あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ

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 僕が最初に目的地として向かっている場所は、”ダリア”と呼ばれる港町だった。ここは古くからハインリヒ王国をはじめ、各国の特産品が集まる交易の要として知られている。

 ーー”ダリア無くして国は栄えず”。

 そんな言葉が生まれるほど、この地は重要視されてきた。港には常に船が出入りし、街道には馬車が絶えることはない。だから、人が多くて見つかりにくいことやここへ来れば、次の行き先に困ることはないだろう。そう考えて、馬車の行き先をダリアに指定したのだった。

 それにーー早くハインリヒ王国から離れたかった、というのもある。始めは、王国の最南端の場所にある、トア家がもともと所有していた領地に行くことも考えた。けれど、近くにいればアインスやマーシュたちのことを思い出してしまい、せっかく固めた決意が簡単に揺らいでしまいそうだった。

(ダリアに来たはいいものの......ここからどこへ向かおうかな。)

 お金にはまだ余裕がある。寝泊まりする場所にも、しばらくは困らないだろう。

(じっくり考えればいいか)

 候補はいくつかあったが、ダリアから先の行き先までは、まだ決めきれずにいた。焦る必要はない。そう自分に言い聞かせ、とりあえず宿を取ることにした。

「すみません。しばらく部屋を借りたいのですが、空いてますか?」

「えぇ、空いておりますよ。......って!えぇ!!シュ、シューン様ですか!?」

 しまった。

 ーーそうか。まだ離婚したことは広まっていないのか。

 僕はもうキール家の人間ではない。そのことは、たった一週間ではさすがに情報が行き渡るはずもなかったらしい。

「驚かせて、申し訳ありません。ただの観光です。どうか、このことはご内密に。」

「えぇ、もちろんでございますとも。シューン様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、わたくしはあなた様にご恩がございますから。どうぞ、気のゆくままにごゆっくりお過ごしくださいまし。」

 「ありがとう。」

 人当たりの良い年増な女性に微笑みかけ、僕は部屋番号が記された鍵を受け取った。

 部屋に入り、荷物を下ろしてゆっくりとソファーに腰を下ろす。

「......ふぅ、」

 思わず息が漏れた。

 肩にじんわりとした痛みを感じて、ぐるぐると肩を回す。持ってきた荷物が思ったよりも重くなってしまった。

 ーーそういえば、馬車から降りたときも、号外すら配られてる様子もなかったな。侯爵家の人間の離婚。それも宰相ともなれば、すぐに噂が広まってもおかしくないはずなのに。交易が盛んなダリアなら尚更だ。

(広まっていないとしたら、情報統制??)

 いや、それはないか。お義父様がわざわざそんな手間をかけるとは思えない。

(じゃあ、この一週間の間に王都で何かあったのかな......)

 いや、考えるのはよそう。僕はもう、戻らないと決めたのだから。

 そう心に誓い、大きな荷物の中から地図を取り出して広げる。次の行き先を考えようとするが、これからの生活のことまで思い浮かべてしまい、簡単には決められそうになかった。

(......今日は休もう)

 とりあえず、このふかふかのベッドで疲れを取ろう。明日、港町を歩きながら考えればいいか......。

 ーー夜ってこんなに寂しいものだったっけな。ベッドに体を埋めるけど、うまく寝付けない。

 一人で眠ることは昔から慣れているはずなのに、なぜか目が冴えてしまう。昼間の賑わいとは反対にダリアの夜は静かだった。その静けさが、やけに胸に沁みた。

***

「う~ん、朝か......よいしょっ、と」

 僕がハインリヒ王国を去ってから、すでに一年の月日が経っていた。行き先を真剣に、そして妥協せずに考え続けていたら、気づけば時間だけが過ぎていた。こういうときにスパッと決まられないのは、僕の悪い癖だな。

 そんなある日、宿舎の管理人さんがこう言ってくれた。

「行く当てが決まるまでは、どうぞこの部屋はご自由にお使いください。」

 さすがに、無償で住まわせてもらうのは気が引けた僕は

「でしたら、何かお手伝いさせてください。」

 と申し出て、今ではこの宿舎で裏方の仕事を手伝いながら暮らしている。

 おかげで、生活面での不自由はなかった。

 ただ、港町特有の問題としてーー慢性的な寝不足だけは、どうにもならなかった。

 早朝から響く船の警笛。それに何度も叩き起こされるせいで、頭痛が日常茶飯事になっている。

 今日もそんな目覚ましで起床し、ペタペタと洗面台へ向かって顔を洗う。そして今日は、管理人さんにお使いを頼まれていたので、港町へ買い出しに行く準備をした。

 ダリアに来てからは、最低限の変装は必要だと分かった。はじめの方は僕の姿を見るなり、「シューン様がいらっしゃる!」と、ちょっとした騒ぎになってしまうことが多かった。

 だから、管理人さんの前以外で人前に出るときは、必ず帽子と、夜中に本を読むときだけ使っていた眼鏡を装着するようにした。意外にもこれだけでかなり変装できているほうだった。

(......うん、悪くない。)

 今ではこれが、もうすっかり板についている。

 港町へ出ると、朝早いにもかかわらず、今日も大賑わいだった。露店が所狭しと並び、行商人たちが声を張り上げている。

(毎回この人波をかき分けるのは、正直しんどいな。)

 以前、視察も兼ねてアインスと訪れたときは、もう少し落ち着いていた気がする。けれどーー今の活気のあるダリアのほうが、ずっといい。

 そんな風に僕は無意識のうちに、ダリアの全体的な雰囲気や、訪れている人々の年齢層、露店の種類、数などを手帳に書き留めていた。気づけば、すでに二冊目に差しかかろうとしている。

(......違う、違う。今の僕は、ただの観光客なんだから)

 そう言い聞かせたときもあったけど、この癖だけは一年経っても抜けなかった。きっと、職業病なのだろう。

 紙に書かれた買い物リストにバツをつけながら歩みを進めていると、ある露店が目に留まった。

(......このお店、昨日はあったかな??)

 買い物リストには載ってないけど、時間はあるし、少しだけ寄ってみることにした。ここは宝石を主に扱っているようだ。並べられた品から判断するに、これはラティサリー王国あたりだろうか。

「ん?なんだいあんちゃん、宝石に興味あるのかい?」

「あ、すみません。ここの宝石は、どこの国から集めたものなんですか?」

「場所かい?これはラティサリー王国とテラー王国から今朝届いたもんだよ。場所から聞くなんて、お目が高いねぇ。さては、やり手の商人かなんかかい??」

「いえ、少しだけそういった類の知識があるだけです。少し見てもいいですか?」

「あぁ!もちろんだとも!気に入るもんがあるといいな!」

 気前のいい店主と会話を交わしながら、僕はしばらく宝石を眺めていた。ブラックオニキスにアメジスト、ルビーやサファイヤ......ハインリヒ王国ではあまり見られない希少な宝石が数多く並んでいた。

 ーーあっ、

(これ、アインスの瞳の色にそっくりだ。)

 エメラルドのブレスレットが目に留まった。太陽の光にかざしながら、無意識にそれを見つめてしまう。

(アインスのこと、全然忘れられてないな。)

 心の中で自嘲する。

「お、そのエメラルドはテラー王国のもんだね。さっきから見てるが、思い入れでもあんのかい?」

「あはは、そう、ですね......。とても綺麗だなと思いまして。」

 元夫の瞳の色と似ているから、なんて言えるはずもない。けれどーーアインスのことを忘れたくもなかった。

 これを身に着けていれば、少しだけアインスが近くにいてくれる気がする。

(ダリアを出たら、もうここに戻ってくることはないだろうし。)

 楽しかった、幸せな日々を忘れないためにも、思い出として買うことにしようかな。

「......このエメラルドのブレスレットを一つください。」

「お!それが気に入ったんだな。ちょっとまけといてやるよ。ほらお釣りだ。」

「ありがとうございます。お店の繁盛を願っていますね。」

「おう!ありがとな!あんちゃんも、最近なにかと物騒だからな。気を付けろよ~!」

 僕は店主にぺこりと軽く頭を下げて、再び歩き出した。もうここから先には露店はないからそろそろ引き返そうかな。

 それに、次の国の行き先もなんとなく絞れてきた。僕は踵を返して、元来た道を戻っていた。

 ーーそのとき。ダリア中に青年の声が響き渡った。

 
 









 

 







 
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