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第4章
5話 食えない王子の腹の内
しおりを挟むもらい物のブラウニーっぽいお菓子と飾り砂糖にアルコールが含まれているとの報告を受けた際、最初に苦情を言いに行く、と言い出したのはエドガーだった。
それも、だいぶご立腹な様子で。
だが正直な話、私はもらい物の中に毒が入ってた訳でもなし、別に物申しに行く必要なんてないだろう、と思っていたので、エドガーの言動はちょっと過剰であるように感じていた。
なぜなら酒は立派な嗜好品。前世も含めたこの人の世の中、アルコールを含んだ食べ物が世界にどれだけ存在するかは、皆様もよくお分かりだろう。
特に、菓子類のアルコール含有率は推して知るべしだ。
それに私自身、酒の入ったお菓子は大好きです。
サバランとかチョコレートボンボンとか。
前世でも、季節限定で販売されるコニャックやらラムやらが入ったチョコが大のお気に入りで、ちょくちょく買って食べてた覚えがある。
だから言ったんですよ。
もらい物の中に酒が入ってただけで大袈裟だ、と。
しかし、元王子であるエドガー曰く、社交界の中では結構な問題であるらしい。
妙齢の女性への贈り物に酒を含んだ品を選ぶ、もしくは自ら意図的に酒を含ませるというのは、露骨な下心がある事を暗に匂わせる行いだと言うんですよ。
場合によってはセクハラになると。
ちなみに、私が怪訝な顔(に、なってたと思う)で、人権思想もないこの世界にセクハラなんて概念あるの? と訊いたら、エドガーも渋い顔で、身分の高い女性限定だけど、似たような思想があるにはあるんだよ、と言ってました。
しかも、他国とはいえ王族――栄えある身分たる第2王子が、特に親しい訳でもない平民の女性に対してそういう物を贈ったとなると、より一層問題なんだという。
これは主に、王侯貴族間における暗黙の了解として知られる話で、身分的に見て同格、もしくは格上である相手に、酒ないし酒入りの食べ物を贈ると『あなたとにゃんにゃんしたいです(昭和的表現)』というアピールになるそうだ。
ああはいはい。成程。
これを相手を選ばずやらかすと、セクハラになってしまうという訳ですね。
うん。分かる。確かにそりゃ、まごう事なきセクハラだわ。
でもって、この色んな意味でスレスレな行為、自分より身分の低い相手にやるのは更に問題で、『愛人になれ』と命じている事になるらしい。
エドガーからして見れば、身命を捧げて仕えている聖女(表面的にだけど)が、初対面の王子からそういうクソふざけた命令をされたって事になる訳で、「舐め腐ってんのかテメーこの野郎」と、胸倉掴んでどやし付けてもいい案件なんだそうだ。
言いたい事はよく分かった。
でもなぁ。確かに、どうにも食えなさそうな奴だと思ってたけど、あの王子がそんな無分別でアホな真似するかね?
いや違う。あの王子はアホじゃない。
多分、あれはキツネだ。
◆◆◆
昼を回ってしばらく経った辺り――丁度、昼食の直後に当たるとおぼしき時間帯。
私はあの第2王子が滞在している、エクシア王国の大使館にやって来ていた。
エドガーが提示した、腹が膨れてる頃を見計らって訪問すれば茶を勧められても断りやすい、よしんば強引に茶の席へ招かれても腹具合を理由に飲み食いの頻度を下げられるし、暇乞いもしやすい、という、元王子ならではの入れ知恵に従っての事だ。
それでも私はここに来たくなかったので、大聖堂を出る直前まで「面倒事は御免だ、腹ン中にキツネを飼ってるような奴とこれ以上関わり合いになりたくない」と訴えてゴネていた。
しかし、「社交界で上手く泳いで生き永らえる奴はみんなキツネだ、放置すると高確率でつけ上がって余計面倒な事になるぞ」と強硬に主張してくるエドガーに押し切られ、渋々足を運んだ次第です。
なお、贈り物に酒が入っていた件に関して苦情を言う役は、短い打ち合わせの中、エドガーがやる事になった。
言い出しっぺだというのもあるが、平民の私が社交界の中にある、暗黙の了解に詳しいというのもおかしな話だからだ。
第一、私が直接物言いをつけると話が大きくなり過ぎるし、何より自意識過剰みたいでこっ恥ずかしい。
てな訳で、基本的に私はエドガーの苦情を傍で黙って聞いていて、場合によっては補足や合いの手を入れる役どころに収まりました。
実に面倒なお仕事です。
あーあ。気が重い。
別に癇に障るとかそういう訳じゃないんだけど、なーんかこう、話してて『合わない』なぁと感じるんですよ。あの王子様。
こんな私も、前世において会社勤めをする事ウン十年のベテランだ。
営業も接待もやった事ないけれど、それなりに人付き合いはございました。人生経験だって積んでいる。
だからこそ分かる事もあるんだよ。
あの王子様が、終始作り笑いをしていらっしゃった事とかね。
その事に関しては、エドガーも間違いなく気付いてるはずだ。
なぜならあいつの前世は営業マン。
他人の感情の機微や言動の裏を読むスキルは、私以上に高い。
そのあいつがここまで強硬な態度を取り、神経を尖らせているという事は、本当に本気で早い段階での対策が必要だと確信してるって事なんだろう。
下手すりゃキツネ王子の掌の上で、滑稽なタップダンスでも踊る羽目になりかねないと、そう確信しているのだと思われる。
ええ、分かってますよ。
ここは踏ん張りどころなんだと。
分かってても嫌なモンは嫌なだけで。
だって、バカの相手も疲れるが、何考えてるか分からんキツネの相手もすんげぇ疲れるから。
今からでも帰っちゃダメですか。
そうですか。ダメですか。
アハハ、デスヨネー。
「失礼します。ティグリス王子殿下をお連れしました」
通された大使館の応接室で、何度目かのため息を吐き出した直後、ノックの音と用件を述べる声が聞こえて来た。
この期に及んでまだ気乗りせず、顔を合わせたくない気持ちの方が圧勝しているのだけど、形式的に見ればこっちが呼び付けた格好になる為、ここで「帰って下さい」とかふざけた事を言う訳にもいかず、やむなく「どうぞ」と短い言葉で許可を出す。
「ああ、聖女様! ようこそお出で下さいました! まさか、昨日の今日でもうお目通りが叶うとは……望外の喜びです」
大使館の案内役さんを、半ば押し退けるような勢いでティグリス王子が前に出て来て、にこやかに言う。
はいどうも。
今日もパーフェクトな作り笑いが素敵ですね。王子様。
「こんにちは、ティグリス殿下。本日は突然の来訪をお許し下さった上、面会の機会まで設けて頂きました事、心から感謝致します」
口ではきちんと挨拶してみるも、私はティグリス王子と違って作り笑いもできない、社交界ではどうあがいても生きていけない人種なので、いつも通りの普通の顔で最敬礼を取った。
それに続いて、エドガーも平民男性の最敬礼を取る。
具体的に言うと、右手を腰の後ろへ回し、左手を胸に添えて深々と頭を下げる、という恰好だ。
頭を下げるのは、最大の急所を無防備に相手へ差し出す行為。右手を腰の後ろへ回すのは、武器を持つ手を後ろへ下げる行動の真似事。
これらは敵意や悪意がない事を示している。
左手を胸……心臓に添えるのは、自分と相対している間に万一の事があった際には、心臓を一突きにして下さって構いません、という宣誓になるのだそうな。
平民女性の最敬礼も重いけど、こっちも大概重てぇな。
ちなみにこの挨拶、利き手が左の場合は手の位置が逆になるんだって。
「どうかお気になさらず。私は、あなたともう一度お会いしたいと、心から願っておりました。その願いがこうして叶ったのです、いつ何時お出で下さったとしても、喜んでお招き致します」
「ありがとうございます殿下。そう言って頂けると、私共も心が軽くなります」
「あなた様のお心の負担を、少しでも軽くできたなら光栄です、聖女様。それで、今日はどのようなご用向きでお出で下さったのでしょうか」
「はい、私の使徒であるエドガーが、ティグリス殿下にどうしても申し上げておきたい事があると……」
「使徒様が、私にですか?」
「そのようです。――エドガー」
「はい。失礼します」
私の言葉を合図にエドガーが、ずい、と前に出て口を開く。
しかしその表情に険はなく、口調も声色も至って穏やかなものだった。
おお、流石だ。なかなかやるな。エドガー。
ポーカーフェイスさえできない私とは大違いだね。
「単刀直入にお尋ねします。ティグリス殿下、昨日聖女様へ贈って頂いた菓子と砂糖は、どこでどのようにして入手された物なのでしょうか?」
「? あれですか? あれはエクシア王国で最も有名な菓子店で購入したものですが……。何か問題でもございましたか?」
「はい。実はあの後、私が老婆心から頂いた菓子と砂糖を調べた所、その全てに、高濃度のアルコールが含まれている事が分かりまして」
困り顔を作ってそう切り出すエドガーの発言に、しかしティグリス王子は眉ひとつ動かさない。
ただ、作った笑みを消しただけだ。
「聖女様は元より市井の出であらせられますので、特段気にはしないと仰せだったのですが、しばらく前まで王籍を戴き、王子を名乗っていた私にとっては、どうにも楽観できるものでなく……。
礼を失してお叱りを頂戴する事も覚悟の上で、贈り物の出所とあなた様の真意を確認するべきだと愚考し、こうして聖女様と殿下にお時間を作って頂いた次第です」
「……そうでしたか……。ですが、私も菓子折りを買いに出した使いの者も、贈り物の中に酒精が含まれている事は知りませんでした。
無論、そのような物を用意するよう命じた事もございません。にも関わらず、なぜそのような事になったのか……」
顎に手をやって唸るティグリス王子の眉間に、分かりやすい皺が寄った。
こういう顔は自然なんだよなぁ、この王子様。
「ともあれ、聖女様には大変な無礼を働いてしまいました。他意のあるなしに関わらず、口に入れる物を贈ったのですから、知らぬ存ぜぬで通す事などできませんし、そのような真似をするほど私も暗愚ではございません。
国は違えど同じ王侯貴族の一員として、酒精を含んだ食物を妙齢の女性に贈る事が何を意味するかは、私も存じております。大変申し訳ございませんでした」
ティグリス王子は見苦しい言動など一切せず、私に対して素直に謝罪し、深々と頭を下げた。
よかった、割と素直なトコもあんじゃん。
これなら普通に話を丸く収められるな、と思った矢先。
「幸いにも、と言っては何ですが、折角こうしてもう一度お会いできたのですし、是非とも汚名返上の機会をお与え頂けませんか」
「はい?」
「天より降誕せし麗しき聖女よ。もう一度、あなた様に贈り物をさせて下さい。
我が総力を挙げて、あなたのご希望に沿う物をご用意致しましょう。何なりとお申し付け下さい」
またもやキッチリ作った笑顔で、とんでもねえ事を言い出すティグリス王子。
喉からせり上がってきた、「なんも要らねえんで帰っていいっすか?」という身も蓋もない言葉を、寸での所で口から出さず飲み込んだ自分を褒めてやりたい。
手前味噌だけど、心底そう思った。
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