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第2章

5話 強襲、新たなる問題児

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 その後、メルローズ様は大事を取って医務室へと運ばれ、私も事情説明とメルローズ様の護衛の為、一緒に医務室へ向かった。
 いや、ぶっちゃけ先生には、「聖女様直々に護衛をなさるなど」って言われて渋られたんだけど、事件前後の様子を一番分かっているのは自分なので、と言い張って、ちょっと強引について来た次第です。
 だってメルローズ様が心配だったから。
 メルローズ様が私をどう思ってるのかは分からないが、私は結構メルローズ様が好きで、友達みたいに思っている。
 視野が広くてサバサバしてて、懐が深い上に広くてちょっと茶目っ気のある、話してて楽しい人なんです、彼女。メルローズ様が上位貴族のお嬢様じゃなくて、私が聖女じゃなかったら、「友達になって!」って、頼んでたと思う。

 幾ら聖女であっても、上位貴族のお嬢様が下手に平民をお友達認定なんてしたら、彼女の実家の失脚を狙う連中に変な噂を立てられかねないし、それとは逆に、『聖女様とお友達になったメルローズ様』…なんて話が社交界に広がりでもした日には、聖女との繋がりという名のステータスや権威を欲しがるバカチン共が、う○こバエの如くメルローズ様に群がって来るに違いない。
 友達みたいに思ってる子をそんな目に遭わせるくらいなら、よく顔を合わせる知人的な立場に収まってた方がマシだ。
 聖女ってのは、ホントよくも悪くもジョーカーじみた存在だよなぁ。
 友達1人作るにも気を遣わにゃならなくて、正直しんどい。
 もっとも、どんだけしんどかろうが聖女の名前を捨てる訳にはいかない…ってか、どうあがいても捨てさせてなんてもらえないだろうから、頑張るつもりではいますけども。

 先生からの連絡を受け、医務室に待機してくれていた女医先生(知的な美人さん)に、メルローズ様を診てもらった結果、取り立てて怪我はない、というお墨付きを頂戴できたし、メルローズ様も落ち着いたようなので、まずは一安心。
 現況としては、安心できる要素は大変薄いんですがね……。

 診察を終え、付き添いの先生が医務室を出て行ってすぐ、メルローズ様がソファにきちんと座っていられる状態だと分かった女医先生が、気を遣ってお茶を淹れて下さった。
 艶のある茶色の髪をシニヨンにした、あまり口数の多くない女医さんです。

 なんか正直、私だけ授業サボッてお茶飲んでるみたいでちょっと落ち着かないんだけど、基本的にはもったいない精神に則って、出された物には手を付ける主義でもあるので、しれっとした顔でお茶を飲みつつ、しばしの間ブレイクタイムと洒落込んでみる。
 うーん、いい香りのお茶だ。
 何かのハーブを混ぜてるのかな。これ。
 うっかり気が緩んで、女医先生の前でメルローズ様を愛称で呼んだりしないよう、気を付けないと。

 ここの先生って、平民と貴族が友達になったり、身分差のデカい人間が親し気にしてたりするのを、あんまりよく思わない人が多いみたいなんだよね。
 生徒手帳の校則欄には、「身分の違う相手と仲良くするな」…みたいな事、一言も書いてないんだけど。
 かと言って、身分差別とか権威主義とか、そういう事を理由にしてる訳でもないみたいなので、もしかしたら生徒側には分からない、教員側の暗黙のルールとか、そういうものがあるのかも知れない。

 さて。ほどよく一息つけた所で、一度状況を整理してみるとしようか。
 現時点ではまだ、事細かに状況整理しなきゃならんほど情報がある訳じゃないんだが、やらんよりはマシだ。
 てな訳で、女医先生とメルローズ様とも話し合いつつ、早速整理開始です。


 1つ。今回の件は事故でも何でもなく、誰かがメルローズ様を直接狙った事件だという事。
 本人の証言と、その傍にいた私の感覚的な違和感などを含めて見れば、あれはどう考えてもメルローズ様の自爆などではない。
 誰かに危害を加えられかけてああなった、という見解で間違いないだろう。

 1つ。メルローズ様は、中央エントランスの階段の真ん中という、かなり高い地点から落とされかけた、という事。
 それすなわち、犯人は明確な殺意を持って行動に出ていた、という事にもなる。
 どっからどう見ても、あれは確実に嫌がらせの域を超えていたので、これも確定事項と考えていい。

 1つ。階段下へ落とされかけた直前、すれ違った赤毛のご令嬢が怪しい、という事。
 つーか状況的に見ても、あの赤毛女以上に怪しい奴は存在しない。
 ただ、あちこちの夜会やお茶会に顔を出し、上位貴族だけでなく、下位貴族のご令嬢の顔と名前も、併せて覚えるようにしているのだと言うメルローズ様(記憶力パねえ!)でも、あの赤毛女には見覚えがないらしい。
 しかも、学園でも見た事がない、と。
 これまた気にかかるお話だ。
 何となく予想はつくが、これに関しては一応、後でもう一度掘り下げて考えるべきだろう。

 1つ。その赤毛女には、最低でも1人は共犯者がいる、という事。
 あの時、階下の物陰からこちらの様子を伺うという、怪しさの権化とも言うべき行動を取っていた奴が、確かにいたのだ。これで事件と無関係だと思う方がどうかしている。
 あの場で奴を捕まえられなかった事が悔やまれるが、今はやむを得ない事だったと割り切っておくしかない。

 そして最後の1つ。
 こちらはまだ確定しているとは断言できない。
 だが、十中八九間違いない話でもある。
 それすなわち――恐らく今後、再びメルローズ様が命を狙われる危険性がある、という事だ。

◆◆◆

 話し込んでいる間に、すっかり冷めてしまったハーブティーを口に含みつつ、本当に厄介だなぁ、と内心でため息をつく。
 もし私に、身体だけ小さくなっちゃった東の高校生探偵や、超有名な名探偵をじっちゃんに持った男子高校生みたいな、頭の回転の速さや観察眼、洞察力などがあれば、もっと色々な事に気付けたのかも知れないが、私のオツムではこれくらいの考察が限界だ。無念。

「……あの、アルエット様。すっかり巻き込んでしまって、申し訳ございません。妹君のオルテンシア様や、あなたの後見人をなさっている教皇猊下にも、申し開きのしようがありませんわ……」
 ため息ついて肩を落とした私に対し、うつむき加減になりながら言うメルローズ様。
 どうやら彼女も私とシアを気遣って、女医先生の前では愛称呼びを封印してくれているようだ。
 デキる女というのは、精神的に参っていてもデキる女なんだなあ……。

「気にしないで下さい……なんて言っても無理な相談かと思いますが、それでも、少なくとも私は、あの時あなたを助けた事を後悔していませんし、ディア様も事情を知れば、決して嫌な顔はなさらないと思います。むしろ、褒めて頂けると思いますが」
「アルエット様……」
「それより今は、犯人の身柄を押さえる事を第一に考えましょう。他の方々の力を借りれば、案外数日中には、あの赤毛の令嬢に目星を見付けられるかも知れませんし」
「えっ? どうしてですの?」
「それは勿論メルローズ様が、本気で容疑者に見覚えがなかったからですよ」
「……ああ! なるほど、確かにそうですわね!」
 一度はキョトン顔をしたメルローズ様だったが、すぐに私の言わんとしている事に思い至り、両の掌をポンと打ち合わせた。
「冷静になれば、すぐに分かる事ですわよね。彼女自体に関する情報はなくとも、『見覚えがない』という情報はあるのですから、それを元に考えれば、想定される可能性が幾つかありますわ。
 1つは、下位貴族の女生徒が、ウイッグなどを使って変装している可能性。2つ目は、犯人にそそのかされて計画に加担した、平民の女生徒である可能性。そして3つ目は、同じく犯人にそそのかされた部外者である可能性。
 おおよそ、このくらいかと思いますが……。アルエット様のご見解はいかがですか?」
「はい。私も大体、その辺りなんじゃないかと思っています。ただ、平民の立場から意見を言わせて頂くなら、2つ目の可能性は、限りなく低いのではないかと」

 話している最中、さり気なくお茶のお代わりをカップに注いでくれた、女医先生に会釈してから話を続ける。
「身分詐称って、とんでもない重罪じゃないですか。そこに公爵令嬢の殺害未遂、なんて罪状がくっついた日には、当人が首刎ねられる程度じゃ済まない事くらいは分かります。裁判をした所で、間違いなく家族や親類も連座で処刑待ったなしでしょう。
 学園の入試に合格できるくらいしっかりした教育環境と、その教育を受け入れて理解できる頭があるなら、その点に関して想像できない訳がないと、私は思います」
「そうね。確かにあなたの言う通りだと私も思うわ」
 私の言葉に、真っ先に理解を示してうなづいたのは、以外にも女医先生だった。

「ついでに言うと、加害者が王侯貴族に危害を加えた時に行われる裁判は、『王立裁判』と言って、通常とは異なる特殊なものになるの。知ってるかしら?」
「いえ、知りません。教えて頂けますか、先生」
「ええ勿論。…『王立裁判』はね、裁判であって裁判ではないの。名称に『裁判』って付け足されてるだけの、形だけの裁判なのよ」
 女医先生は、新しくお茶を注いだ自分のカップに角砂糖を幾つか放り込み、スプーンで微かな音を立ててかき混ぜながら言う。
 つか、さっきから思ってたけど、お茶を入れる時の所作といい今の喋り方といい、女医先生ってもしかして、貴族じゃなくて平民なんだろうか。

 ディア様曰く、貴族のご令嬢達のお茶会では茶器を触る時とか、お茶に砂糖やミルクを入れてかき混ぜる時、絶対に音を立てないようにするのが暗黙のルールで、これを守れないご令嬢は、お茶会で冷笑の的にされてしまうのだとか。
 実際にはそんな、どっかのバラエティ番組でやってる『少しでも音立てて飯食うと上からタライが落ちてくるよ』みたいな、ネタ丸出しのマナーなんて存在しないらしいんだけど、昔のご令嬢方のマウントの取り合いが、悪い形で残っちゃってるんだって。
 ああ。当然、平民のティータイムにそんなルールやマナーはないですよ?
 音を立ててお茶を啜ったり、意図して場の空気を悪くするような言動を取らなければ、基本どんな飲み方をしようが自由だ。それが平民の流儀なのである。
 うん。私、平民でよかった。

 ともあれ、女医先生の話は続く。
「事前に揃えられた状況証拠や証言と一緒に、国王陛下の前へ罪人を引っ張り出して、担当官による適当な精査がされたのち、国王陛下の裁断を仰いでその場で結審。その後は結審内容に従って、速やかに罪人を処罰して終了。まあ、内容としては大体こんな所ね。
 王立裁判とは、ほぼ100パーセントの確率で罪人が有罪になる裁判。もっとハッキリ言うなら、あらゆる意味で王侯貴族を害しようとした者を、王の手で直接断罪する為のイベントなのよ。
 早い話が、地位ある者達への見せしめね」
「そうなんですか。……こう言ったら不敬かも知れませんが、えげつないですね。王立裁判って」
「あなたがそう思うのも無理はないわ。でも、これでもまだマシになった方なのよ? 数百年前には、王侯貴族を傷付けたというだけで、裁判もなしにその場で殺される事も珍しくなかったらしいから」
 おおう。キッツいわそれ……。封建制度の悪習極まれりだぜ……。

「それから、事が露見した時に負わされる罪の重さという点から考えると、部外者の可能性も薄いんじゃないかしら。
 ここは王立の学園だから、正式な所有者は女王陛下よ。つまりこの学園は王の所有地であり、資産でもあるって事。そんな所に不法侵入したなんてバレたら、貴族でも相当酷い目に遭うわよぉ?
 ただ入り込んだってだけで、さっき言った王立裁判にかけられた上、高確率で犯罪奴隷扱いで僻地に送られて、10年は戻って来られないわね。
 これは貴族だけじゃなくて、学園に関わる人間なら誰でも知っておいて損のない話だから、あなたもこの機に覚えておくといいわ。聖女様」
「な、なるほど……。勉強になります……。ええと、ではやはり例の赤毛の令嬢は、どっかの貴族令嬢の変装という事で」

「おい、メルローズ! メルローズはいるか!」
 私の話を思い切りぶった切る格好で、ドアを粗雑に開けるデカい音と、若い――というより、ちょっと幼さの残る男性の声が、医務室内に響いた。
 驚いて医務室の出入り口に目を向ければ、そこにいたのは銀髪碧眼の美少年。
 でもなんか雰囲気が全体的に偉そうって言うか、鼻持ちならないような顔つきしてます。
 ついでに言うなら、声も表情もやたら嬉しそうなんだけど、何しに来たんだコイツ。
 そんな私の疑問に、メルローズ様がどことなく疲れたような顔で答えてくれた。

「そう大声を出さずとも聞こえておりますわ、アーサー殿下」
 はい? アーサー『殿下』?
 って事はコイツ、前にエドガーが言ってた下の兄弟の1人か! 
 うっわあ。なーんか、昔会ったばっかの頃のエドガーを、そっくりそのまま成長させたみてーな奴だ。
 鼻持ちならない人間って、多分こういう奴の事を言うんだと思う。

 その鼻持ちならねえアーサー殿下は、ソファに座っているメルローズ様の姿を目にした途端、今までの喜色をスッと消し、露骨にガッカリした顔をする。
「……。あぁ、なんだそうか、何ともないのか。よかったな」
「ええ。ご心配をおかけしました事、申し訳なく思っております。見ての通り、わたくしはかすり傷ひとつ負っておりませんから、どうぞお戻り下さいませ」
「そうだな。お前の言う通り戻るとしよう」
 いつもと違い、完全なる作り笑い全開のお顔で、にこやか~に仰られるメルローズ様と、それを見て鼻を鳴らすアーサー殿下。この短い間に交わされたやり取りを見ただけで、不仲である事が丸分かりだ。
「所で、メルローズの隣にいるお前。お前はもしや、母上が言っていた聖女か?」
 うげ。こっちに声かけてくんじゃねえよ。

「はい。アルエットと申します」
 あんまり関わり合いになりたくないが、無視する訳にもいかないので、やむなくソファから立ち上がり、頭を下げてご挨拶する。ハアやれやれ。
「ふん。見てくれは悪くないが、王族相手の挨拶の仕方がなってないな。カーテシーのひとつくらいしたらどうだ」

 平民の女がカーテシーなんてする訳ねえだろバカ。
 って言ってやりたいけど、ここは我慢だ。

「……。お言葉ですが殿下。カーテシーは貴族令嬢がなさる挨拶の仕方です。私は平民ですので、カーテシーは致しません」
「はあ? 平民だと? なぜ爵位を得ていないんだ。それでは社交界に出られないだろう」
 ……。あのな。聖女ってのはある意味、王様以上の社会的地位がある存在なんですよ。
 つまり、ハナッから特別な存在なんです。
 だから爵位なんて必要ないし、社交界に出る必要もないんです。
 つか、むしろ出たらダメなんです。
 複数の条件をクリアする必要があるとは言え、場合によっては王族相手でも胸三寸で強権発動できるような人間が、社交界なんて公式の場に顔出した挙句、特定の貴族や王族と仲良しになったりしたら、政権のパワーバランスが根こそぎぶっ壊れんだろーが!
 なんで王子やってるてめーがそれ知らねえんだよ!

「……私は、創世聖教会の現教皇、並びに現女王より、創世の女神の代理人として認められ、信を得ている者です。ゆえに、爵位を得る事や社交など、みだりに俗世に関わるような行いは致しません」
 顔が引きつりそうになるのを必死に堪えつつ、爵位を得ず、社交界に出ない理由を淡々と説明した。
 が、アーサー殿下――もうバカ王子でいいわ。こんな奴――は、私が何を言ってるのかよく理解できないようで、腕組みしながら顔をしかめている。
「はぁ……。そうつまらん理屈を並べ立てるな。全く、何をしたいのか理解に苦しむ。爵位を得ている貴族令嬢なら、すぐにでも次代の国王である私の傍にはべる事もできたのだぞ? 早いうちからの損得勘定もできんとは、頭の悪い女もいたものだな」
「…………」

 ため息つきてえのはこっちだし、頭が悪いのもてめーだよ!!
 だから今! キッチリと! 爵位を得ず社交界に出ない理由を! 説明してやっただろ!
 なのになんでそういう話になるんだよ!
 女医先生もメルローズ様も、めっちゃ呆れた顔してんぞ!
 ああもうバカ! マジでバカ! もう帰れ! ハウスッ!

 危うく脳内ヒステリーを起こしかけ、若干眩暈がしてきた所で、バカ王子が「付き合い切れんな」とかほざいて踵を返す。
「まあ、取り敢えず婚約者としての責務も果たした事だ。今日の所は帰るとしよう。おい聖女、もし今後私の寵愛が欲しくなった時は、母上に頼んで早々に爵位を得るがいいぞ。ではな」
 ははは、と笑いながら、バカ王子は医務室から出て行った。
 後に残された私達の心中に残るのは、言葉にし難い不快感と、何とも言えない疲弊感。
 つーかあの野郎、最後に聞き捨てならねえ事言ってませんでしたか?
 本音を言うなら訊きたくない。
 しかし、訊いておかない訳にもいかないだろう。
 私は意を決してメルローズ様に向き直る。

「……あの、メルローズ様……。もしかしてあのバ…いえ、殿下は、メルローズ様の……」
「……。ええ。ご想像の通りです。あのおバカさんの名は、アーサー・レイナ・リーベリー・ノイヤーエンデ。悲しい事に、我がノイヤール王国の第二王子にして、わたくしの婚約者なのですわ……」
 心底打ちひしがれたようなお顔をなさるメルローズ様に、女医先生が「精神的に疲れた時にも、甘い物は有効ですよ」と優しく語りかけ、綺麗な小皿に乗せてある、フィナンシェに似たお菓子をそっと差し出した。
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