4 / 36
第4話 深い呼吸
しおりを挟む見知らぬ朝の匂いで、ふと目を覚ました。
見慣れない場所にいることを、まだ眠気の残る頭が思い出す。
引っ越して一晩しかたってないから当たり前だろうか。まだ、自分の匂いと部屋の匂いが馴染んでいない。
でも、決して嫌なわけではない。
カーテンを開けるともう日は高く昇っていた。昨日は配信の余韻もあってなかなか寝付けなかったからだ。
未だにぼうっとする自分に喝を入れようと2つの窓を開ける。
風と共に9月の暑さが入ってくるけど、今までよりは少し涼しい。これは季節の移ろいか、住んでいる場所の影響か。
一度深く呼吸をして昨日より少し息がしやすくなっていることに気付く。
近くの小学校から聞こえる声、鳥のさえずる音、車のエンジン音……少し前まで聞く余裕のなかった日常の音楽がまた微かに戻ってきた。
——シャッ、シャッ、シャッ
それらの音に紛れて玄関を掃く音が聞こえる——花守くんの音だ。
「ふふ。昨日もそご掃除すちゃーね」
思い出したとたん、胸の奥が暖かくなる。
もっと、呼吸がしやすくなる。
音大の頃、ほとんど話さなかった相手。
副科でたまたま一緒になって、わたしの歌を聴いた花守くんとても真っ直ぐに褒めてくれたのが嬉しかった。
それでも数回しか話したことはない。
でも、なぜか今、いちばん近くにいてくれてる。——その時から訛っても笑わないでいてくれた、あの人が。あの時のままで。
不安はまだ、消えてない。
でも、昨日よりもほんの少しだけ、わたしは前を向いている。
『訛りもナヅキのアイデンティティだ』
そう言って励ましてくれていたのはマネージャーさんだ。
『lyric colour』へ所属してからずっと担当してくれている。
彼女の信頼に応えたかったけど、わたしまだそこまで強くなかった。
どうしても思い出してしまう。
昔、訛りが出ただけで、笑われたこと。
高校までは祖母の家で生活をしていた。父は転勤族で、母は勤めていて、わたしの話し相手はいつも祖母だった。
地元でさえ学校では、祖母譲りの言葉が浮いていた。
気づけば口を閉ざす時間が増えて、そのぶん、祖母と交わす会話だけが、心の支えになっていった。
そんな祖母の膝枕で聴いた子守唄は、いま思えばわたしの原点だ。
一人で出来る『歌』という遊びにハマっていって、話さなくても歌が仕事になれば良い、そんな風に思っていた。
転勤族の父が東京にいるタイミングと合って、思い切って東京の音大に通ってみた。
ー
「今の言い方……ちょっと変じゃない?」「てか、それ標準語で言ってみて?」軽いノリに隠れていた『異物扱い』——たしかに、悪気はなかったかもしれない。馴染めないわたしへ『訛り』というキャラをくれたんだろう。
けれど、あの時の『笑い』は、今でも耳の奥に刺さっている。
——じゃあ、なんでVtuberなんてやってるんだろう。
きっかけは、ただ『歌いたい』だったはずだ。
誰にも見られずに、自分の声だけで誰かと繋がれるなら、やってみたいって。それだけだった。
……なのに、今では「津軽訛り」が“売り”みたいに扱われている。
バズったのは偶然だった。配信切り忘れ……配信終わりにマネージャーへ訛り全開の電話していた音声が流れて。
終わった、率直にそう思った。
けど、逆だった。
「癒された」「もっと訛って」「方言助かる」……コメント欄はお祭りみたいだった。
そのあと、登録者数は一気に跳ねた。収益も、再生数も。事務所は喜んでくれて、担当のマネージャーも「やっぱり訛りはナヅキのアイデンティティなんだよ」って何度も言ってくれた。
でも、わたしの心だけは、いつまでも取り残されたままだった。
『声』を武器にする職業なのに、『自分の言葉』を少し、信用できなくなった。
歌は今でも、もちろん好き。
配信も、嫌いじゃない。得意では、ないけど。
聴いてくれる人がいるのは、本当にありがたい。奇跡だと思ってる。
だけど、誰のために、どんな自分を届けているのか、だんだん分からなくなっていった。
配信当初から『歌』を楽しみにしてくれてる古参のリスナー。
バズってから『訛り』を聞きにきている大多数の新規のリスナー。
訛っていれば喜ばれる。
分かっては、いる。
全部引っくるめて、受け入れられたら一番良いんだと思うけど……まだ、そこまで強くなれない。
マネージャーさんはそんなわたしの迷いに気づいてくれていた。
「だったら、一度環境を変えてみよう。都会の真ん中より、もう少し静かな場所で。気分も、受け取り方も、少しずつ、きっと変わる」
その言葉に甘えさせてもらったのが、今の『音森荘』だった。
正直、不安はあった。
慣れない土地で、慣れない共同生活。
“寮”といっても、どんな人がいて、どんな日々が待っているのか、見えない未来はぼんやりと怖かった。
けれど、暑い中、迷子にもなって、泣きそうだった昨日、最初に見えたあの人の顔で、不安の半分以上がふっと軽くなった。
たぶん忘れているだろうって、わたしからは言い出せなかった。
わたしは彼の声と、穏やかな雰囲気はずっと覚えていたけど。
彼がいたこと、それが今のわたしには思っていた以上に救いだった。
花守くんに案内してもらって、柄にもなく多分、浮かれていた。
昼食を一緒に食べて、買い物にも付き合ってもらって。
たわいもない会話の中に、気づいたら隠そうとしていた話し方が出ていて、驚いたのは自分の方だった。
訛りを出さないように、言葉を選んでばかりいたのに。
彼の前だと、昔の「わたし」を出しても良いと、なぜだか思えた。
———
帰り道、差し出された日傘のプレゼント。
思わず嬉しくなって、くるっと回ってみせた時、彼が何か言いかけた顔をしたのを、わたしはちゃんと見ていた。
……見られてる。今のわたしを。
訛りも、多分バレている葛藤も、不器用な取り繕いも、全部を含めて、『秋月ナヅキ』として――。
わたしという人間を、ちゃんと見ようとしてくれる人が、ここにいる。
そう思っただけで、胸が少しだけ、ほどけた。
その夜、配信を始める直前、深呼吸を一つしたわたしは、自分に問いかけた。
……ほんのちょっとでいい。
少しだけ、本当の自分を出してみてもいいかな。
⸻
配信の枠を開けた。
サムネは控えめに。タイトルも、気負いすぎないように。
だけど、最後の曲紹介の時だけ、小さく笑って——
「今日は、わたしの歌を聴いでけだっきゃ、嬉すいです」
言ってしまったあと、心臓が跳ねる。
でも、モニターの向こうから届くコメントは、驚くほどあたたかかった。
「おかえり」「訛りいいね」「落ち着く声」「涙出そう」「ずっと聴いてたい」
なぜか、その一言一言が、今夜はちゃんと胸に届いた。
少しだけ踏み出した足は、まだおぼつかない。
だけど、歌も、自分自身も、初めて少しだけ「配信に乗せられた」気がした。
わたしは、わたしの声を、ほんの少しだけ、好きになれそうな気がしていた。
10
あなたにおすすめの小説
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
触れる指先 偽りの恋
萩野詩音
恋愛
武井夏穂は、お人よしな性格が玉にキズなカフェ店員。
ある日、常連のお客様のトラブルに遭遇し、とっさに彼を手助けしたところ、そのまま「恋人のふり」をすることになって――。
<登場人物>
武井夏穂(たけい かほ)28歳 カフェ店員
×
貴島春樹(きじま はるき)35歳 エリートサラリーマン
『本当の自分』を受け入れてくれるひとに、出会えたかもしれない。
呪われた少女の秘された寵愛婚―盈月―
くろのあずさ
キャラ文芸
異常存在(マレビト)と呼ばれる人にあらざる者たちが境界が曖昧な世界。甚大な被害を被る人々の平和と安寧を守るため、軍は組織されたのだと噂されていた。
「無駄とはなんだ。お前があまりにも妻としての自覚が足らないから、思い出させてやっているのだろう」
「それは……しょうがありません」
だって私は――
「どんな姿でも関係ない。私の妻はお前だけだ」
相応しくない。私は彼のそばにいるべきではないのに――。
「私も……あなた様の、旦那様のそばにいたいです」
この身で願ってもかまわないの?
呪われた少女の孤独は秘された寵愛婚の中で溶かされる
2025.12.6
盈月(えいげつ)……新月から満月に向かって次第に円くなっていく間の月
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる