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第4章
閑話・食えない王子と南の国の内情
しおりを挟むカサドール公爵家と創世聖教会から、それぞれ送られてきた抗議の手紙を目にしたエクシア王国の第2王子、ティグリス・エクシオンは、深い嘆息を零したのち、酷く皺の寄った眉間を人差し指と親指で揉み解した。
頭が痛い。
昔から不出来な弟ではあったが、まさか留学先の学園で、編入初日に問題を起こすとは想定外だった。しかも、カサドール公爵家相手のみならず、聖女にまで酷い楯突き方をしたらしい。尚更想定外だ。
「……ティグリス殿下。いかが致しましょうか」
しまいには、幾分血色の悪くなった顔で手紙を持って来た宰相に、上記のような有り得ない質問をされ、ますます頭が痛くなる。
通常、問題を起こした王族や臣下に対して沙汰を下すのは王の仕事。もしくは、有事の際に王の名代を務める権限を持つ、王太子の役割であろう。
にも関わらず、それをなぜ第2王子である自分に問うのか。
ティグリスが再び嘆息を零すのも、無理からぬ事だと言えた。
「それを私に訊くか。そもそも父上はどうお考えなのだ?」
「申し訳ございません……。陛下はこの2通の手紙に目を通して以降、体調を崩し、自室で臥せっておられます……」
「……。では兄上は。トリキアス王太子殿下はなんと仰せだ」
「……トリキアス殿下は……その、「幾ら血を分けた弟とはいえ、とうに成人している大の男の失態を庇い立てするつもりも謝罪をするつもりもない、むしろ、あの阿呆の為に頭を下げるのは業腹だ、いっそ首を斬って差し出してしまえ」、と……」
「…………」
「あの、ティグリス殿下。トリキアス殿下のご発言ですが、そのような事は……」
「案ずるな、分かっている。王家において末端にも等しい立ち位置にあるとはいえ、リーディクルスは我が国の王子。そのような真似、軽々にできるものではない。
王太子という立場にありながら、短絡的な王族の処刑は王の血を軽んじるに等しい行為だと、なぜお分かりにならないのだ、兄上は……!」
頭を掻き毟りたくなる衝動を堪えながら、唸るようにうそぶくティグリス。
国主として国を取り仕切る父王は、決して王として無能な訳ではないのだが、身内に甘い顔をしがちだった。
特に、政略的に押し付けられたのではない第3王妃と第4王妃、その二方との間に儲けた姫と王子には大変甘く、そのさまたるや周囲の者に、砂糖菓子の上に蜜をかけたかのよう、と揶揄されるほどだ。
己が行いのせいで、第3、第4王妃とその子供達が周囲から疎まれ、隅に追いやられているとは、露ほども思わぬまま。
そんな父のさまを長年見ていたせいか、跡継ぎとして立太子を受けた第1王子は、父王とは真逆の性格に育った。
身内や臣下に対する情が極めて薄い上、良くも悪くも常に即断即決を信条としている為、罪や失態を犯した者をろくな調べもないまま切り捨ててしまいがちだ。
当然、その行いは冤罪の温床にもなる。今日この日まで、罪のない者が一体何人物理的に首を切られかけたか分からない。
そして、哀しい事にその2人の下の立場にあるティグリスは、毎度毎度なにか事が起こるたび、王と王太子の尻拭いに奔走する羽目になる。
これがまた、大変なストレスだった。
一体何度、いつ何時も王として振る舞い切れない父王と傲慢な兄王子を捨て、国を出てやろうと思案した事か。
(正直、もはや父上と兄上の事はどうでもよくなってきたが……かと言って国と民を捨て、自分1人逃げる訳にはいかないからな)
ティグリスは肩を落とし、みたび嘆息を零した。
「やむを得ない、か。――ひとまず、カサドール公爵家には先んじて手紙を出したのち、形式に則った謝罪を。場合によっては、こちらからノイヤール王国へ出向く事も視野に入れるが、そこは様子見だな」
「かしこまりました。聖女様に対する謝罪はどう致しましょうか?」
「そうだな……。彼女に関しては、身分が平民であるという事しか情報がない。
最も効果的な形で謝罪をし、少しでも心証を良くする為にも、ある程度の人物像や趣味嗜好などは押さえておきたい所だ。聖女に関する資料などはあるか?」
「はい。殿下ならばそう仰られるかと思いまして、こちらにまとめてございます」
宰相が脇に抱え持っていた書類をティグリスに差し出す。
しかし、手渡された資料に付けてある、リーディクルスが無礼を働いたという聖女の写真を目にした途端、ティグリスはピタリと動きを止めた。そのまま、食い入るように写真を見つめ続ける。
「あ、あの、ティグリス殿下? いかがされましたか?」
「……美しい」
「はっ?」
「白雪のような肌、ヴァローナの濡れ羽を思わせる艶やかな髪、涼やかに澄んだ瞳は、極上のネロペルラの如く……」
「で、殿下……。もしや……」
「そしてなにより、この知性に溢れた面立ち……。下手な貴族令嬢より、よほど話が弾みそうではないか。是非、直接お会いして話をしてみたい……!」
写真を見つめながら、ブツブツと呟くティグリスの姿を目の当たりにした宰相は、嫌な予感に顔を引きつらせた。
ちなみに、ヴァローナとはカラスに酷似した鳥の名であり、ネロペルラはこちらの世界での黒真珠の呼び名だ。
聖女の禁色を持つヴァローナとネロペルラは、双方共に狩猟と採取、所持を固く禁じられており、仮に採取した貝から偶然ネロペルラが出た場合は、女神へ祈りを捧げたのち、ネロペルラを海へ投げ入れ、自然に返さねばならない、という取り決めがある。
「宰相、ディエタ妃へ先触れを出せ。ノイヤール王国へは、私が直接謝罪に行くとお伝えする」
「なっ……! 殿下! なりません!」
「それと、父上にも釘を刺しておけ。今回の事は、流石の父上でもご立腹だろうし渋りはしないと思うが、万一の時は「ディエタ妃お1人の為に、諸侯からの評価をこれ以上下げる訳には参りません、夫や父としてではなく国主としてお早いご決断を」と強めに申し上げろ。
もしかしたらディエタ妃の父君の方が、行動が早いやも知れないが」
「は、はい。かしこまりました。ですが、ティグリス殿下が直接ノイヤール王国へ足を運ばれるというのは」
「ああ、それから年嵩の侍女を……そうだな、ジョヴァンナを呼べ。
王室御用達の菓子店へ行き、女性が好みそうな菓子の詰め合わせを購入して来るよう申し付けろ。量は少なめにな」
「殿下っ!」
「そう騒ぐな。――私は毎度なにか事が起こるたび、父上と兄上の尻拭いに駆り出され、苦心してきた。
宰相、お前がどうにかしてくれと泣き付いてくるたびに、だ。違うか」
「うっ……!」
じろり、とティグリスに睨まれ、宰相が呻く。
宰相は元々、侯爵家の3男だった。
代々優れた文官を輩出している名家で、無論宰相も、普段はその名に恥じぬ働きをする。
机仕事を大層よくこなし、目下の者の扱いや取り成しも上手い。
だが、いざ蓋を開けて内面を見た途端、気弱で目上に逆らえないという欠点が顔を出す。
詰まる所、この男もまたティグリスの父や兄と同じく、周りの支えを得る事で初めて、宰相という重責ある職務を果たしているのだと言えた。
だからこそティグリスは、容赦なくそこをつつくのだ。
初めて我を通す為。
そして、普段の意趣返しの為に。
「父上の甘い判断と、兄上の考えなしの断罪劇をフォローしてきたのも私だ。お前が毎度、父上と兄上の要求を突っ撥ねられずに呑んでしまうから。そうだろう?」
「は……はい……」
「ならばたまには、私の要求にも応えてもらわねばな? まあ……今後、私に今回のような仕事を一切持って来ないとこの場で誓うなら、今は引き下がってもいいが……。どうする?」
「……。ディエタ妃殿下に、先触れを出すよう侍女へ命じて参ります……」
「うむ。よしなに頼むぞ、宰相」
やや太めの眉を情けなく下げ、渋々うなづく宰相に、ティグリスは満面の笑みで答えた。
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