上 下
12 / 55
第2章

閑話・メートレス家の身勝手な父子

しおりを挟む

「どうして……? どうして誰も、私の言う事を信じてくれないの……?」
 まるで追い出されるように背を押され、子爵家所有の馬車に押し込まれたアディアは、ガタゴトと揺れる馬車の中で、独り涙に暮れていた。
 おかしい。どうなっているんだろう。
 あんなに自分が一生懸命、あの聖女がどれほど悪辣な女であるのか訴えたと言うのに、誰も話を信じるどころか、耳を貸してもくれないなんて。

 今までこんな事、一度だってなかった。
 お茶会で意地悪されたのだと言えば、父ならすぐに相手に仕返ししてくれる。
 学園で陰口を叩かれたのだと言えば、父なら優しく頭を撫でて慰めて、どんな格上の家相手でも抗議をすると言ってくれるのに。

 マナーマナーとうるさく喚き、辛く当たってくる使用人や家庭教師だって、自分が頼めばすぐに辞めさせてくれたし、元が愛人の子だからと、侮蔑の目を向けてくる上2人の兄弟だって、お兄様とお姉様に虐められているのだと泣いて訴えれば、即座に父は動いてくれた。
 怖い兄と姉を、その日のうちに別邸に放り込んでくれたのだ。
 流石に、男性の側に張り付くように歩いた時は注意されてしまったが、それ以外だったら、全て肯定してくれる。

 大丈夫、お前は何も悪くないからね。
 悪いのはお前を虐めて突き放す連中だ。
 悪いのはお前の言葉に耳を貸さない連中だ。

 父なら、子爵家の中でなら、いつだってそう言ってもらえるのに。
 そうならないという事は、きっとみんな、あの聖女に騙されて、たぶらかされているに違いない。
 そう、絶対にそうだ、間違いない。そうでなければ、あんなに自分が責められる訳がない。
 だからユリウス様は私を信じて下さらなかった。
 だからメルローズ様もあんなに私に辛く当たってくる。
 だから学園の先生達も、私が悪いと決めつけて頭ごなしに叱ってくるし、学園長先生もしばらく学園に来るな、なんて酷い事を言い出した。
 みんなみんな、あの聖女の綺麗な見た目に騙されて、洗脳されているんだ……!

「どうしよう。学園の中が、聖女のせいで滅茶苦茶になってるんだわ……。そうじゃなかったら、みんなすぐに私の言う事を信じてくれるはずだもの。
 それがああまで酷い事になってたんじゃ、私の言葉だけじゃどうしようもない。早くお父様に相談しなきゃ。きっとお父様なら何とかして、みんなを正気に戻してくれるはず。それまでは、どんなに辛くても頑張らなくちゃ……!」
 学園に入るまで、いつでも無条件に自身の言動を肯定されるのが当たり前、という環境で生きてきた非常識なお姫様は、自分の傲慢さや思考回路の異常さにも全く気付かない。
 ただ、胸の前で両手を組み、自身を追い詰める世の不条理が1日も早く正されるよう、泣きながら祈るばかりだ。


 しかし、そんな考えも子爵家本邸に到着し、馬車から下りた瞬間、全て叩き壊されてなくなった。
「……アディア……っ! よくもやってくれたな! この馬鹿娘が!」
 怒りで真っ赤になった顔を酷く歪ませた父に、恐ろし気な声で罵倒された挙句、平手打ちされて。
 幾ら小柄であろうと、男の力で思い切り頬を張られて、か弱い娘が立っていられるはずもない。
 アディアはその場に倒れ込んだ。
 口の中までもがジンジンと痛み、おかしな臭いと味が口腔内に広がり始める。
 血を流すような荒事とは全く無縁の暮らしをしてきたアディアには、それが血の臭いや味だとは分からなかった。

「……え……。おとう、さま……?」
 何が起きたか理解できず、痛む頬を押さえて茫然と呟くアディアを、父親である子爵が上から怒鳴りつける。
「学園側から聞いたぞ! よりにもよって黒の裁定者に、聖女様に暴言を吐いて貶めようとしたらしいな! お前は我が家を潰すつもりか!!
 くそっ! これでもう完全に、創世聖教会からも目を付けられたぞ! 下手をすれば私は破滅する! 今日まで目をかけて可愛がってやっていたと言うのに、その恩を仇で返しおって!!」
「お、お父様、どういう事? 黒の、なに? どうしてお父様が破滅するの?」
「お前はそんな事も知らんのか! 家庭教師は何をしていた!! いいか、創世聖教会が庇護する聖女とは、女神からあまねく人間を裁く力を与えられた者の事! 女神の代理人たる己と、女神が作り上げた世界に害を与えると判じた者に裁きを下し、消し去る事を許された存在だ!
 ゆえに聖女は一部の貴族達から水面下で、『黒の裁定者』と呼ばれている! たとえ王であろうとも、その裁きから逃れる事はできんのだぞ!」
「え……」

 理解が追い付かず、ただ座り込んだままでいる娘に苛立ち、子爵は頭を掻き毟って喚き散らす。
「そんな存在に対し、勝手な思い込みで突っかかった挙句、冤罪を被せようとするとは何事だ!
 ああくそっ! もしかしたら、近いうちに何かしらの沙汰を下されるやも知れん……! そうなったらうちは終わりだ! どうしてくれる!」
 父の言っている事は半分も理解できないが、それでもその剣幕から、何かとんでもない事が起こりつつあるらしい、という事だけはどうにか理解したアディアは、声を震わせながら言葉を紡ぐ。
「そ、そんな、そんな事言われたって……。お父様、お父様でもどうにもできないの? 今までだって、どうにかしてくれたじゃないですか。
 入学式で、メルローズ様に意地悪された時だって、抗議の手紙を送って謝罪の言葉をもらったって……」
「どこまで頭が悪いんだお前は! そんなもの、癇癪を起してギャンギャン泣くお前をなだめる為の、嘘に決まってるだろうが!
 どこをどう引っくり返せば、たかが中流の子爵家にしか過ぎん我が家が、五大公爵家の1つであるクルーガー公爵家に抗議の手紙を出し、あまつさえ謝罪の言葉を引き出せると思うのだ! 
 全く、そういう頭の足りん所も母譲りだな! 学園へ通わせれば多少は見られるようになるかと思ったが、所詮は下賤な平民の血を受けた娘でしかないという事か!」
 今日まで娘を散々甘やかし、まともな淑女教育を施そうともしなかった事を棚に上げ、子爵が吐き捨てる。

「お、お父様! ひどいわ! お母様の事までそんな」
「うるさい黙れ! しばらくの間は部屋で大人しくしていろ! どうせ近いうちに創世聖教会から聖女の使いが来て、お前を罪人として引き渡すよう言ってくるだろう。
 その時は我が家の存続の為、大人しく縛り首にでも何でもなるがいい! それまではうちで飼っておいてやる! もう私の前に顔を出すな! おい、誰でもいいからこいつを早く連れて行け!」
「罪人……。縛り首……。嘘よ、そんな、そんなの……っ。助けてお父様……!」
 アディアはへたり込んだまま青い顔で父に手を伸ばすが、子爵がそれに応える事はなかった。
 逆に伸ばした手を手酷く叩いて払い落とし、肩を怒らせながら自室へ引っ込んでいく。
 娘も身勝手で我が儘だが、その父親である子爵も大概身勝手で我が儘だ。

「あ、あ……。おとう、さ……。うわああああああんっ!!」
 その場に突っ伏して泣き出すアディアの姿を見ながら、使用人達はただ疲れたため息を零した。
「ひっく、違うっ、ぐす、わ、悪くないっ、私は、悪くないもん! ばかっ、ばかあああっ!」
 そして、この期に及んで反省どころか後悔の念さえ持たず、子供のように泣き叫ぶばかりのアディアを見て、心底思う。
 早いうちに、新しい奉公先を見付けた方がいいかも知れない、と。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ドアマットヒロインはごめん被るので、元凶を蹴落とすことにした

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:50

【短編集】婚約破棄【ざまぁ】

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:426pt お気に入り:806

念願の婚約破棄を受けました!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:1,130

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:19,830pt お気に入り:3,732

処理中です...