巫女と英雄

Mao

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第1章

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  煌びやかな王都アンカ・ソレイユから、2つの丘を越したところに或る暗い森。
 かつては王の御用邸として使われていた森の中の城は、小高い丘の上にあり、鬱蒼とした森の中には、美しい湧き水が絶え間なくあふれる湖があった。
 城は、その畔に建ち、こじんまりとした雰囲気は、かつての王とその家族がそこで、避暑を楽しんでいたという。
 しかし今は、誰も立ち寄らない。その森は、忘れ去られたように、ひっそりとしていた。
 
 城のほぼ東はずれにある青い塔。
 一番高い窓は、天気によって開け閉めされていた。
 「今日も、いい天気だね」
 窓からは、さわやかな春の風が舞い込む。
 風に誘われて顔を出したのは、この国ディアマンの第10皇子サシャ。
 金色のくりくりと天然パーマがかかった髪が、小さな顔を彩る。瞳は湖の一番深いところの色と同じ、緑だった。
 そより、とサシャの髪を風がひらめかせる。
 「うん。今日はきっと、いい日だよね」
 そう頷くと、サシャは窓枠にパンをちぎって置く。
 しばらくすると、塔の高さにお構いなく、羽をはばたかせた小さな鳥たちがパンをついばみにやってきた。
 ちちち、という声に、サシャは目を細める。
 「ふふふ。今日も何事も無く、いい日」
 そう言って笑う。
 王家には時折、不思議な力を持つ子供が生まれる。
 それが「王の気質」を持つ者であるか、「運命を見るもの」なのかで、扱われ方は違った。
 サシャは後者だった。
 見るものは代々、この城に幽閉されて育つ。
 来るのは動物か、毎月の王の運勢を聞きにくるために訪れる従者だけ。
 身の回りの世話をする家来たちは、見るものの邪心や邪推を育てないように、話しかけることも無く、目を合わせることも無い。
 サシャは5歳で、この城に入れられた。
 前任者は、父の3番目の妹だった。
 彼女が亡くなると同時に、サシャの能力が芽生えた。
 彼女は「サシャが後任」だと言い残して死んだ。
 サシャは、この塔に入るときわけも分からずに母と引き離され、1晩泣き明かしたが、夢の中に現れた綺麗な女性に慰められて、泣くことを止めた。
 それが、前任者であることをサシャは知っていた。
 優しい声で、「大丈夫よ」と言われれば、サシャの心は落ち着いた。
 そうして、森の中の城でサシャは育ち、もう10年がたつ。
 「今日も、穏やかでいい1日。父様…王もご機嫌」
 サシャはこの棟の一番上が一番好きだった。森の向こう側に微かに王都が見えるからだ。王都の方角を見て、穏やかな笑顔を浮かべる。
 離れていても、見えるのは高い能力があるからこそ。
 サシャの前任者も、高い能力があったから、ここに入れられた。
 それは、見えるものの運命。
 サシャは夢にたびたび登場し、慰めてくれる女性にそう聞かされて育ち、1人でここに閉じ込められて生きていくことに、不満も抱かなかった。
 
 毎月訪れる従者は、2月に1度、人が変わる。
 たいていは文士だが、時には兵士が来ることもある。順繰りして元に戻ることもあるのだろうが、サシャはまだ同じ人が来たのを見たことがない。いずれにしても、王に仕えるものだ。
 馬に乗ってこなければならないために、女性は来ない。
 従者は、決まった時間に城へやって来る。
 サシャは常に、身奇麗にして先読みを告げる部屋の椅子に腰掛け、彼らを待つ。
 月に1度の、話し相手が来るのを。
 話し相手と言っても、サシャの意識はほとんど無い。
 従者がしつらえられた椅子に座り、ペンを握ると、目を閉じ、王を思い描く。
 すると、自然に口から王の未来が、国の未来が語られる。
 サシャ自身は、自分が何を言っているのか分かっていない。
 後で、来訪者が書いたものをちらりと盗み見て、そんなことを言ったんだと思うだけだ。
 意識があるときに分かるのは、父である王や兄弟たちのご機嫌ぐらい。意識をそちらに向かわせているということもあるのだろうが、全てを受け入れようとすると、サシャ自身が壊れてしまう。サシャは本能でそれを知っていた。
 時々、街の人たちが穏やかに暮らしている気持ちのいい雰囲気が風に乗って伝わってくることもあるが、よほど強い気持ちぐらいしか分からないよう、自然に力をセーブしていた。
 そして今日も、サシャは従者に向けて、王の未来を語っていた。
 従者はいつも、サシャの言葉を書き終えると、何も話すことは無く去っていく。
 しかし今日は、サシャが目を開け、ほっと息をついてもペンを置くことが無かった。
 それどころか、従者は「そんなバカな…」と驚愕の顔をサシャに向ける。
 「…何か?」
 小首をかしげたサシャは無邪気に問う。
 「あなたは、今、とんでもないことを語ったのだ」
 震える声で従者は言う。
 サシャは何のことが分からず、従者が書き途中のメモを覗き見る。
 するとそこには。
 「侵略」と書かれていた。
 
 サシャが生まれ育った国は、一番大きな大陸から海を隔て、1つの島を4つに割った国のうちの1つ、ディアマンという。各国は海と山を有しており、特にディアマンは、その豊富な自然と盛んな農業によるさまざまな果物、野菜、乳製品など一年中輸出され、それを糧とする周辺国とは友好関係が続き、無理な欲を出して自身の首を絞めるようなことはしてこなかった。
 しかし。一番大きな大陸では、侵略をし合う戦いが長く続いていた。侵略と復讐が繰り返されていた中、ある国の皇子が戦前に立つようになった途端、若い皇子の武力に、一番大きな大陸のほとんどの国がひれ伏していた。
 その国の名を、コスメーマという。そして、皇子の名は、フラム。王位継承権は長兄の次ではあるものの、炎の名を持つ皇子は戦場では先頭に立ち、まるで戦火を駆ける炎のように疾走し、敵を倒すのだと噂された。
 実際、皇子は後ろでただ指示をするのではなく、前線で人一倍戦い、敵を薙ぎ倒した。武将として、まるで火の粉が舞うように剣をひらめかせ、敵国の王の首を取った。
 そして1つの大陸をほぼ統一すると、隣り合う別の大陸に手を出し始めた。
 王の欲は止まらない。
 世界の覇者になろうとしていた。
 そして皇子は、戦いの中にいられるならばそれで良いと、年老いた王と、何もかも手に入れようとする強欲な兄の命令をただ黙って聞いていた。
 
 侵略の噂は、周辺国にも流れていた。
 ディアマンにもその噂は流れていたが、すぐ傍まで危機が訪れていることは、王ですら知らなかった。
 サシャの夢見を受け、王は辺境の地へ使いを出す。あまりに急がせたため、数頭の馬が死んだ。その兵士の焦る気持ちと侵略が事実だったという衝撃は、塔にいるサシャにも届いていた。
 そして、城に王からの使者が来た。
 「城へ…王への拝謁を」
 そう、告げられた。
 
 サシャが王の前に出るのは、5歳のときに森の中の城にやってきて以来、10年ぶりだった。
 皇子たちは、父とはいえ、一国の王であるがゆえに甘えることもできない。王も誰が次世代を担うのか決めてあるものの、いつ誰に自身の首をかかれるかわからない上、権力者として甘い顔を見せることはできないと考えていたため、臣下に対する態度と子供への態度を変えることはなかった。
 サシャに対しては、“見るもの”としてこれまでの王がしてきたとおりに敬いはするものの、自身の愛する子供として扱ったことはただ一度としてなかった。
 それも慣例だったし、王は愛妾たちに愛情を注いでも、子供に愛情を注ぐ人ではなかった。
 それでもサシャは、数度しか見たことが無い、顔すらもうろ覚えの父を慕っていた。
 迎えに来た馬車に乗り込み、王城へと向かう道のりでは、森の中の城の外に出られた喜びよりも、王に会える喜びの方が勝っていた。
 
 王城の謁見室で久しぶりに見た父は、不機嫌だった。
 「侵略とは何事か」
 もうすでに擦れている記憶にあった父であり王は、黒々としたひげを蓄えていたはずなのに、今は黒に白が混じる。疲れているようにも見えた。
 「…そう言われても、お主には分からんな。妹もそうだった。神託を下しても、自分には何を言ったのか分かっていないと」
 「はい。ですので、今一度、サシャ様にここで神託をしていただこうかと」
 そう口を挟んできたのは、髪の長い、目つきが鋭いが美しい男の人だった。
 「そうよな。サシャ、ここで、できるか」
 王の願いとあらば、と頷いて、目を閉じる。
 王の顔を浮かべ、国を思う。美しい自然、愛らしい動物たち、母や王が微笑み、人々が笑い、暮らす国。
 まるで空から国を見るかのように、サシャは意識を飛ばした。
 自分でも何かを言っているのは分かるが、その言葉の意味は分かっていない。それはこの間と同じだった。
 意識を高く高く空に飛ばす。
 しばらくたゆたっていたら、国を隔てる海の上に浮かぶ大きな帆船から、強い視線を感じた。
 ぶるり、と体が震えた。
 呼吸が荒くなった。
 でも、なぜか惹かれた。
 その帆船には近づきたくないのに、心が惹かれる。
 ひや汗をかき、一方の意識は傍に行きたくないと抵抗するのに、本能に近い意識はその強い視線へと引き寄せられた。
 そして。
 あっという間に船の上に引き寄せられ、手を捕まえられた。
 それは、炎のような赤く燃え滾るオーラを持つ男の人だった。
 触られた瞬間、分かった。
 その人は強い意志を持ち、誰にも負けない。強い力と権力と彼を慕う人々をまるごと背負うだけの強い心があった。
 そして、自分にとって無くてはならない、離れることができない運命を持った人なのだと。
 今まで、こんなことはなかった。
 いつもは、意識が無い状態で、不思議な膜に覆われるように空を飛んで帰ってくるだけだったのに。
 ビクリ、と体が震えて、慌てて目を開けた。
 息が荒い。心臓が破裂しそうだった。
 捕まえられた左手が熱かった。
 「何てことだ…」
 王の震える声で顔を上げる。
 王は嘆いていた。
 「サシャ様のご神託は、外れたことがありません。すぐに、準備を始めなければなりません」
 側近らしき人は、王に囁く。
 すると、1人の従者が慌てて側近の傍に近寄った。
 「なんと!」
 側近はまるで芝居がかったように、叫ぶ。
 「王…。遅かったようです…」
 その声と共に、侵略者が謁見室の扉を開け放ち、国を渡すよう、高らかに要求した。
 
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