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第3章

7話 真円都市キルクルス

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 王都アイウォーラを出立してから早5日。
 私達はようやく、辺境伯のお膝元の街・キルクルスに到着した。
 ここがどういう歴史を持つどんな街なのか、事前リサーチはバッチリです。
 こう見えて、国やら何やらの歴史背景を調べたり読んだりするの、元から結構好きなんだよね。私。
 この世界は娯楽が乏しいから、こういう調べ物が余計に楽しかったりするんだな、これが。

 辺境伯領の都市・キルクルスは、今から約400年前、時の王弟・キルクルス大公の命によって作られたものであり、この土地を代々治めているエミスフェル辺境伯家は、その大公の血を受け継ぐ一族……つまり、現王家の遠縁に当たる家でもある。
 都市としての規模は、土地面積、人口共にアイウォーラの4分の1以下だが、それでも辺境伯領にある村や町の中で、都市と呼べるほどの規模を持っているのは、ここキルクルスのみだと言う。
 また、ここは王国内で唯一、都市を囲む外壁が真円の形に整えられた街であり、別名『真円都市』とも呼ばれている。外壁を曲線状に整えつつ、それを一切歪まないよう並べていくとか、想像するだに面倒臭い。凄いな、最初にこの街を作った人達。

 実はアイウォーラでも、街や王城、神殿を囲んでいる外壁は真円ではない。
 街の中に、台形とか歪んだひし形とか、変な形をしたバカ広い農地が複数あるせいか、微妙に東西へ伸びた半端な楕円形をしているのです。
 事前に調べた所によると、周囲を深い森と山間部に囲まれ、農産業を営みづらい土地であるこの領地では、人々は主に養蚕ようさんと絹製品の製造、輸出によって領の運営維持を助け、自らの生活を支えているらしい。

 キルクルス領のみに伝わる、特殊な方法で育てられた蚕が生み出す絹糸によって織られた布は、傷みづらく変質しづらい上、冷暗所で保管しておけば経年劣化さえしないという、驚異的な頑強さを誇る。
 また、光の加減で淡く七色に輝いて見えると言われる布地は、染色されてなおその輝きを失わない。
 ゆえにキルクルスの絹は、いつの時代においても世の高貴な女性達を魅了してやまず、王都の王侯貴族はみな、キルクルスの絹をこぞって買い求めるのだとか。

 その代わり、洒落にならないくらいクッソお高いらしいですけどね。
 どんくらい高いかと言うと、キルクルスの絹を100パーセント使用したドレスを一着作るだけで、でかい別荘が家具付きで買える額のお金が飛んでいくくらい、お高いって話です。
 そんなキルクルスの絹と、その布地で作られたドレスは、社交界に出るご令嬢やご婦人方の憧れの的であり、垂涎の的でもある。
 なんせ、公式の場で着用するドレスは2回以上着回ししない、という贅沢な常識を持ち合わせる上位貴族の女性でも、キルクルスの絹でできたドレスは、決して払い下げたりバラしてリサイクルしたりせず、大切に保管しておくらしいから。

 母から娘へ、代々引き継いでいるお家さえあるみたいだし。
 ちなみに、女王様が即位の儀の際に着たドレスと、婚姻の儀の際に着たドレスも、キルクルスの絹で作られた物だったと、メルローズ様が言っていた。
 そのドレスは現在、どちらも王宮の宝物庫の中で厳重に保管されているそうな。
 もしかしたらその2着はいずれ、暫定的ながら次の女王になる事が決まっている、エドガーの妹さんが女王様からそのまま受け継いで、各式典の際、身に付ける事になるのかも知れない。

 うん、それはそれで素敵なんじゃなかろうか。
 流石に欲しいとまでは思わないけど、一度お目にかかってみたいものですね。そのドレス。きっと、すっごく綺麗なんだろうな。
 まあ、今はそんな事より――


「……やっと、やっっと着いた……! これでしばらく野宿せずに済む……っ!」
 傍らのエドガーが半泣きになりつつ、腹の底から――いや、魂の底から絞り出したような声を吐き出した。
 ああ。分かる。お前のその気持ち、めっちゃ分かるぞ、エドガー!
 ぶっちゃけここに来るまでの間の野宿、ホントもうマジでキツかったんだよ!

 所詮私もエドガーも、中身は文明発達著しい世界に生まれ、便利で快適な暮らしに慣れ切っていた都会っ子。
 おまけにここの世界でも、立場と身分のお陰で、普段から上げ膳据え膳のぬるま湯生活が当たり前になってたから、余計に野宿が辛かった。
 道中に一か所だけ、なんかデカい別荘みたいな宿泊施設があったけど、そこを利用できるのは、辺境伯家の縁者と王族、後は、絹の流通を担う特別な御用商人達だけ。
 諸々の理由から、その決め事は絶対で例外は認められない、と定められている。当然私達も使用不可です。

 ……フフフ。マットレスも何もない地べたの上で、保温性に富んだ厚みのある毛布ではなく、薄っぺらい革製のマントに包まって眠るって、こんなにしんどい事だったんだね……。
 お陰で道中よく眠れなくて、今も結構寝不足気味だ。
 あと、道中で食べた保存食中心の食事も辛かった。
 ガッツリ香辛料を効かせた保存液に漬け込み、しっかり水分を飛ばした干し肉は、しょっぱ辛くてアホみたいに硬い、ジャーキーのなりそこないみたいな味と食感だったし、乾パンはどういう作り方をしたんだか、一口齧っただけで口ン中の水分を根こそぎ奪い去るという、恐るべき特性を持っていた。

 塩と乾燥野菜と、レナーテ様がその辺で捕まえてきた野鳥の肉だけで作った、シンプルな鳥塩スープのお味も、シンプル過ぎて物悲しかったです。
 野宿でイチイチ鳥の骨から出汁取るような、手間や時間なんてかけてられないから、仕方ないんだけども。
 この数日間の野宿は、なんだか子供の頃の、過酷な村での暮らしを思い起こさせるような毎日でした。
 人間、質のいい暮らしを経験してそれが当たり前になると、それ以下の暮らしにはもう戻れないって、どっかで聞いた事があったけど、それって本当なんだね……。
 これが春じゃなくて冬だったら、我慢できなかったかも知れない。

 当然、私と同じ暮らしをしてきたシアや、元々上位貴族であるメルローズ様やユリウス様、下位貴族ながら、名誉ある地位に就いているレナーテ様も、しんどい思いをしてるんじゃないかと思ってたんですが……実はそうでもなかった模様。
 私やエドガーと違って、前世の記憶なんぞという珍妙なモノを持ち合わせていないシアは、かつての寒村での厳しい生活を思い出したのか、割と早く野宿にも順応したし、それぞれ騎士団に入団し、過酷な環境下での行軍訓練や野宿などに、繰り返し耐えてきたのだというメルローズ様達お三方にとっては、今回の野宿は割と快適な方だったそうで。

 なんか私達、根性なしですいません……。
 て言うか、まさかシアがここまで順応性高い子だなんて、お姉ちゃん今の今まで知らなかったよ……。
 思った以上に逞しく育ってくれたみたいで、嬉しくもあるけれど。

「大丈夫ですか? アル様。エドガー。野宿が続いたせいで体調が優れないのであれば、今日は無理をなさらず、早めにお休みになって下さいませ」
「そうですわね。野宿など初めてのご経験でしょうし、そもそもあなた方は前世でも、このような旅の経験はされていらっしゃらないと聞いています。あまり眠れていないのではありませんか? メルの言う通り、ゆっくりお休みになられた方がいいですわ」
「うん。買い出しなら、私がちゃんとしておくから。2人共、心配しないで休んでね」
「……妹君の護衛はお任せを。もう少しまともな食料も、買い足しておきます」
 我が身の不甲斐なさにしょぼくれている私とエドガーに、それでもメルローズ様達は優しい言葉をかけ、励ましてくれた。

「うう。うちの妹とお姉様方の優しさが心に沁みる……」
「悪い。今回は甘えさせてもらうわ……。もうちょいしたら、慣れてみせるからよ……」
 私達はやむなくシアやメルローズ様のお言葉に甘え、一足先に創世聖教会の神殿がある場所へ向かう事にした。
 一応私は聖女なんで、街に教会の神殿があれば、無償で泊めてもらえるのです。

◆◆◆

 その後、2人揃って若干ふらつきながら神殿の門を叩き、紹介状を渡した上で事情を話し、中へ入れてもらった私とエドガーは、神殿のシスターさん達の勧めで軽く湯浴みさせて頂き、蜂蜜入りのホットミルクまでご馳走になった。
 正直、思わず涙ぐむくらいには美味しかったです。
 甘くてあったかいミルクのお陰で人心地つき、予め用意してくれていた部屋でベッドに寝転がると、あっという間に寝落ちした。
 それから夕方頃に起こされて、ひとまず買い出しを終えてこちらへ来た、シアやメルローズ様達と合流。一緒に夕飯をご馳走になる。

 メニューは、この近くにある汽水湖で獲れた魚とジャガイモ、タマネギをミルクで煮込んだ、クラムチャウダーならぬフィッシュチャウダー、平民の主食NO.1の黒パン(ライ麦ないのにどうやって作ってんだろ)、ハーブソースがかかった鶏のソテーの3種類。

 魚の出汁が効いてるフィッシュチャウダーは滋味深く、具沢山で食べ応えがあり、カリっと焼かれた黒パンは素朴な味わいながら、フィッシュチャウダーをつけて食べると、これまたとっても美味しくなる。
 こういうシチュー系のスープとハード系のパンって、ホント相性がいいよね。最高のズッ友だよ、君達は。
 メインディッシュの鶏のソテーも、皮目はパリッと香ばしく、肉の部分はふっくら柔らかジューシーで、爽やかなハーブソースがよく合っている、ちょっと感動で泣きそうになる味だった。
 上位貴族のメルローズ様とユリウス様でさえ、この鶏のソテーを大絶賛していたくらいだ。本当に腕のいい料理人さんがいるんだな、この神殿。
 おまけに、デザートとして林檎のコンポートまで出してくれて、大感激。
 もうホント、私が聖女じゃくて髪が禁色の黒じゃなかったら、この場で土下座して感謝の意を示してたよ。
 神殿の皆さん、本当にありがとうございます。お陰で萎えてきていた気力が蘇りました。

 よーし! 次の野宿も頑張って耐えてみせるぜ!
 ここを発つその前に、領主である辺境伯家へ、挨拶に行かなきゃならんのだけど。
 そういう訳で今日はもう寝ます。お休みなさい。


 翌朝。美味しいご飯と十分な休息によって、すっかり気力体力を取り戻した身体は体内時計も絶好調で、特に寝坊する事なく、いつも通りの時間にちゃんと目を覚ます事ができた。
 大聖堂で暮らしていた時と同じように、神殿の皆さんと一緒に朝の礼拝を済ませた後は、待望の朝食タイム。
 メニューは、サラダが添えられたオムレツと黒パン、オニオンコンソメの3種類。美味しいシンプルイズベストです。
 ここに来て、あ、私って白パンも好きだけど黒パンも結構好きなんだな、と、非常にどうでもいい事に気付いてほっこりできる、平和で平穏な朝の有り難さを一緒に噛み締めつつ、食事を終える。
 後は多少街をぶらついて、辺境伯家の人達が朝の支度を粗方終えるまで待ったのち、いよいよ屋敷へ挨拶に向かう。
 辺境伯家への挨拶と言っても、そう堅っ苦しくて長々としたモノじゃない。
 ざっくりした表現をするなら、こっちから「あ。すいません、これからちょっと、聖地に行くのにお宅の領地の中通らせてもらいますんで、よろしくね」と声をかけ、あちらさんがそれに対して、「ああはい分かりました。どうぞお通り下さい。道中お気を付けて」みたいな感じで答えたのち、辺境伯家の紋章が入ったブローチを通行証代わりに貸し出す、という、ごく短いやり取りをするだけ。
 そういう簡単なお仕事です。
 ただこれは、絶対にこなしておかなければならない、必須事項でもある。


 前述の通り、ここは特別な蚕を育てている土地であり、養蚕農家の人達の一部は、その蚕を育てる為に必要な秘匿技術を幾つも有している。
 早い話、莫大な金に化けるお宝を生み出す、特別な黄金のお蚕様を育てる為に必須となるノウハウが、この土地の中にだけ、息づいている訳だ。

 となると当然、その技術を掠め盗ろうとする産業スパイなんかも、領内にちょいちょい入り込んでくる。
 そのせいかこの領内には、「スパイ野郎は発見次第、私刑にかけていい」とかいう、おっかねえ暗黙のルールがあるんだそうな。
 うわあ……。下手すりゃ誤解でフルボッコですよ。怖すぎだろ。辺境伯領。
 まあつまり、このスパイ連中と誤認されたり混同されたりするのを避ける為に、今回の「ご挨拶」が必要なのです。
 挨拶を済ませて紋章入りブローチをお借りすれば、今後ここの領地に住んでいる人達に向けて、「領内を無断でぶらついてる訳じゃないですよ、ちゃんと領主の許可もらってますよ」とアピールできるから。
 聖地へ向かう為に通る道の途中にも、養蚕の為に必要な設備が1つ2つあるらしいんで、尚更許可が必要なのだ。


 さーて。ここの辺境伯さんてどんな人かな、優しい人だといいな、なんて思いながら、神殿側の案内人に連れられて大通りを行く事しばし。
 私達は城みたいなデカさのお屋敷に到着した。
 ほほう。ここが領主館ですか。
 400年前の建物を改修しつつ、そのまま使ってるそうなので、ちょっと古びてはいるけれど、そこがまたいい味を出している。歴史を感じるってヤツですね。
 屋敷の周囲や門を警護している、警備兵の皆さんの1人に声をかけ、領主への取り次ぎをお願いすると、しばらく経ってから家令を名乗るナイスミドルがやってきて、私達を屋敷の応接間に案内してくれた。

 まではよかったのだが――
 なんかそこから私達、めっちゃ待たされてます。
 もう小一時間くらいは待ってる。
 私達が聖地巡礼の為にここへ来る事は、前もって領主である辺境伯家の当主に、直に伝えられてる、はずなんだけど……どうなってんのコレ。

 周りにいる侍女さんやメイドさん達、果ては肝心の家令さんですら、ご当主様のこの対応は想定外な様子で、廊下の外も、どことなく慌ただしくなっているようだ。
 しまいには、私達にお茶やお菓子を持って来てくれたメイドさんが、廊下に出る直前、ごく小さな声で「またなの? あのバカ領主」…とか言ってたのを聞いてしまい、一気に嫌な予感が押し寄せてくる。

 おい、嘘だろ……。まさかここに来て、『前領主はデキる人だったけど、後継いだ息子はボンクラでした』とかいう、あっちこっちの小説や物語で使い古されてる設定が、ひょっこり登場すんのかよ……。

 私の右隣にいるシアは早々に疲れた顔をしてるし、左隣のメルローズ様とその対面にいるユリウス様は、もはや能面みたいな顔になっている。
 ユリウス様とレナーテ様に挟まれてるエドガーは、無表情を装おうとして失敗し、額に青筋立てていて、レナーテ様に至っては、じんわり殺気じみた気配を漂わせ始めていた。あはは。キレる寸前ですね。
 で、そこにようやく、雇ってるメイドにまで陰でバカ呼ばわりされちゃう、金髪碧眼の無駄にキラキラしたイケメン領主様がノコノコやって来て、微笑みながら口を開いた。あ、声は普通だね。
「聖女よ。待たせてしまったようで申し訳ない。私の可愛い子猫が、なかなか離してくれなかったのだ。――いや、しかしあなたは非常に美しいな。私の伴侶になれ。不自由はさせないと約束しよう」

 ……。とりま、一発ぶん殴っていいですか。領主様。
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