【第1部完結】暫定聖女とダメ王子

ねこたま本店

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第3章

閑話・女神と使徒の邂逅

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「あ~~、くそ、疲れた……」
 神殿側が用意した部屋に戻ったエドガーは、ドアを閉めて上着を脱いですぐ、小さなベッドに倒れ込んだ。
 キルクルスの領主館で想定以上に時間を喰った事と、突然降り出した大雨のせいで、街での買い出しの続きもそこそこに、神殿へ戻って来たのである。
 長年神殿に仕えている、空読みの得意な老神官が言うには、今の季節柄、長雨が降り続く事はまずない、遅くとも明日の早朝には止むだろう、との話なので、そう心配はしていないが、出発先の森などの足場が悪くなっていそうで、少しばかり気がかりだ。
「……。もうじき聖地に着く、か……。つーか、本当に封印解く気あんだろうな。あのひょっとこ女神……」
 やや硬めのマットレスに右頬を押し付けるようにしながら、エドガーは小声でうそぶいた。


 それは、エドガーが16歳の誕生日を迎えた日の夜の事。
 代わり映えのない例年通りの誕生日、しかし、思いがけずアルエットから、琥珀のネクタイピンという気の利いた物を贈られて、エドガーは非常に上機嫌だった。
 15の誕生日の時に、肉の詰め合わせセットなんぞという、何とも言い難いプレゼントを贈って来た時の事を思えば、途轍もない進歩である。
 琥珀の周囲を、ごく僅かな透かし彫りを施した純銀で縁取っているという、優美なデザインも秀逸だった。これなら比較的どんなネクタイにも合うし、社交界にも着けて出る事ができるだろう。
 だが――恐らくアルエットは、その辺りの事も考慮して選んだのだろうな、と思うと、嬉しさよりも寂しさが勝る。
 自分が次に社交界に出る時は、間違いなく立太子の儀を兼ねたパーティーになると、エドガーは理解していた。
 それは、平民であるアルエットと、身分によって完全に隔てられてしまう別れの日でもあると。

 せめてその前に、外に遊びに出る時にこのネクタイピンを身に付けて、多少なりとも楽しい思い出と紐づけておこうと決め、ベッドに潜り込み、目を閉じて眠りにつく。
 そんなエドガーを夢の中で待ち受けていたのは、思いもかけぬ存在との邂逅だった。

◆◆◆

 エドガーが夢で見たのは、白い壁と白い床、白い天井という、何もかもが真っ白な部屋と、その部屋の隅で、エドガーに背を向ける形でしゃがみ込んでいる1人の女性。
 長い黒髪を首の後ろで1つに縛り、カメオ風のバレッタで留めている、グレーのビジネススーツを着た女性だった。

「……う~~ん……。これじゃないし……これでもない。あーもー、どこ行っちゃったかなぁ。制限時間付きなんだから、急がなきゃなのにぃ……」
 女性は背後のエドガーに気付いていないようで、何やら手元を漁りながら、ブツブツ独り言を零している。
「……なあ、おい。ちょっといいか」
「ひゃいっ!?」
 このまま黙って待っていても埒が明かない、と判断したエドガーが、やむなく背後から女性に声をかけると、女性はいっそ面白いほど裏返った声を上げ、思い切り身体をビクつかせた。
「はわ、わわわっ! ええっ!? うっそ! まだ仮面どころか着替えてもないのにあんにゃろうっ! えーと、えーと、あー、もうっ! これでいいわっ!」
 女性はしばしの間、わたわたと焦った様子で一層雑な手付きで何かを漁っていたが、やがて諦めたように何かを取り出し、立ち上がってエドガーの方を振り向く。
 なぜか女性はその顔に、プラスチックでできているとおぼしき、チープなひょっとこの面を着けていた。
 その姿を目の当たりにして、エドガーは絶句する。せざるを得なかった。

「………………」
 とにかく意味が分からない。
 あまりに意味不明過ぎて、どうリアクションすればいいのか、どんな言葉を口に出すのが正解なのか、そんな事さえ分からなくなってくる。
「えー、ええとね? いきなりで申し訳ないんだけども、諸事情あって、今回あなたに力を与えにやって来ました」
 自分でも、引きつっているのかしかめているのか分からない顔で、女性を黙って見つめていると、女性が何とも居心地悪そうな声色で話しかけてきた。
 しかも――よくよく聞いてみれば、大変聞き覚えのある声だ。

「………………」
「ねえ、あの、なんで無言なの? 聞こえてる? 聞こえてたら返事して? OK? 言ってる意味、分かる? 言葉通じてますかー?」
「…………言葉は通じてるよ。話の内容とかは、さっぱり分かんねえけど。あと、お前その声、アルエットだろ」
「ブブー! 残念でした、違いまーーす。単純に声が似てるだけでーす。てな訳で、本題に入るね。
 ――コホン。えー、君はこの度、なんやかんやあって聖女の使徒に選ばれました! そういう訳で、早速覚醒の為の手順に入るから、よろしくどうぞ☆」
「ちょっと待て!」
 一転して明るい声色でとんでもない事を言い出す、自称・アルエットと声が似てるだけのひょっとこ仮面に、エドガーが待ったをかける。

「えっ!? なんで?」
「なんで、じゃねえよ! つーかそれはこっちの台詞だ! ってか、言いたい事や突っ込みたい事が多過ぎてキャパオーバーだっつの! くそっ、一体何の話をどこから訊きゃいいのか分かんねえ! どうしてくれんだこのひょっとこ女!」
「あ、ああ。状況説明と事情説明をしろって事ね。……って言っても……君もそうだけど、君の幼馴染みの聖女も、この世界に来ちゃった事自体、とんでもないイレギュラーなのよねえ……。何をどう話していいのか、お姉さんにも今はちょっと判断が付かないって言うか……。
 ああもう! 元を正せばあのアンポンタンが、聖地でつまんないおイタなんかしてくれたから! ホントもう、どうやって知ったのかしらアクセスの仕方なんて! そのせいでシステムが一部破損して、こんなとんでもない事に……!
 元のシステムのバグが酷過ぎて修正効かなくて、一部新しくプログラム組み直す羽目になったし、その修正やら何やらで、こっちも散々人手取られちゃって大わらわで大変で――」
 女性は1人頭を抱え、様々な事を一方的にごちゃごちゃと喋り出す。
「ってか、一か所修正したと思ったら、今度は別の場所がバグるの繰り返しでエンドレス修正地獄だし、そのせいで召喚が起きた事に気付くのが遅れて、後から君達の存在が発覚して大騒ぎになったのよぅ……っ!」
「は……?」

 アクセス。システム。バグ。プログラム。
 聞き覚えのある単語の羅列を耳にした途端、いつからかエドガーの中で、半端に開いていた記憶の扉が一気にこじ開けられた。
「……っく……! ぁ……。そう、だ……。俺は、東……。急にあの時、雲雀が落ちて、それで……っ、ううっ……!」
 一気に流れ込んできた記憶の濁流に酷い頭痛を覚え、エドガーが大きくたたらを踏んだ。今の今まで一方的に喋り倒していた女性も、エドガーの様子を見て我に返り、ふう、と息を吐く。

「……ああ……。やあっと思い出したのね。時間かかったなぁ。でも仕方ないか、あの子達の召喚も大概イレギュラーだったけど、あなたの場合は、更にその巻き込まれだもんねぇ……。そりゃ記憶の蘇り方も半端になるよね」
「う……。し、システムとか、バグだとか……。まさかここ、ゲームの中の世界とか、言わねえだろうな……っ」
「ああ、それは大丈夫。特別に構築したシステムで管理してる人工物ではあるけど、ここは実際に存在している世界よ。プログラミングで作り出した疑似的な物じゃないから、安心して。
 ただねえ……やっぱり今はまだ、あれこれ詳しい事情は話せない……ってか、悠長に説明するだけの時間がないの。ごめんね。管理責任者である私でも、聖地以外で一度にこの世界へ干渉できる時間は、ごく限られてるのよ」
「管理、責任……。干渉……。あんたまさか、この世界で教会が言ってる、女神って奴なのかよ……。嘘だろ……こんな、ひょっとこ女が……」
 ようやく頭痛が収まってきたエドガーが、信じられないようなものを見る目で女性を見る。

「ちょっと! もうっ、さっきから失礼ねえ! ひょっとこのお面着けてるのは、たまたまだから! これしか見付からなかったから、仕方なく着けただけ! 私は聖女以外には顔出しNGな女なんです!
 あと、ぶっちゃけ女神って言われるの、こそばゆいからちょっと勘弁して欲し……あっ、ヤバ! もう時間ないわ!」
 エドガーの言葉に憤るような素振りを見せていたのが一転、女性が突然慌て始めた。
「と、とにかく、これからあなたを使徒として覚醒させます! ただ、この覚醒の為の手順の9割方は、本来お母さんのお腹の中にいるうちに、何カ月も時間をかけて施すはずのもので、10代半ばの子に一気に施すものじゃないのよね。
 だから、しばらくの間体調崩して苦しい思いをする事になると思うけど、死にゃしないから我慢してねっ♪」
「はあ!?」
「あーそれと、この事に関する話はくれぐれもオフレコで――いや、ちょっと手ぇ加えて、喋れないようにしちゃえばいいのか。よし、その方が面倒なくていいわ」
「おいちょっと待て! 何する気だ!」
「大丈夫大丈夫。魔法を使って脳のごく一部に、ちょいとばかり期間限定の封印かけるだけだから。時期が来たら……あっ、そうだ! 聖地! 聖地に着いてアレコレしたら解けるようにしとく! うんそうしよう!」
「脳の一部に封印!? テメこのっ、ざけんな! やめろ! つーかアレコレって何だ! 具体的に言え!」
「いやいや、ホントに身体に悪影響出たりはしないから大丈夫。マジで安心・安全な施術です☆ ねっ、私を信じて。トラスト、ミー!」

「信じられっかバカ野郎おおおおおッ!」
 最後の最後まで、ふざけた口調を改めようとしなかったひょっとこ女神に、エドガーは渾身の力を振り絞って叫んだが、すぐにその意識は、強制的に深い眠りへと落とされ、思い出した記憶も再びあやふやになっていった。
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