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山中に京
しおりを挟むもうすでに陽は落ち、夜のとばりが完全に空を覆った頃。俺は未だ、黒塗りのセダンを追っていた。
孤児院のあった住宅街を抜け、現在地は闇が支配する山道。
俺はセダンが発しているライトとエンジン音を頼りに、なんとか、つかず離れずの距離を保って尾行していた。
そして驚くべきは俺の体。生身だと1キロの距離すら走れないのに、変身後だと、速度を落として走行しているとはいえ、10数キロもの距離を走る高級車に追いすがっているのだ。もう車いらないじゃん。
……なんてことを考えながら、俺は気を紛らわせていた。というのも、さっきからあのセダン、同じところをぐるぐると回っているのだ。最初は尾行しているのがバレたんじゃないか、とも考えたが、それならすぐに車から降りて、俺に対して何らかの行動をとっているはず。だけどそれがない。あのセダンは、ただぐるぐると同じところをずっと走っているのだ。
これはもう、あまり考えられないかもしれないけど、道に迷っているんじゃないか?
俺ももういい加減、同じところをぐるぐると回り続けるのは飽きてきたし、そろそろ時間的にも帰らないと、親や隣家の変なやつにあれこれ言われる。
よし。
もう一周したら強引に車を止めて女の子を助け出そう。
俺がそう決心していると、眼前のセダンはそこでピタッと走るのを止めた。
ボン、ボン、ボン、ボン……!
暗い山道に、セダンのアイドリング音だけが虚しく反響する。
俺は身を翻すと、急いで手近の木に身を隠し、セダンの様子を窺った。
もしかして、感付かれたのか?
だとしたらもう時間的余裕はない。何が何でも助けに行かなければ──
──ガゴ、ガガゴゴゴゴゴゴ……!
俺がそう思っていると、セダンの前方付近、露出した山肌が突然、けたたましい機械音を上げながら、ガレージのシャッターのようにゆっくりと開いていった。山肌が完全に開くと、そこにはさらに中へと続く道があった。
それは一車線のみの狭く、細く、暗い道。
道の両端には等間隔で、時々明滅する発光装置が備え付けられていた。山肌はこの場所を隠すためのカモフラージュ。おそらく、あの黒服たちのアジトはここにあるのだろう。
俺がその光景に圧倒されていると、セダンが再び走り出して中へと入っていった。
ガゴ、ガガゴゴゴゴゴゴ……!
再び機械音が鳴り、今度は上がっていた山肌が降りていく。
──さて、ここにきて選択だ。
このまま中へと侵入するか、ここから立ち去るかだ。
場所さえわかってしまえば、あとからいくらでも対策をとることが出来る。一旦ここから去り、態勢を整えてから再度侵入を試みれば、より成功確率も上がるだろう。
だがその反面、このまま進まないと、あの女の子が危険だということも重々承知している。けれど、ここまでの施設を文字通り山中に拵えることが出来る力を持つ組織が相手となると、いくら変身しているとはいえ、太刀打ち出来るかどうかが問題となってくる。
進むか退くか。伸るか反るか。
俺の命か女の子を命か。
──答えなど、とうに決まっている。
俺は今まで身を隠していた木から姿を現すと、閉じていく山肌に向かって駆け出していった。
正義の味方が個人を見捨ててどうするんだ。
俺は手足を思いきり振りながら走ると、なんとかして、山肌が完全に閉じる前に中に侵入する事に成功した。
中は相変わらず暗いが、点々と続く発光装置があるため、これを辿っていけばいずれ先ほどのセダンにも追いつくだろう。
俺は一度大きく息を吸って、長く息を吐いた。
ここからはより慎重な行動が求められる。俺は注意深く辺りを警戒しながら、中へ中へと進んでいった。
◇
「な……んなんだ、ここは……!?」
俺の言葉が、俺の思考をなぞる。
眼前に広がるのは、町。というよりも、日本の古都に近い街並みだった。茅葺屋根や煉瓦の屋根、瓦……さまざまな様式の日本家屋が等間隔に並べられており、木造の赤い刎橋や色鮮やかな和傘、茶屋椅子などが所々に設置されていた。道行く人々も皆、高そうなスーツや高級そうな和服に身を包んでいる。そのあまりにも自然な感じに、まるで本当に、修学旅行に来たような気分になっていた。ただひとつ、修学旅行とは決定的に違うものを挙げるとするなら、空が見えないという事だけだった。
道行く人々の外見が先述した通りなら、当然、今の俺の格好も浮いてしまうわけだが……なぜか、誰一人として、俺のことを怪訝な目で、或いは好奇の目で見てくる者はいなかった。そしてそんな俺は、完全にあの車を見失っていた。
「──ほらほら、お兄さん、茶でも飲んでいきなよ」
突然、何者かがコートの裾を引っ張ってくる。見ると、すこし地味目な色の着物を着た日本髪の女性が、コートの裾をつまみながら、俺のほうを見ていた。この不思議空間において、完全にアウェーな存在である俺は、何が何だかわからず、その女性に対し適当に頷いてしまった。
「はい、一名様ご案内!」
女性の楽しそうな声が辺りに響く。
どうしよう、お金なんて持ってないのに。……なんて後悔する間もなく、半強制的に真っ赤なシーツの茶屋椅子に座らされると、女性は間髪入れずに三色団子と茶を出してきた。団子の甘い匂いと茶の香りが、まだ晩飯を食べていない俺の腹を刺激してくる。
どうしたものか。
ここがやつらの、黒服たちのアジトなら、遠慮なく無銭飲食をかましてやるところだが、ここにいる人たちはどうにも悪い人たちには見えない。というか、ここは何なんだ。見たところ、どうやら観光地ぽい所に見えるが、それだけにあの攫われた女の子の行方が気になってしまう。そもそも、本当にあの女の子は攫われたのだろうか。と、そういう疑問が湧き上がってくる。
「お兄さん、ここは初めてかい?」
出された団子や茶に一切手を付けなかった俺を怪訝に思ったのか、俺を引っ張ってきた女性が、俺に声をかけてきた。
なんだ。どう答えるのが正解なんだ。
こういう場合はたいてい、馬鹿正直に話すと痛い目を見るのが相場なのだが……黙っていたら黙っていたで、変に思われるよな。それに、いま何よりも欲しいのは情報だ。ここで客商売をやっているのなら、この場所については詳しいはず。少なくとも俺よりは絶対に詳しいはず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
ここは一回、正直に話してみるか。
「……初めてです」
「ああ、やっぱり?」
「やっぱり……?」
「そうさ。お兄さん、入口のところでキョロキョロしてたからね」
「入り口でキョロキョロしてたら……初めての人だってわかるんですか?」
「わかるよ。だってここへ来る人間は、多かれ少なかれ、みんな目的を持って来ているからね」
「目的……ですか」
「そう。たとえば、何か買いに来たのだったら、ここよりもうちょっと奥にある〝市場〟へ行くし、遊びに来たのなら、もっと奥のほうにある〝吉原〟というところをウロウロする。来て早々、入口でキョロキョロしているのは、あまりここへ来たことのない人か、もしくはネズミのどっちかか……だろうね」
そう言って女性が目を細めた。
ネズミ。おそらく、この女性が言っているのは本物のネズミではなく、隠語のネズミ。くせ者とかそっちの意味でだろう。そういう意味なら、俺は間違いなくネズミであり、この場所のイレギュラーとなるわけだが……そんなことをわざわざバラす意味もないし、必要もない。ここは何か適当な目的をでっち上げたほうがいいだろうな。
「俺は……その……遊びに来たんですけど……」
「おやおや、お盛んだねえ」
「お盛ん……?」
お盛ん……つまり、激しい遊び、という意味か?
これも隠語なのだろうか? よくわからんな。
「とはいっても、基本的に奥のほうは一見さんお断りだからね。お兄さん、どう見ても何度もここへきているとは思えないし……変な話だけど、たぶん、取り合ってさえもらえないよ」
「そ、そう、でしたか……」
〝奥〟とはさっき言っていた、吉原とかいう場所なのだろう。
それにしても、一見さんお断りの遊び場か。なんていうか……想像できないな。会員制のスポーツクラブか何かか?
まあでも、そう考えてみると、ここってそんなに怪しい場所じゃないのかもしれない。入口こそ物々しかったけど、この女性の言うことが本当なら、みんなここへはショッピングやら遊びやら、息抜きをしているという事なのだろう。大人の、大人による大人のための場所なのかもしれない。
「おっと、そうだ。吉原ほどじゃないが、うちでも遊びはやっていてね。よければ、色々とサービスするよ」
「サービスって……どういうのですか?」
「気になるかい? ついさっき、新人が来て……たしか名前は桂美里ってんだけど、これがまだ若くてね、とりあえず社会見学って名目で、今は客を取らせてるんだけど──」
「か、桂美里……!?」
予想だにしていない名前の登場に、俺の声も裏返ってしまう。
青天の霹靂とはまさしくこの事。この場所、このタイミングでその名前が出てくるということは、孤児院で黒服たちがセダンに積み込んだのは、ほぼ間違いなく、ユナの友達である桂美里。その桂美里が、この茶屋で、〝遊び〟とやらをしている? 一体、どういうことだ? 理解が追い付かない。
「ど、どうしたんだい、いきなり大声出して……びっくりするじゃないか」
「す、すみません……」
「もしかして、知り合いかい?」
「い、いや……知り合いというか、なんというか……」
なんて言うべきか。
その子を助けるために、孤児院から遥々、ここまで潜入しに来ました。……なんて、口が裂けても言えないよなあ。
「ああ、わかったよ、お兄さん。……ふふふ、なるほどね。お兄さんも中々ワルだねえ」
「……ワル?」
「いや、いいよ。みなまで言わなくてもいい。どうせ、上のほうでずっと目をつけてたんだろ? 行ってやりな。そのしつこさに免じて、おまけしてやるよ」
女性はそう言うと、着物の袂から極々シンプルな、まるで南京錠に使われているようなカギを、俺の手に握らせてきた。何なんだと思い、まじまじと見てみると、そのカギには〝2-3〟という数字だけが書かれていた。
「その子のいる部屋の番号さ」
「部屋……」
「この茶屋の2階って意味だよ」
「そこに……桂美里がいる、と?」
「さあ、行ってやりな」
女性がバシン、と強く俺の背中をたたいてくる。俺はその女性に言われるがまま、促されるがまま、茶屋に入り、桂美里のいるであろう2階の部屋を目指した。
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