声で語り始めた。

 話は今から約15年前に遡る。
 当時、アイロス侯爵家の長女だった母、フィオーレ・アイロスと、ソルダート侯爵家の次男だった父、アートレイ・ソルダートは、親が決めた婚約者同士だったらしい。
 アイロス侯爵家は、主に畜産業関連の事業によって、その勢力を拡大してきた大家として知られ、ソルダート侯爵家は、代々将軍職に就く者を輩出する、軍家の名門として名を馳せていた。
 父と母の、祖父母の代から懇意になった両家は、やがて互いに支え合い、より一層家を繁栄・発展させてゆくようになる。だが、それを面白く思わない者達も、社交界の中には存在した。

 ある時母は、上記に述べた『両家の発展を面白く思わない者達』――すなわち政敵によって、濡れ衣を着せられてしまう。
 母にかけられた罪状は極めて巧妙かつ重いもので、一時は、母に対しては即日死罪、一族郎党は後日連座という、恐ろしい判決を受けかけたらしい。
 しかし、その判決に異を唱えたソルダート侯爵家を中心として、元よりアイロス侯爵家と懇意にしていた家々が懸命に動いた結果、母とアイロス侯爵家は、どうにか罪一等を減じられた。

 その結果、最終的にアイロス侯爵家は公爵位を剥奪の上取り潰し。
 現侯爵と侯爵夫人は、王都郊外にて蟄居を命じられ、母の妹は、聖教会が運営する修道院へ送られる事になった。
 ただ、アイロス侯爵家にはかつて一度、王家から王女の降嫁があった為、次代を担うはずだった長男に新たな家名と伯爵位を与える、という形で、辛うじて貴族としての地位と血脈の存続を許され、主犯とされた母は王都から追放、という形で、王の審判は決せられたらしい。

 実の所、当時即位していた女王も、母とアイロス侯爵家の罪状に関して、内心では懐疑的であったようだ。
 しかし現実は無情で、母が冤罪を被ったという証拠はついぞ見つからなかった。
 ゆえに、母を軽はずみに無罪とする訳にもいかず、せめて誰の血も流れぬようにと、苦肉の策で出した判決が上記のものであった、との事らしい。
 国主の権限を以てしても、それが限界だったという事だ。

 こうして、覚えのない罪を負わされ、身一つで住み慣れた家と故郷から放り出されるという、あまりと言えばあまりな仕打ちを受けた母だが、世の全てが母を見捨てた訳ではなかった。
 母の婚約者だった父が、密かに手を差し伸べたのである。
 政略結婚という形で始まった関係ではあったが、交流を続けるうち、母を心から愛するようになっていた父は、どうしても母を切り捨てられず、実家の反対を押し切って、母と共に王都を出たのだそうな。

 それからクラニアさんのお母さん宛てに、母からの手紙が届くようになったのは、母の王都追放から半年後の事。
 手紙には、2人で王都を出た後、流れ流れて北方にある小さな村へと辿り着き、そこで細々と暮らし始めた、と書かれていたらしい。
 クラニアさんのお母さんは、初めのうちはその手紙を、涙なくしては読めなかったという。
 父にせよ母にせよ、元の生まれは高貴な上位貴族の子女。貴族の暮らしとはかけ離れた、辛く苦しい生活を送っているのだと、そう思って。
 が、しかし。
 その涙も三度目の手紙を受け取って読んだ時に、完全に引っ込んだ。

 母は元々、親の目を盗んで市井に繰り出しては、平民の子供と泥だらけになって遊んで回るような気質の持ち主で、父は騎士団に所属し、毎度遠征がある度に、過酷な環境での狩りや野宿を嫌というほど経験していた男。
 どちらも心身共に大変タフで、雨露凌げる場所と狩る獲物さえいれば、暮らすに困る事はなかったのである。

 要するに。とどのつまり。
 我が両親は完全に、北の大地でのスローライフを満喫していたのだ。

 正直、その話を聞いた時は頭が痛くなった。
 以前も述べたが、この村はお世辞にも豊かとは言えない土地柄だ。とてもじゃないが、ウキウキ気分でスローライフを送れるほど、温い環境ではない。断言する。
 つか前に、冬場は油断したら死ぬ、みたいな事言ったよね? 私。
 マジでそういう土地なんですよ? ここ。

 にも関わらず母は手紙に、「今日は久々に晴れたから、みんなでスノーマンを作って遊んだの。とっても楽しかったわ」…みたいな、えらくはしゃいだ事を書いては、半年に一度、クラニアさんのお母さんに送っていたというのだ。
 そりゃ涙も引っ込むだろうよ。

 だが、その手紙のやり取りも、母とクラニアさんのお母さんが、2人揃って病に倒れた事で滞るようになる。
 そして今年の夏の半ば頃。
 ようやくクラニアさんのお母さんが病から回復した時には、うちの母は既にこの世を去った後だった。大切な友人の訃報を、1年遅れで知る事となったクラニアさんのお母さんは、酷く嘆き悲しんでいたという。
 こうして、数奇な運命と物理的な距離に隔てられてなお、変わらぬ友情で結ばれていた2人の女性のやり取りは、何ともやるせない形で終わりを迎える事となったのだった。

 なお、母を陥れた政敵に関しては、クラニアさんははっきり口に出さず、言葉を濁したまま話題を変えたのでよく分からないが、その時のクラニアさんの態度と話に出て来たやり口からして、恐らく同じ侯爵家――それも複数の家が絡んでいると見て、間違いなさそうだ。
 しかしながら私は、そいつらを草の根分けても見付け出して、どうこうしようとまでは思っていない。
 ある意味私とシアは、そいつらが母と父を追放してくれたお陰で、命拾いしたようなものだからだ。
 勿論、そのせいで両親が早死にしているのも、確かな事実ではあるけれど。

 でも父と母は、いつでも楽しそうにしていた。
 予期せぬ強烈な吹雪で家が壊れかけた時も、森の中でデカい猪に追いかけられ、危うく死にそうになった時も、両親はいつだって最後には笑っていた。
 いつも底抜けに明るい振る舞いで、私とシアに、厳しい土地で生きる為に必要な図太さと、大らかさを教えてくれた人達だ。
 病を得て倒れた時も、私とシアを置いて逝く事は悔やんだかも知れないが、この村に来て、この村で生きた事は悔いていないはず。

 私の知る父と母は、決して悲劇の主人公なんかじゃなかった。
 きっと王都から追放された時も、目の前の現実をいい方向に受け止めて、これでしがらみだらけの世界から抜け出せた、これから自由に生きてやるぞ、と、2人で笑い合っていたに違いないのだ。
 私はそう確信している。

◆◆◆

 話は再び、私達の母が、クラニアさんのお母さんに送っていた手紙の事へ戻る。
 クラニアさんのお母さんが、うちの母と手紙のやり取りをするようになり始めて数年。いつものように届いた母からの手紙には、驚くべき事が書かれていた。

 ――村の近くの森の中で、聖女の特性を持った子供を保護した――と。

 母の手紙を読んだクラニアさんのお母さんは、秘密裏かつ早急に聖教会と連絡を取り、母の元へ使者を送った。
 直接母に会い、話を聞く為。そして何より、私の姿をその目で確認する為に。
 確認の結果、聖教会側の使者も、恐らく、降誕した聖女と見て間違いないだろう、という結論に至ったようだ。
 その後使者は両親と話し合い、私が11歳になった時、私を聖女として王都へ招くという約束を取り交わした。

 使者としては、すぐにでも私を大聖堂へ連れて行き、丁重に保護したかったようなのだが、降誕の際に幾つかのイレギュラーがあった事と、物心がつき、ある程度身の回りの事を自分でこなせる歳になるまで、自分達の元で育てたい、という両親の意向を酌み、前述のような形を取る事にしたらしい。
 その時にもう一度、改めて聖女であるか否かを確認するとして。
 そして両親との約束通り、私が11歳を迎える年に、教皇の名の元、正式な御使いが指名され、こちらへ派遣されて来た、という訳だ。

 話は少々逸れるが、聖女の降誕はいつも、きっかり200年ごとに起きると言われている。
 聖女は創世の女神の代弁者にして代理人。
 世界が荒れ、正しき者が暮らすに困る状態となっていれば、己が英知によってそれを打開し、よりよい環境へと人を導くが、逆に我欲に溺れて弱者を虐げ、女神の庭たるこの世を乱していると断じられた者があれば、たとえそれが王であろうと決して許さず、女神の名の元、容赦なく鉄槌を下すのだという。

 分かりやすく言うなら、善人やそれに近い人が困っていれば慈悲の心で助けるが、自分の欲を満たす事しか頭にない阿呆や悪人は、たとえ誰であろうと問答無用でシバき倒す存在らしい。

 そういう訳なので、もし仮に国を統べる王やそれに近しい人物が、聖女がどういう存在なのか忘れて行動した日には、最悪個人どころか、人間社会そのものが叩き潰されてしまいかねないのです、とクラニアさんは言う。
 うわ。なにそれ怖い。
 アンタッチャブルの爆弾かよ。この世界の聖女ってのは。
 そんな事になってるんじゃ、確かに絶対忘れたらダメだよね。聖女関連の話。
 けど、どんだけ忘れちゃダメだと言われても、200年というのは、人間からすればあまりに長い期間だ。
 普通に過ごしていたのでは、200年おきに降誕する聖女やそれに関する知識なんて、あっという間に人々の記憶から薄れて消えてしまいかねない。

 だからこそ、聖女の真実を人の記憶から消さぬ為、聖女の話を後世へ伝え残し、降誕した聖女の守護を担う人材を確保・教育する役割を負った創世教と、その器たる組織――創世聖教会が生まれたのだ。
 そして王侯貴族にも、聖女降誕の折には全ての民衆に対し、広くその情報を周知させるべく、聖女に関する話を教育として教え、語り継ぐ義務が課されたのだという。中でも王族と上位貴族には、その傾向が一層強く残されているらしい。
 私の母が森で拾った私を見て、即座に聖女の特徴を持っている、と気付いたのも、かつて受けていた教育のお陰だったのだと言える。

 話を戻そう。
 クラニアさん曰く、この世界に降誕する聖女として認定されるには、幾つか満たさねばならない条件があるらしい。

 まず1つ。先代聖女の降誕から、きっかり200年目の年に降誕している事。
 この事に関しては、聖教会の書記官長によって代々正式な記録として残されており、確実な情報だという。
 なお、聖女は人の子の胎からは決して生まれない。
 創世聖教会が秘匿管理している聖域に、文字通り『降誕』するのだ。
 降誕の時期が近づくと、教皇の命により、クラニアさん達のような御使いが聖域へと派遣される。
 派遣された御使いは、聖域の封印を予め与えられていた権限によって解き、そこで時を過ごして、聖女降誕の瞬間を見届けるのだとか。
 これまた衝撃の事実。
 捨てられてたんじゃなくて、ハナっから親いなかったんかい、私。

 ……いや待て。だとするならばおかしい。
 私が妹と一緒にいたのは村の側の森の中だ。
 どう考えても、あそこは聖域なんかじゃない。
 つまり私は、この1つ目の条件には当て嵌まっていない事になる。

 ついでに言うなら、聖女が双子で降誕したなんてのは今まで一度もなかった事らしいし、前回の聖女降誕から数えて丁度200年目となった年も、今から10年前だったとの事。
 はい、これもおかしいですね。
 私は今11歳。予定より1年も早く生まれてんじゃんよ、私。
 多分この辺りの事が、母の所に来た使者が言っていた、イレギュラーに当たる部分なのだろうけど――なんでこんな状態で、私が聖女で間違いないだろう、なんて話になったのか。

 話は続いて2つ目の条件へ。
 これは一番分かりやすい条件で、黒髪黒目の容姿を持って降誕している事、らしい。
 これに関しても、正式な記録として残されている確実な情報なんだとか。
 ちなみに、この世界に黒髪黒目の人間は聖女以外には存在しないので、聖教会が聖女を見失う、もしくは見誤るなどという事態は、万に一つも起こり得ない、との事だ。

 確かに私は黒髪黒目なようだから、この条件はしっかり満たしている。
 聞けば聖教会の使者も、私のこの容姿を見て、ひとまず聖女認定したようだ。
 いやいや、単純過ぎないか? その判断。
 魔法がある世界なんだし、髪と目の色なんて、幾らでも誤魔化せそうな気がするんだけどねえ。

 未だ疑問と不信を抱えたまま、私は話を聞き続ける。
 しかし、3つ目の条件を知った時。
 私は、自分でも気づかないうちに顔を強張らせていた。

 聖女が持ちうる最大の特徴は、この世界に降誕する以前の、もうひとつの人生を生きた記憶――すなわち、前世の記憶を持ち合わせている事なのだと聞かされて。

◆◆◆

「実際、こうして直接お話ししてみて確信致しましたわ。あなた様の言動からは、年端もいかぬ子供とは思えないほどの知性を感じますから」
 冷や汗を掻くなんて、いつ振りの事だろう。
 クラニアさんの言葉に答えられず、口を噤んでしまった私を見て、今まで黙って控えていた夜会巻きさん……じゃない、えー、アルマさんが、気遣わし気な顔で「どうか落ち着いて下さいませ」と声をかけてくる。

「歴代の聖女様方が、みな前世の記憶をお持ちであったという事は、創世聖教会に属する、ごく一部の者しか知りませんわ」
「ええ、アルマ様の言う通りでございます。代々教皇の地位に就かれる方と、教皇様より信任された、御使いの一部の者だけが、この事実を知らされているのです」
 次いで、アルマさんの言葉をぱっつん……ではなく、ええと……そう! メリッサさん! メリッサさんが補足してくれた。

 あっぶねー! さっき教えてもらったばっかなのに、もうこの人達の名前忘れかけてんじゃん、私!
 これじゃダメだ! 
 もっと気合入れて意識して、ちゃんと覚えておかないと!

 今度は別の意味で冷や汗を掻き、少しばかりうつむいた私に、クラニアさんが深々と頭を下げてくる。
「アルエット様。いずれお話しせねばならない事とは言え、今までずっとお隠しになられていた事を、このような場で不躾に暴くような真似をしてしまい、大変申し訳ございません。心からお詫び申し上げます。
 ですが私共は、あなた様を私欲の為に利用したり、お持ちになられているご記憶を悪用するような事など、決して考えてはおりません。どうかそれだけは――」
「わ、分かってます。ですから頭を上げて下さい。母の友人の娘さんを疑うような事、しませんから……!」
 私は慌ててクラニアさんに声をかけた。
 伯爵家のお嬢様に、顔も見えなくなるほど深々と頭を下げられるとか、だいぶ心臓によろしくないので、やめて頂きたいのです。


 その後もクラニアさん達と話し合いを続けた結果、私はシアも一緒に連れて行く事を条件に、彼女達の要望通り、王都へ向かう事にした。
 今まで誰にも言った事はないが――私は両親が亡くなって以降、こういう気候の厳しい土地で子供2人だけの生活を続ける事に、ずっと不安を感じていたからだ。
 この村を故郷だと思う気持ちはちゃんとあるし、両親の残してくれた家にだって愛着がある。
 だが、私と違い、毎年寒くなるたびに必ず1回は重い風邪を引き、高熱を出して寝込んでしまうシアの事が、私はどうしても心配でならなかった。

 この村に医者はいない。
 いるのは、薬草の煎じ方や扱い方を知っている薬師だけ。
 言うなれば、両親が病で死んだのもそのせいだった。

 けど、仕方がない事だとも思う。
 この世界で医者になる為の勉強ができるのは、貴族や裕福な商家の子、もしくは極めて優秀だと認められ、貴族のパトロンを得た平民くらいのもの。
 つまり医者とは、運命と力ある者に選ばれた、特別な人だけが就ける職業。
 そんな職に就けるような人が、儲けが出るかどうか以前に、自分の命の担保すら危うくなるような、こんな寒村に来てくれる訳、ないじゃないか。
 この世界ではそれが当然。それが常識。
 ここには社会保障だの福利厚生だの、そういう社会的弱者を救済する為のシステムや概念なんて、根本的に存在しないのだ。

 だから決めた。
 ここより少しでも生活しやすい場所に移れるのなら、話に乗ってみようと。
 もしこのままここで暮らし続けて、シアの身に万一の事があったら、きっと私は死ぬほど後悔するし、間違いなく自分で自分を許せなくなる。
 そんな事になるくらいなら。

 正直、堂々と胸を張り、確信を持って「私が聖女でございます」と名乗れるかと言われたら、言葉に詰まる。今の私は、精々言えても暫定聖女って所だ。
 こんな状態で聖女を名乗るなんて、心から女神を信仰し、女神に連なる存在である聖女を、本当に大切に思っているクラニアさん達にも、申し訳なく思う。
 当然、創世教の信徒だった、今は亡き両親にも。
 でも、引こうとは思わない。

 お父さん、お母さん。腹黒い事考える娘になっちゃって、ホントにごめん。
 でもその代わりあの子の事は、シアだけは絶対守ってみせるから。

 こうして私は残された家族を守る為、自分の身に降って湧いた、聖女という身分を利用しようと決めたのである。
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