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第3章

8話 色ボケ野郎狂想曲

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 室内の空気が、ものの見事に凍り付いている。
 開口一番イケメンバカ領主が、初対面の相手にろくな挨拶もしないまま、ツラだけ見てプロポーズするという、意味不明なアホ発言ブッ込んでくれたお陰で、私も返す言葉を見出せないまま硬直しています。

 いや、この野郎に対して言いたい事なら、まあまあございますよ?
 でも今、頭の中に浮かんでくるのは、ただただスタンダードな罵詈雑言ばっかりで、波風立てずに済ませる台詞が、全く思い浮かばないのです。
 アハハ、困ったね。
 つか、感情の赴くまま、はっ倒さなかった事を褒めて欲しい。

 ……って、うっわあ。近くにいるメイドさん達と家令さん、あとメルローズ様の眼差しが、恐ろしく冷たいんですけど。もはや、永久凍土という表現すら生温い、そんな目をしてらっしゃいますです。
 いや、スゲーなこいつ。
 よその家のお嬢さんであるメルローズ様はともかく、目下の被雇用者(しかも複数名)にまで、こうまで見下げ果てた目を向けられる奴なんて、世の中探してもそんなにいないんじゃね?
 しかし、私の対面にいるエドガーの目はもっと冷たかった。
 多分奴は、この場の誰よりキレている。

 理由は分からないが、エドガーは昔からこういう手合い……まあ要するに、ナンパ野郎が本当に大嫌いだ。
 そのせいか今も、バカ領主にメンチ切りながら立ち上がりかけた所を、ユリウス様とレナーテ様に両脇から腕を掴まれ、力づくで止められていた。
 それでもその目は、射殺さんばかりの鋭さを湛えたまま、バカ領主を捉え続けている。
 全く。学園にいた頃は、よく男友達と下ネタだの猥談だのが混じった会話を平気でしてたくせに、こういう時だけなんで潔癖になるんだか。ホント訳分からんわ。

 そういや買い物ミッションの時も、時々周りにいる男にメンチ切って威嚇してたけど、まさか、よその誰かがどっかのお嬢さんをナンパすんの、邪魔してたんじゃないだろうな、お前。
 ダメだろ、自分が見てて不快だからって、そうやってよそ様に迷惑かけちゃ。
 そもそも、世の中にはナンパ待ちの女子だって、多少はいるんだぞ。
 私情に駆られて人様の出会いを潰すんじゃない。

 ああでも、お陰で何だか頭が冷えてきた。
 自分よりキレてる奴を目の当たりにすると、なぜだか理性的になるモンなんだね、人間って。
 はいはい、落ち着けエドガー。おすわり。
 取り敢えず、一発冗談でもカマしてやろうと思い立ち、目の前のエドガーに対して、犬の躾の時に使う『おすわり』のジェスチャーを真顔でやって見せると、エドガーの顔が大きく引きつった。
 あ。「何してくれてんだこの野郎」って顔に書いてあるわ。怒っていいのか呆れていいのか分からなくなってるな、こいつ。

 てか、スゲー顔になってんぞお前。イケメン台無しじゃん。ウケる。
 そして、エドガーの両隣にいるユリウス様とレナーテ様が、私のジェスチャーを見て地味にツボッた気配。お二方の口元がちょっと歪み始めてるよ。笑いを噛み殺してるのが丸分かりだ。
 ついでにメルローズ様とシアも、そっぽ向いてうつむいて、ちょっとだけ肩を震わせてる。
 え、嘘。ごめんなさい。
 そんな面白かったですかね。今の冗談。
 私達が水面下でそんなやり取りをしているすぐ傍で、家令さんが、非常にしっぶーいお顔でバカ領主に苦言を呈していた。

「……。旦那様。お戯れも程々になさいませ。聖女様がお困りです」

 ええそうですね。めっちゃ困ってます。

「何を言う。この私に妻として望まれて、喜ばぬ女などいる訳がない。それに、お前も常々、身を固めろと催促していたではないか。此度の事はいい巡り合わせだ」

 うげ、なにその根拠のない自信。ボクちゃんお顔がいいし、金も地位もあるから女はみんな自分に靡くんだぞってか? うっわ思考回路クソ寒っ。

「またそのような事を。確かに身を固めて下さいとは申し上げました。ですがその前に、身辺整理をするのが筋でございましょう。今現在、何人の女性を愛人として囲っておいでか、忘れた訳ではございますまい」

 うげぇ、未婚の分際で既に愛人複数囲ってるとか、ありえねー。スケベ根性丸出しもいいとこじゃん。どんだけ女が好きなんだこいつ。

「うるさいぞ。小姑かお前は。女を侍らすのは男の器量だ。多ければ多いほどいい。聖女も分かってくれるだろう」

 ざけんな! 分かるかそんなモン!
 消えて失せろこのヤリチン野郎! キメェんだよ!

「……時に聖女よ。いつまでも黙っていないで、私の言葉に応えたらどうなのだ?」
 あっ、ヤベ。家令さんとの会話に聞き耳立てるのに夢中になって、うっかり放置プレイかましてたわ。
 ――チッ。しゃーねえ。自分から波風立てるのもバカらしいし、適当に謝っとくか。
 んで、畳みかけるようにお断りしよう。
「ああ、申し訳ありま――」
 せん、と言いかけた所に、突然バカ領主――いや色ボケ領主だな、うん――がこっちに寄って来て、いきなりアゴクイかましてきやがりました。
 大変不快だったので、何も言わずに速攻野郎の手を払い落としましたが、なにか?

 ――おうコラ、何だテメーその不愉快そうな目は。
 不愉快極まりねえのはこっちだっつーんだよ。まさか、ツラがよけりゃ何やっても許されるとか思ってんじゃねえだろうな。
 何ならこの場で殴り倒して、テメーのネジをなくしたオツムとクソ痛ぇ思い違い、一緒くたに矯正してやろうか? おん?

 つい内心で、対チンピラ用語を使った文句を並べていると、やおら色ボケ領主がフッ、とキザったらしい笑みを浮かべる。
「ああ、そう恥じらうな。純真な事だ」
 うわ! 今度は笑顔で的外れな寝言言い出したぞコイツ! 気持ちワルッ!
 つーか、今の私の態度と表情見てただろ!?
 それでどこをどう解釈したら、『恥じらってる』なんて結論に至るんですかね!? プラス思考もここまでくると始末に負えねえんですけど!

「……。あのですね――」
 頭掻き毟りたくなるのを必死に堪え、どうにか口を開いた次の瞬間。
「――そうだ、あなたが恥じ入って素直になれないと言うのなら、その恥じらいを捨てる理由をやろう。私の伴侶にならねば、我が家の家紋が刻まれたブローチは渡さない、と言えばどうだ?
 これならあなたも素直に「はい」と言いやすいだろうし、周囲や神殿側にも言い訳が立つ。ふふ、どうだ?」
 色ボケ領主が、ドヤ顔で更なるアホ丸出し発言をブチかましつつ、指で私の髪に勝手に触れた。

 一層場の空気が凍りつく。
 ……こ、この野郎……! 神殿側の人間に対して一番言っちゃイカン、最大級のご法度発言しやがった……っ!
 つーか、人の髪勝手に触んじゃねえよボケ! マジキショイんですけど!
 あと、自分で言うのも何だけど、私の髪って禁色なんですよね!
 女王様でも勝手に触ったりできないのに、何してくれてんだおんどりゃあ!

「ああそうだ、よければそちらの、金の髪の娘も私の伴侶になるか? 私の好みからはやや外れているが、あなたもなかなか美しいしな。私の傍らに侍るに、十分及第点だ。
 どこの誰かは分からんが、見た目からして聖女に仕える貴族の娘だろう? 見知った者が共にいた方が、聖女も安心して嫁げるだろうからな」
 色ボケ領主がご機嫌で話を続けた結果、メイドさんと家令さんは表情を失い、エドガー達はキレる寸前。いつも温厚なシアまでもが、冷たい目でバカ領主を睨んでいるという、如何ともし難い状況が爆誕!
 つーか私が一番キレそうなんですが!

 誰が! 私に仕えてる! よそん家の娘だと!?
 シアは私の可愛い妹だ! この○○○○(放送禁止用語)がッ!!
 あーくそ! ダメだ落ち着け! 私がキレたらアカン!
 こんな時こそ、前世の職場で培った忍耐力とアンガーマネジメントの出番だ!
 はい深呼吸! ……吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー……。
 …………。よし、アンガーマネジメント成功!
 ブチ切れの危機はどうにか去ったぞ!

 とにかくもう、こいつは相手にしちゃイカン輩だ。
 ここは冷静に……えー、家令さん辺りに話を振ってみよう。
「あの、そちらにいらっしゃる方は、家令の方でお間違いございませんか?」
「……はい。間違いございません。私がエミスフェル辺境伯家の家令、マクシミリアンでございます……」
 私の問いかけに、恭しいお辞儀をしながら答えるマクシミリアンさん。
 お顔の色がよくないですが、大丈夫ですか。
 お願いだから、この色ボケ領主放置したまま倒れないで下さいね。

「そうですか。ではお伺いしますが、こちらのご当主様は、創世聖教会に属している者や、聖女に対する禁止事項を、ご存じないのでしょうか」
「我が辺境伯領は、聖地にほど近い土地でもございます。その関係上、教会関係者と聖女様方に対する接し方などは、ご両親や家庭教師から、しかと教えられている、はずなのですが……」
「おい、どういう事だ聖女よ。そしてマクシミリアン、お前は何が言いたいのだ! ハッキリ申してみよ!」
 呆れた目で色ボケ領主を見遣りつつ、苦い口調で淡々と話すマクシミリアンさんに、色ボケ領主が噛み付く。
 ああ、女の事しか頭にねえ色ボケ野郎でも、一応言外に非難されてるのは分かるのね。

「……。さようでございますか。ならば申し上げます。先程の旦那様のご発言は、創世聖教会に対する、一方的な約定の破棄行為に該当致します。聖女様の裁きを仰がねばならない案件と申し上げても、過言ではないかと」
「なっ……! なんだと!? どういう事だ!」
「どうもこうもございません。先程旦那様は、聖女様に対し「自分の伴侶とならねば、辺境伯家の紋章が入ったブローチを貸与しない」と申されました。それこそが、創世聖教会に対する一方的な約定の破棄行為……ああ、場合によっては、聖女様への強要・脅迫行為にも繋がりましょうか。
 それに、先程あなた様はご本人のお許しなく、聖女様の御髪おぐしに触れられましたな。聖女様の御髪は国家の禁色たる漆黒。国主ですら、断りなく手を触れる事は許されぬと言うのに、なんと愚かしい事をなさったのか……」

 マクシミリアンさんは、努めて冷静に話を続けていらっしゃるが、その声には隠し切れない怒りが滲んでいる。
「聖地巡礼の旅路につかれた聖女様へ、当家の紋章が刻まれたブローチを無条件で貸与する事は、400年前の当家の興りの頃、創世聖教会側と当時のエミスフェル辺境伯……教皇猊下が領主と直接、正式に取り交わした重要な契約であり、誓約でもある。すなわち、まかり間違っても歪めてはならない、重大な約定だという事なのです。
 それをあなた様は、私欲と欲望に駆られ、いともたやすく踏みにじられた。それも、五大公爵家の血筋を持つ方々と、元は王子殿下であらせられたお方の御前おんまえで。
 ……この度の不始末、どのように責任を取るおつもりなのでしょう。栄えある辺境伯家を継承した、当家の主としてここへ顔をお出しになられている以上、「知らなかった」では済まされませんが」
「そ、それは……。い、今の話は、あくまでも単なる口だけの話であろうが! 撤回すればそれで済む事だろう!」
 鋭い目を向けてくるマクシミリアンさんに、色ボケ領主がちょっとたじろぎながら、言い訳にもなってない逆ギレをかます。

「そうですな。言葉だけではありますな。単なる平民の身分であれば、その理屈もどうにか通せなくはなかったでしょう。
 ですが、あなた様は貴族なのです。それも、代々国王陛下より領地の一部をお預かりしているという、重責を担う立場でいらっしゃる。
 昔から申し上げていたはずです。旦那様の後を継がれるのであれば、いつ何時であろうと一挙手一投足にまで気を配りなさいと。特に、発する言葉には細心の注意が必要だとも言いましたな。
 あなた様の意思や是非に関わらず、あなた様が発した言葉には、すべからく責任が発生します。それこそ、ただの一単語に至るまで。
 つまり、あなた様は発した言葉の全てにおいて、常に責を負わねばならぬ身であるという事なのです。当時の教え、忘れたとは言わせませんぞ」
 すっかり責める口調を隠さなくなったマクシミリアンさんと、そのマクシミリアンさんに何も言い返せず、ただ真っ赤な顔で口をパクパクさせてるだけの、リアル金魚に成り下がった色ボケ領主の対比が、何とも言い難いアホらしさを醸し出していた。
 そのやり取りたるや、もはや領主家の現当主と家令ではなく、出来の悪いボンクラ息子と苦労の絶えない家庭教師、とでも表現した方が、しっくりくる。

 ……まあ、これ以上ここで時間を喰いたくないし、色ボケ領主は、マクシミリアンさんがキッチリざまぁしてくれたから、もういいや。
 そろそろ口を挟んでおいとまする事にしよう。
 なんだか今、街角で売ってるのを見かけた、ジャンクなフードがとっても恋しい気分だし。
 早くここから出て、みんなで一緒に買い食いしよう。多分、流石のメルローズ様達も立ち食いや歩き食いには抵抗あるだろうから、その辺に適当に腰かけて、街並みを眺めつつ食べる事になりそうだけど、それもまたよき。

「――マクシミリアンさん、落ち着いて下さい。私共としても、長きに亘り創世聖教会と縁故を結んできた辺境伯家の方々と、あまり事を荒立てるような事はしたくありません。
 予定通り、辺境伯家の紋章が刻まれたブローチをお貸し頂けるのであれば、私共も領主様のご発言に対する、これ以上の追及は致しませんので、どうか私の思いを酌んでは頂けませんでしょうか?」

 若干遠回しで、綺麗な言葉を選んで使ってるけど、要するに、「こっちとしても、こんなしょうもねえ事で辺境伯家とモメるのは旨くねーし、こいつの寝言はノーカンにしてやるから、とりまブローチ貸してくんね?」…的な事を言っている訳ですね。はい。

「……よろしいのでしょうか。今のこの方の言動は、無知であった事を差し引いても、聖女様に対して大変な無礼、侮辱であったかと……」
「構いません。聖典に曰く、無知たる事は罪に非ず、と申します。無知を恥じ、次へ繋げる学びの糧として頂ければ本望です」
「あ、ありがとうございます……! ああ、噂に聞いた通り、なんと慈悲深きお方である事か……。すぐにお持ち致しますので、少々お待ちを。――誰か、聖女様にお貸しするブローチをここに!」
「おっ、おい! 当主は私だぞ! 家令の分際で何を勝手な」
「お黙りなさい! 聖女様がお慈悲を下さらねば、この場で即刻罷免されていてもおかしくなかったのですぞ!
 此度の件は、前当主様へもご報告申し上げます。場合によっては、弟君へお立場を譲る事にもなりかねないと、肝に銘じておかれますよう」
「ぐっ……! ふ、ふん、勝手にするがいい! 実害なく済んだ事をいつまでもしつこく捏ね回しおって! 父上もさぞ呆れられる事だろうさ!」
 こうして色ボケ領主は、頭の悪い捨て台詞、っつーか、露骨な負け惜しみを吐いて、応接室から逃げるように出て行った。

 ふう。やれやれだぜ。
 本来なら、「一昨日来やがれ」とでも言う所だが、個人的には、一昨日だろうが明後日だろうが、金輪際来て頂かなくて結構ですって感じだ。
 未来永劫、ツラ見せないで下さい。
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