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前編

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 黄昏時にデート中だった若い二人のうち、女学生のダナの心は暗いものとなった。楽しい午後のひと時が中断されたのだ。
 対面席で向かい合う、違う大学に通う彼の様相が一変したせいだった。

 ダナはある理由で、カフェに入店してカウンターの上に設置されたテレビを発見するなりそれが死角になる席を探したがなく、やむを得ずできるだけ離れた位置に恋人を誘導したのだけれど、そうした努力も無駄となった。
 ウェールズのローカルニュースは、冷酷に不幸のきっかけを伝えたのだ。

「――続いてはミステリークロップ・サークルの話題です」

 ニュースリーダーはたいして音量の大きくない古い小さなブラウン管から冗談交じりに告げたが、それで充分だった。恋人の青年は談笑をやめてテレビのほうに振り返り、見入ったのだ。

 ダナは溜め息をついた。

 彼女は今朝、ニュースでその貧弱なクロップ・サークルが近所の畑に出現したことを知った。これが彼にとって重要な意味を持ち、場合によってはデートが中断されかねなかったのである。そこでダナは事前に彼へ電話を掛け、遠まわしな表現ながら様子を窺っていたのだけれど、まだ情報は伝わっていないらしく予定が変わらないと判明して安心していたのに、こんな場面でばれてしまった。
 そして案の定、恋人は心配していた通りの行動に出たのだ。

「……ごめん、金はおれが払うよ。帰らなきゃ」

 優しい顔立ちを申し訳なさそうに歪めた彼は、困ったように短髪を掻きながら言うと、デニムパンツのポケットから財布を出して代金を置き、Tシャツの上にブルゾンを羽織り、ダナが引き止めるのも構わず帰ってしまった。

 残された彼女は、やっと届いたロイヤルミルクティーを啜りながら、膝を覆うフレアスカートの上の手を机上に移して頬杖をつき、考え込むしかなかった。

 変人スプーキー

 それが、ダナの恋人の渾名だった。ミステリークロップ・サークルに異常なほどに執着するために付けられたものだと、彼女は噂に聞いていた。

 誰にも察知されずに、いつの間にか植物が綺麗に倒れて円形を主とした様々な幾何学図形を形成する現象。
 ここイギリスを中心としたクロップに頻繁に出現したことからクロップ・サークルと呼称されたこの怪異は、長らく超常現象として話題になっていた。しかし、老人芸術家のダグとデイブが、それらの一部が自分たちの悪戯によるものと告白して実際にサークルを作って証明してからは、続々と同様の悪ふざけをしていた人々が名乗り出て、もはやクロップ・サークルはほとんど人工のものとしてしか認識されなくなってきている。

 ところがスプーキーは、これを未だに超自然の力によるものと信じているのだった。ただし、彼の解釈は少々風変わりだ。
 欧州各地にはクロップ・サークルが現れ始める遥か以前から、花などが円形に生えるフェアリー・リングと呼ばれる現象があった。それは、妖精が輪になって踊った跡だなどといわれる。
 スプーキーは、本物のクロップ・サークルをこの一種と捉えているのだった。

 しかも奇妙なことに、身近にクロップ・サークルが出現したという情報を耳にすると、彼とは八日ほどものあいだ音信がろくに取れなくなってしまうのだ。どうやら空いた時間をそれと関連する何事かにつぎ込んでいるらしく、サークルが現れたという場所に飛んでいっているらしい。

 なのにその事由は恋人にさえ訊かれてもはぐらかすのである。
 また、実態は不明ながらこれとの関連が囁かれるおかしな癖として、スプーキーはまれに交際相手との間に壁を作るようなよそよそしい態度をとることがあった。まるでなにかを話したがっていながら躊躇するような感じだ。たいていの交際相手は、こうした性癖に耐えきれずに愛想を尽かしてしまう。
 けれどもスプーキーは、これらの点を除けば極めて人柄が良かった。故にダナも惹かれたのだが、やはり唯一の欠点への危惧も拭えず、ついに今日、来るべき時が訪れてしまったわけだ。

 それでもダナは、想像していたほどには不満を抱かなかった。何度もこんな行動を繰り返されれば気持ちも揺らぐかもしれないが、欠点のない人間などいない。加えて、スプーキーがそういったことをするのは彼女自身も事前に把握していたのだから、自分も黙っているべきではなかったかもしれないとも思った。理解し合いたい点があるのなら、これからでもそれについて会話を持ち掛けてみるべきだろうと。
 同時に彼女は、今までの彼の交際相手とは違う発見もしていた。微かに苛立ちながらもブラウスに重ね着したカーディガンの襟元に掛かるブラウンの髪を掻き揚げて、澄んだ瞳でなんとなくテレビが映すクロップ・サークルを眺めたとき、不思議なものを感じたのである。
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